谷村パチンコランドの思い出(その1) | 不屈座のブログ

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今朝、起きた時は何も考えていなかった。

だが、僕の知らないところで『CRフィーバークィーンの謎』プロジェクトが進んだ以上、僕もウカウカしていられない。

『CRフィーバークィーンの謎ZERO』をいざ64ページにすると決めたものの、それこそ

ページ割り振り(目次)

が、出来ていなかった。想像をいざ具現化するのが、こんなに難しいとは…

この2、3日この作業が全く進んでいないこともあり、今日は1日これに関する作業の日にしようと決めた。

そしてページ構成についてあれこれ考えていたら…

あれ?この本に広告を入れても何の問題もないのか?

に考えに至った。というのもN部長も僕も『CRフィーバークィーンの謎ZERO』に関する詳細

印刷費用や販売場所に対する対価の支払いについて等

まさか、印刷費用も全部パワーホールグループ持ち、ショバ代(笑)も無料って

そんなアゴ足付きなわけないでしょ!

それに本の売り上げのマージン問題?もこれから出てくるだろうし…

それにも備えて広告というか宣伝を僕は考えてみた。

具体的には64ページのうちの57~64ページを広告ページにするのである。

ここにパワーホールさんが自社グループの宣伝が出来るのなら、パワーホールさんも喜ぶだろうし、もしもこの企画が上手く行けば、N部長の手柄にも繋がる。

あっ、ここで僕は手柄の言葉で、ある人物が頭に浮かんだ。

それは谷村パチンコランドのトシ編集長だった。

僕とトシ編集長は、それこそ一心同体で、谷村パチンコランドを支えあった仲だった。

それこそ僕は縁の下の力持ちが相応しいほどの活動ぶりで、それを証明するのは

谷村ひとし先生

の次に外部スタッフで、僕が一番の報酬をもらっていたことだった。

だが、この報酬は特例の破格な高額だったため、当時の谷村パチンコランド編集部にとっては頭痛のタネだった。

つづく