だが、発信もそうだが、許可を得なかったのがもっと悪かった。
そして、僕は『今日は非常事態なんだから!』を主張した。
しかし、それは自分の行動を正当化としてとの発言とは決して違った。
物事は決して1つだけでは判断出来ない。
僕はワーストを考慮しての行動だった。
だが、仲間と全く話が噛み合わない会話になったのは、この日が初めてだった…
話し合いは夜まで及び、ジャーナリスト魂ではなく
上っ面魂
と仲間から言われた。その通りだと時間の経過でたどり着いた僕。
一度誤った認識をしてしまうとそこからの脱却が如何に難しいかを一昨日僕は高い授業料を払って学んだ…
またも話が脱線し、話も違う流れになりそうなので元に戻す。
溺れる者が頼る藁は、実際には掴んでもそれを頼りに浮き上がることはまだ出来ない…
もうワンクッションの何かが必要なはずである。
なので人生訓というより、実質的な意味も込めての造語だった。
僕は造語をちょくちょく自分で作る。
多分、言葉遊びの趣味の延長なんだろう。
最近なら『適正率』がそうだ。
本来、適正という言葉はあっても、適正率という言葉は日本語として存在しない。
そして適正の意味は
適当に言ったのが正しい
まさに業界予報に相応しいじゃないか!
と、思わず自分でも初めて意味を知った時には笑ってしまった。それで、そのまま率を加えた適正率を見て、これだ!になった。
そうして出来た言葉だった。
言葉にはセンスがあって適正率なんてナンセンス、いやセンス0のはずだ。
だが、僕はそんなオリジナル造語が結構好きだったりする。
だけど思えば、このテのネタの誕生秘話は自分にとっては面白いのが多い。
『本気で!!』は、現在では強烈な想いの意味に該当するが、当初は!!がなかった。
そしてただの『本気で』だと関西弁の『本気で(すか)?』と反意語にも解釈出来る。
そんな背景を得て誕生した造語だった。
それもこれも全てはこの藁はしょせん藁が始まりだったんだな(苦笑)。
僕は懐かしい思い出に耽った。
この言葉には仲間を非難する気持ちが一片も込もっていない。
そして願わくば、仲間に遠回しの皮肉と解釈されない事を祈るばかりである。