新編 坪田譲治童話集 新潮文庫1979年
秋になったら落ち着いて読書も長編をじっくりとなどとブログに書いてはみたものの、疲れていると食欲がなくなるように、日ごろ好きな読書もどうもボリュームがあるものには手が出せず、童話ならいいかなと思ったのですが…。
この小さな本に33編、そんなに読めるかなあと思いつつ、読み終えてしまいました。でも童話と申しましても、なんと申しましょうか、ヘビィな展開のものが目立ちます。
おそらく発表された年代順なのでしょうが、冒頭の2編、『正太樹をめぐる』『枝にかかった金輪』は読み終えた後、これ童話なの?って感じ。主人公正太少年は太い松の樹の周りぐるぐる回っている。樹のところから見える自分の家がクルリと回るたびに見えたり隠れたりするのが面白い…そう子供の頃ってそういう他愛もないことが面白くてたまらないのですよね。ですがこの正太くん、庭の椎の木から落ちて亡くなっているのです。結末で正太のお母さんはもういないはずの子供が樹の周りを回る姿を見たり、金輪をまわす音を聞いたり。とにかく正太くん、お母さんが大好きで家事をしているお母さんに自分の方を向いてほしくて、人形に乱暴してみたり、かくれんぼしてみたりしているうちに高い樹に登ってしまったのです。何だかこの母恋しさというのか、親の気をひきたい気持ち、自分の幼い頃にもありました。
『小川の葦』は昔話風の語り口。おじいさんの大切な葦を遊びに使ってしまった少年。「元通り刈って来い」と叱られて葦を探しに行って水死します。『金の梅、銀の梅』は子供の病死を子供の目線で描いています。
そういえば…小学校高学年ぐらいの時、母にこの著者の『善太と三平』のお話を読むことを勧められて、図書館で借りたところ、兄の善太が亡くなってしまう結末にショックを受けました。母に話すと、母も「えっそんな話だったっけ」と言っていました。今回読んだ本にも善太と三平のものが入っています。
ただこうした子供の死を描いた童話を子供に読ませておくことも必要なのかもしれません。人生には思わぬことが起こるということ、自分に万一のことがあれば自分の母も正太の母のようになってしまうのだと学ばせておくために。
『異人屋敷』という話に登場する女の異人はカトリックの修道女。修道院で飼っている犬を異人の年よりが魔法で?犬にされたにちがいないと思ったり、写真を撮る機械を布をかぶって使うのを越後獅子のようだと思ったり、幼い子供の眼からみた異文化が語られます。そしてこの修道院、火事で廃墟になります。『どろぼう』は善太のひいおじいさんが米を盗まれる話です。
『笛』では善太少年が呼子笛に夢中になり、問題行動。子供が何かにのめり込む姿をありのままに描き出しています。とにかく人恋しさ、学校のつらさ、物欲に恐怖、虚栄、子供の意識の捉え方がぞっとするくらいリアルです。
『ひるの夢よるの夢』は戦災孤児の少年が家族揃って食卓を囲んでいた日や学校で勉強していた日を夢に見ます。いい夢のこともありますが、一緒に釣りをしていた友達に「お前浮浪児だろう」と言われてしまったり、お母さんがガケシタにいるから「トビ降りるんだな」と言われたり…自殺願望?著者は実際にこういう身の上の少年の話を聴いてこの作品を書いたのでしょうか。
童話というか子供向けにしてはあまりにテーマが重くて深くて、一つのお話だけでブログを一つ書くべきなのではないかと思ってしまいます。まあ童話というのはあくまでも語りの形式、子供だけがターゲットではないのでしょう。
