アーサー・ミラー 倉橋健訳『セールスマンの死』 ハヤカワ演劇文庫2006年 | 実以のブログ

アーサー・ミラー 倉橋健訳『セールスマンの死』 ハヤカワ演劇文庫2006年

NHKBSで深夜に放送された風間杜夫主演の劇場中継を視て、戯曲をじっくり読んでみたくなりました。アメリカで1949年に初演された戯曲ですが資本主義社会の中で消費されてしまうセールスマン、あるいはその類の仕事についている人に取って身につまされすぎるお話。人生、家族、人間関係というものについても考えさせられます。

 

60代の主人公ウィリー・ローマンはいくらか精神を病んでいて車の運転も危なくなりつつあります。それでも家のローンなどもある上に二人の息子も頼りにならないので細々とセールスマンの仕事を続けてはいました。しかし雇い主に暇をだされ、今度こそましな仕事につくようなことを言っていた息子にも期待を裏切られ、ついに死を選びます。あらすじをたどるとこんな感じなのですが、主人公と向き合う妻、息子たち、雇い主、金持ちになった兄、隣家の主人とその息子といった人々との会話からさまざまなものが描き出され、緻密で複雑な構造の戯曲です。年老いて落魄した主人公の現在から不意に昔の回想シーンになったりします。私は上演を視てから読んだからこの戯曲の素晴らしさが理解できたけどいきなり読んだら難解だったかも。

 

例えばウィリーが時折カードを共に楽しみ、借金も頼む隣人チャーリィは固定給から歩合給にされて困窮するウィリーを見かねて、自分のところで働かないかと持ちかけますがウィリーはどうしても受け入れません。ウィリーがチャーリィにきかないでくれというその理由―それはウィリーが稼ぎのよいセールスマンで、体格と運動神経に恵まれた長男のビフは高校の人気者だったローマン家の栄光の時代、チャーリィとその子バーナードを友情を感じながらも何となく下に見ていたから。十年以上たった現在、高学歴のバーナードは法律家として成功、ビフは定職につかないまま。チャーリィの厚意にすがるということはいわば負けを認めること―よくプライドとか誇りがゆるさないとか言いますが、それらを分析してみるとこのウィリーとチャーリーのような、せいぜい向こう三軒両隣程度の狭い世界の関係だったりします。でも渦中にある人間にとってはそうは思えないのです。友人は大切ですが、時にその友人に苦しめられてしまうこともあるのですね。

 

ビフもフットボールの才能を評価されて大学進学が決まっていたのに数学で落第してしまいます。それでも夏期講座に出れば卒業できたのにビフがそのままチャンスを逃してしまったの不思議に思うバーナードがウィリーにそれを話すと、ウィリーは怒り出します。ウィリーはビフの不可解な行動の理由は、教師にかけあってもらうようにビフが父の出張先のホテルに来た時、ウィリーの浮気の現場を見てしまったショックではないかと考えています。そしてビフが父のせいで人生を棒にふったと怨んでいるのではないかと。

 

ウィリーのもう一つの痛恨事はダイアモンドを掘り当てて金持ちになった兄のベンのアラスカの森林を管理してほしいという申し出を断ったこと。回想の場面、新大陸で一旗あげようというベンの誘いにウィリーに気持ちを動かしますが妻のリンダが難色を示したため

「どこの街でも電話を取り上げさえすれば生活できる、ダイアモンドが転がり込む」と言ってしまいます。確かにその時の彼は景気が良かったのです。つらい局面で人は選ばなかった選択肢をついつい思い出してしまいますが―アラスカへ行ってもし慣れない気候で病気になったりしたら「おれはトップセールスマンだったのにどうしてこんな辺鄙なところへ来たのだろう?」とか思ってそうですよね。悲劇的な筋の芝居ですが人間の滑稽さも浮かんできます。他にもチャーリーの週50ドルの仕事は断るのに雇い主のハワードには週40ドルでもいいからおいてくれと懇願していたり。

 

クライマックスでビフが大学進学の件も含めて、どんな仕事も長続きせず、うまく行きかけると盗み癖を出したり、エレベーターで口笛を吹きまくったりしてだめにしてしまう真の理由が浮かんできます。フットボールの試合でヘラクレスのように輝いていたビフの

姿が忘れられず、「いつかは大物になる」というウィリーの期待が重過ぎたのです。ビフが自分を恨んでいるのではないと知ったウィリーが息子のために一番いいと考えたのが自らの死でした。

 

考えてみるとセールスマンだけでなく、社会の中では誰でも取り替えがきく存在、10セントよりは高いかもしれないけど政治家や王様でさえ。でも本人にとって自分はかけがえのないもの、その人を大切に思う人にとっても唯一無二の存在。どんな時代でも人はその矛盾に向きあいつづけるのですね。