松本清張 隠花平原 上/下(新潮文庫 1996年)
新潮社サイト
https://www.shinchosha.co.jp/book/110967/
久しぶりに清張の長編を読みました。
杉並区の閑静な住宅街で一月の夜、帰宅途中の会社員が血まみれの死体を発見。被害者は太陽相互銀行で働く依田徳一郎。後頭部を鈍器様のもので攻撃されるという残虐さで、しかも財布や書類には手をつけていないことから怨恨の線で捜査が始まります。しかし依田は平凡ながら善良で怨みを持つ人物は浮かびあがらず、捜査本部は解散。
依田の妻の弟で二十九歳の画家山辺修二は事件が未解決に終わることにいたたまれず、所轄署を訪ねた帰り、刑事西東(さいとう)九郎と出会います。西東は依田が容姿や服装の似た誰かと人違いで殺された可能性があると言います。
この小説が発表されたのは昭和42年。現場は武蔵野の雑木林がところどころに残り、「サラリーマンがローンで建てた家がある」地域。サラリーマンでも銀行員など比較的高給の人に限られたのかもしれませんが、この頃はローンなら杉並に家が建てられたのですね。今では一般的な勤め人には考えられません。またアパートも多く建ちはじめた時代で、山辺は現場近くの高級なアパートに住み、事件後引っ越した24,5歳の美女のところへ通っていた男が依田に似た年恰好だったらしいことを知ります。その美女は依田が加入していた生命保険の代理店で既に倒産した桜総行の事務員だと姉から聞いた
山辺。その女萩村綾子と恋愛関係にあり、通ってきていたのは同社社長の玉野文雄。玉野は光和銀行の元社員で桜総行の設立発起人には光和銀行頭取花房寛の名前がありました。画商の千塚はこの花房が最近、山辺の絵のファンになり、作品を買っていると言います。
玉野が桜総行社長となった背景に熱海支店の不良貸付の摘発がありました。その件で退職した元支店長高森は世田谷の旅館で急死。高森は新興宗教普陀洛教団と関わっていました。真鶴に本部を置くこの教団は入信すると病気平癒、家内安全、商売繁盛というよくあるご利益に加えて地上に理想の町を作り、信者が望めばそこに家と土地を与えるとうたっていました。
美術記者の辻らの協力を得て謎を追う山辺は、花房から普陀洛教団の講堂の壁画制作を依頼されます。初代教祖の時には隆盛をほこったものの、二代目になって金繰りにつまり、理想郷つまり信者専用団地の建設も怪しくなり、家を持つことを夢見て積み立ててきた信者たちも動揺している様子。
本作の探偵役山辺は画家としての才能を生かして、アパートの女主人の話を聞きながらスケッチで萩村綾子の人相書きを作ったり、つながりのなさそうな人物がなぜか似ていることに気づいたり。下巻の半分あたりで物語は急展開、山辺は真鶴岬を見るために玉野、千塚らと乗った船から二人の死体を発見します。
人々の不安と夢を吸収する宗教、宗教と癒着する銀行、美術品売買に隠れた恐喝、そして恵まれた育ちの者への貧しい育ちの者が抱く怨みがおりなす長編。ネットの書評でも指摘している方がいますが、結末はいささか強引。
映像化され、傑作と言われる『ゼロの焦点』も読み終えてしまうと「なんでこんな殺人をわざわざするのか不思議」と思ってしまうのですが、これも同じように全体の整合性よりも読んでいる途中を楽しむ小説です。依田の他、元支店長夫妻、理想郷入居を夢見ていたタクシー運転手ら多くの人が命を落とす惨劇が、すべてある資本家の乱脈な女性関係に端を発している、親の因果が子に報い?というのも何だか清張らしくなくて横溝正史みたいです。
ともあれ、髪が長くてひとめで画家とわかる―つまり60年代のグループサウンズみたいな今ではあまりみかけない風貌の探偵役と共にその時代に旅する気分は味わえるミステリーです。
