書きっパやった 母の診察日のこと。

さすがに丸8年も見ているとCT画像の変化にも気づくし

先生の対応で良くない話なのはわかるって。

 

最初に2枚並べて映し出されていたのは

いちばん小さかった時のヤツと当日分。

「あえてわかりやすく最小のものと」って言うけど

いやいや前回からの変化の方が重要でしょう。

 

5/19撮影 約13㎜   

12/15撮影 約15.9㎜ ←ほぼ16だが気づかないふり

 

わずかな成長だが 先生の勘なんやろうね。

そろそろ気管支鏡検査をって流れに。

リキッドバイオプシーじゃダメなのか聞いてみたけど

保険適用2回しかない機会を使うのは今じゃないと。

 

先生の狙いはT790Mが出てタグリッソへ移行。

当時出ていなかった他の変異について調べないのか質問。

明確な答えはもらえなかった。期待薄ってことか。

 

 

 

 

母がなんでそこまで気管支鏡検査を拒むかというと

1回目の検査が死ぬほど苦しくて怖かったから。

8年前って局所麻酔だけでやっちゃうこともある時代。

 

「くわしく当時のカルテ見てないからわからないけど」

と言いつつ十分その可能性あったように先生は言う。

「次にやる時は お薬でしっかり寝てもらうから

大丈夫ですよ」と母に一生懸命説明してた。

 

母はそれで安心したような顔を一瞬見せたが

根本的に「気管支鏡が怖い」のではなく

「ヤツがでかくなってきた」

「ジオちゃんが効かなくなってきた」ことが

最大の困り事であって 重たい空気背負って診察室を出た。

 

お会計待つ間も「検査やったら入院か~」とか

「お稽古仲間には病気のこと言ってないからな~」とか

本質を避けるような発言ばかりで 現実逃避気味。

 

ワタシですら逃避したいもん。

母の反応は正しい。

 

 

 

そうそう 血液検査ではいつも通りに

高いものは高いし 低いものは低い。

シフラがまた高めだ。これが気がかり。

CEAは変化なし。いいとこ探ししよう。

 

これまで診察3回ごとに受けていたCT検査が

次の次に繰り上げ。

気管支鏡検査入院は早くても4月以降でしょう。

来年度は自治会やお稽古事の役員を引き受けないよう

念を押しといたけど覚えてるかな。

 

次回診察は10週後が祝日なので9週後に前倒し。

これは憎悪だからってんじゃなく

お薬処方できる最大量が11週後だと超えてしまうから。

CTの間隔が短くなったけど 診察の間隔が変わらんってことで

切羽詰まってないと信じることにします。

 

 

 

 

 

 

買い物などを済ませて 実家での昼食は2時半になっていた。

大好きな鉄火巻きを頬張りながら

「食事美味しく感じるから大丈夫!強くなったでしょ?

宣告受けた帰りは 何も食べられなかったものね」

って明るく笑う母に対して

「夜もしっかり眠ってね」

って声かけるしかできなかった。

 

しっかり眠って しっかり食べる。

これができている間はきっと大丈夫。

 

 

 

   上矢印

2015年に母ががん宣告受けるまでの流れと

その後紆余曲折の末ジオトリフ飲み始めた話。

 

先日 当時の古い書類探し出して母が確認したところによると

術前説明に使用したであろう図に示されたのは40㎜のヤツであった。

11/2の手術より前の10/23の日付。

切除できれいさっぱりすると信じてた頃。

「T2a N2 M0 →ⅢA」の記述あり。

 

最終的にステージ4になるんやけどねネガティブ