僕のパチンコデビューは、初代のCR必殺仕事人からなんですが、ちょうど、ホールから撤去される時期でした。
当時は、まだ、パチンコ業界のイロハも知らない青二才で、全国どのホールに行っても、CR必殺仕事人がある!と勘違いしていた
おめでたい若造
でした。
ある日、遠方で買い物をし、その帰りに、今は無き、とあるホールを通ります。
よせば良いのに、パチンコの熱病にかかった時というのは、こういう症状なのでしょうね。
パチンコがしたい、CR必殺仕事人が打ちたい…
かくして、そのホールに足を踏み入れるのですが…
そこには、CR必殺仕事人が設置されていないホールでした。
それなら大人しく帰れば良いのに
足を運んだ以上、何か打たなきゃ…の衝動に駆られて打った機種が
初代のフィーバークイーンでした。
このホール、今思えば
SANKYOの直営店か!
と思わすほど、新旧機種を交えたSANKYO機種で、占め尽くされていました。
当時、最新機種は、CRフィーバーロード・オブ・ザ・リングだったと思うのですが、
僕は何故か、ホールの隅に設置していたフィーバークイーンに着席しました。
理由は、見るからに古い機種と思い
希少価値
に思えたことと、初めてドラム機種を見た新鮮さが入り交じったからでした。
しかし、結果としては、ベテラン機種に、モノの見事に叩かれ
人生初の1000ハマリ
という体験&授業料を払いましたね(しみじみと)。
この時…特に1000ハマリが近付く頃の
圧迫感という感情が時折
フラッシュバック
として今も甦ります。僕が受ける感情は
胃が締め付けられ、息苦しさを覚えたのでした。
大当り確率の2倍前後の、500回転をハマっていた頃は
どうして当たらないんだ!
の怒り心頭でしたが、1000が近付く頃には
涙目
で、止めるに止められないジレンマと、1000回ハマリをしたらさすがに止めよう
の気持ちで、揺れていました。
そして…パチンコの女神様は、とうとう最後まで現れず
1000回転目のハズレを確認して勢いよく立ち上がり、ホールを後にしました。
余談ですが、これをきっかけにパチンコから足を洗っていたら、当然、業界人にはなっていないでしょうね(苦笑)。
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