新橋演舞場5月公演「籠釣瓶花街酔醒」
今頃になって新橋演舞場の五月公演夜の部の上演の感想をアップするのはどうかと思うのですが、およそ百年ぶりで通し上演された「籠釣瓶花街酔醒」は通信制大学の卒業論文で扱った歌舞伎なので書いておきたいのです。
この時期になぜこのような企画を実施するのか不思議です。芝居の最初で旅人が「昨日、地震が揺れたから」と話すからでしょうか。全編上演といってもやはり初演そのままではなく、現代向けに編集されています。明治21年の初演では蕨八幡で棟上が行われた日に次郎兵衛(次郎左衛門の父)と梅毒を病んだが故に彼が捨てた妻お清が再会します。しかし今回上演は講談にも取り上げられている「戸田川原お清殺しの場」から始まります。お清は乞食ですが梅毒ではなく、捨てられた理由は次郎兵衛が裕福な佐野家に婿入りしたからでした。殺される前のお清は私が論文執筆時に考えていたような「妻の座を取り戻そう」と必死な力強い調子ではなく、哀れな感じで演じられていました。殺しの部分もあまり迫力がありません。次郎兵衛役の市川段四郎はなぜかお清を「おしん」と発音していました。次の場の次郎左衛門役の吉右衛門らはちゃんと「おせい」と呼ぶのです。
お清殺しは旅の途中の次郎左衛門が切り株に腰掛け、居眠りして見た夢という設定です。目覚めたところを盗賊の盲の文次らに襲われ、都築武助に助けられます。一年後、改心したと偽って次郎左衛門宅に入り込んだ文次と手下たちが病み衰えた武助を残酷にいたぶって殺すのが初演台本ですが、この上演で武助は文次らに抵抗したために力尽きて亡くなります。武助の妻千代の母おとし役の片岡秀太郎が気丈で気品があってこの場面の救いになっていました。
吉原の「見染の場」で次郎左衛門をペテン師から救うのがいつもの立花屋長兵衛ではなく、中村芝翫演じる立花屋の大女将お駒でした。芝翫は老齢のためでしょうか、舞台に立っているのがやっとな感じで少々お気の毒でした。
姉女郎九重が八橋に次郎左衛門に詫びることを勧める「九重部屋の場」
があり、八橋は薄紫に鶴の、九重は犬の狆が赤い実をつけた木と共に描かれている打ち掛けを着ていました。ちょっと珍しい柄ですね。
通常は八橋殺しの場で終わりですが、今回はその後の「立花屋大屋根捕物の場」がありました。この場が出るのも数十年ぶりのことだそうです。私がテキストにした台本では立花屋に向かおうとしている栄之丞と権八の前に次郎左衛門が現れて斬りつけるのですが、上演では屋根の上で暴れている次郎左衛門の前に栄之丞らがやってきて挑みます。 着物を肌脱ぎにして水色の襦袢で抜刀した栄之丞は斬られますが絶命はせず、肩の傷を押さえて見得を張り、次郎左衛門ははしごではさまれたところで幕となります。
以前大学のゼミにいらしていた歌舞伎通の方がおっしゃっていた通り、吉右衛門の次郎左衛門は幸四郎よりもはるかによく、振られ男の悲哀、刀を抜いてからの怨念の強さが感じられました。八橋は福助で栄之丞は中村梅玉でした。わりと人間の出来た雰囲気の栄之丞でした。下男治六役の中村歌昇が上手だったように思います。パンフレット巻末のインタビューで俳優たちが口々に「見たこともない場を演じることになった」と言っています。