桑田先生のWikipediaを見ると涙目になるのは、僕がそれだけ桑田先生を好きな裏返しになるのだろうか?
今回、桑田先生以外にも手塚治虫含む10人近くの大御所漫画家にも触れた。
そして大御所漫画家のほとんどのWikipediaは、充実した内容だった。
それはいい、でも桑田先生は…
あれだけ昭和30年代の漫画界において八面六臂のご活躍をされた方なのに、この扱われ方…
日本の漫画産業はもちろん、日本の文化にも影響を与えた人物と思われるだけに、この扱われ方が僕には納得いかなかった。
それでは桑田先生の現在の評価とは一体どんなだろう?とフト興味が湧き、2ちゃんねるを見ると興味深いスレを発見した。
『日本漫画史上最も重要な作品&作家100』
これは2年前に立てられたスレで、現在も継続しているのだが、桑田先生が一切入っていないのである。
まるでそんな人物は過去この世に存在しなかったのように…
これには唖然としたが、一方で桑田先生の人生の足跡を見ていた人間としては当然かもしれないとも思えた。
これが30年前に立てられたスレなら間違いなく話題に出たであろう桑田先生…
早すぎた天才という称号は、桑田先生にこそ相応しい言葉だと僕は今でも思っている。
かといってWikipediaへの加筆や、2ちゃんねるへの投稿をするほどの気持ちには僕もならない。
世間がそう思うのならそれも1つの答えなのだから…
だから今回、僕は知られざる桑田先生の姿を浮き彫りにするよう、出来るだけ丁寧にこのブログで桑田先生について書いたつもりだ。
13歳で漫画家デビューし、鉄腕アトムの代筆も行い、日本が世界に誇るゴジラにも密接に関わり、日本の国内TVヒーロー1作目にもタッチしていた。
おまけに当時の執筆量も多誌に渡り、大手雑誌には原稿を書かず、あくまでも中小雑誌を中心に…
TVアニメは国内3番目に作られ、新作の主人公のデザインを小学校まで出向き、児童たちの意見を参考にする(キングロボ)。
強きを挫け、弱きを助けるを地で行動した人物
それこそが桑田次郎という天才漫画家なのだ!
これをご覧の貴方なら、桑田先生が本物の超一流漫画家の一人『だった』と同意して下さいますよね?
だから彼の伝説が完全に風化しないよう…
せめて…せめて
このブログでは永遠に残したいと思う。