子育てとは「自分にとって」なんなのか | 非日常は日常になる〜妊娠・出産、育児で感じること〜

非日常は日常になる〜妊娠・出産、育児で感じること〜

2015年7月、鉗子分娩にて長女出産。
子どもは望んで産んだけど、産後がこんなに辛いなんて聞いてない!
分娩の状況や、お世話もままならない産後の生活、その時感じた気持ちをありのままに綴っています。何かのお役に立てれば幸いです。

「子育て」
「奉仕活動区分」
にしているのではと
思った。


近頃少しでも気に入らないことがあると、食事の皿をすぐぶん投げ、床におかずやコメやうどんパスタをばらまく娘に対して、食器を叩きつけて1歳11ヵ月と同じように怒ってしまう…
たかだか子ども相手にホントどうなのかとほとほと自分に疲れているのだ。

せっかく作ったのに悲しい。。
どうして⁈食べたくないのか。。
やってやってんのになんなん⁈

いろんな黒い感情が交錯して、プチーーーンと見境なくなってしまう。
でもこんな怒り方は子どもに恐怖だけ与えて逆効果だろうし、どうにかしたい。切実に。


ここで、
奉仕活動について調べると、
「社会や他人のために尽くすこと」
似たような言葉でボランティアもあるが、こちらは
「自発的で拘束されない行為」
とある。

やっぱり。。
私にとってボランティアではないみたいだな、子育ては。
ボランティアだったらきっとこんなに怒らないもん。
献身でもないなこりゃ。

自分で選んで産んだけど、こんなに頑張ってるんだもん!見返りも欲しいし、感謝されたいの!奉仕してるんだもん!!せっかくのごはん邪険にされて悔しいしムカつく!!
という気持ちがムクムク。

ここで
何言ってるの⁈親だから世話するのが当然でしょ!まだ一人で何もできないんだから!
とか思われるかもしれないんだけど、世話しないっていうわけじゃなくて、

私が
・子育てを奉仕活動であると認識してること
・見返りや感謝が欲しいと思っていること
・でも精神衛生的にも教育的にも見境なく怒るのはやめたいと思っていること
をきちんと認識した事実が大事なんだと思うの。

私が子育てを奉仕活動と認識した以上、自分で自分の機嫌を取らねばいけないし、自分をきちんと労って、褒めてやらないといけないのだと思う。
きちんと自分のケアをすること。もしくは旦那、家族、周りの人に感謝や労いの言葉をかけてもらうことを優先すること。
娘は感謝してよーって言ってもまだしないだろうし今はまだできないからねー。

見返りを求めないのが美しい行為だとは思うし、そうであるのが正解なのかもしれない。

でも私は見返りを求める自分を否定することはもうできない。もう綺麗事で自分を誤魔化せない。
今までは見返りを求めた自分を恥じて、世間的にどうなん?こんな自分ダメだな、ダメな母親だとグズグズしてたと思う。

嫌な感情やゲスい自分を認めた上でどうするか考えたいし、対策は必ず打てるはずなんだよね。

母親だからっていう固定観念が自分を苦しめるくらいなら、それはもういらないものなんだ。