西本願寺と秀吉さん | 不思議な日常の出来事

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2014年の3月に初めて仙台に行ってから武士さんとご縁を頂くようになり神社仏閣に行くようになりました。
神仏や武士さんとの体験談を載せていければなぁと思っています。

前回の続きです。

秀吉さんのお墓参りの時なぜか西本願寺に行くように言われバスで向かいました。


こちらは西本願寺前の道路を挟んだ向にある門です。
昔はここまでが西本願寺の敷地だったそうです。しかし道路を作った為にこの門だけが孤立した様な形で残っています。

西本願寺からこの門を抜けて東に伸びる通りを正面通りというそうなのですが帰ってから調べるとびっくりする事が分かりました。
この正面通りを真っ直ぐ東に進むとなんと秀吉さんのお墓の豊国廟に行き着くそうなのです!
実は西本願寺は秀吉さんと関係が深いお寺だという事が帰ってから分かりました。

西本願寺をこの地に建てるに至って尽力して下さったのが秀吉さんだったそうです。そして亡くなった後この西本願寺のお力を頂ける様に西本願寺から真東にあたる山の上に自分のお墓(豊国廟)を建てられたんだとか…
しかし徳川家康さんは西本願寺と豊国廟を結ぶ道を遮断するかの様に東本願寺を建てられました。

家康さんがされた事はこれだけではなく秀吉のお墓をまずは破壊、秀吉さんを豊国大明神として奉っていた豊国社を無くし秀吉さんを奉れない様にされます。
豊国社の下にあった鶴松君の菩提寺も取り壊しその代わりに秀吉さんと仲が悪かったお寺二つをお墓への道を遮る様に建てられます。
そして西本願寺との間に東本願寺を建ててお墓への道を防がれる…簡単に説明するとこんな感じです。
家康さん徹底してはるなぁとある意味感心してしまいました(´θ`llll)

さてさて前置きが長くなりましたが西本願寺、新選組が大好きな友達の話では昔新選組の方々が屯所か何かで使われてたお寺だそうです。


こちら入口の門です。

私はこの門から入らず北側の入口から入ってしまいました。
帰りはこちらの門から帰りました。

境内には大きな建物が二つ並んでいて渡り廊下で間を行き来できる様になっています。


こんな感じです。
手前が御影堂、奥が阿弥陀堂です。
二つの御堂供に只今工事中だそうです。

今回なぜか私は阿弥陀堂を素通りし御影堂に行ってしまいました。


こちらが御影堂。
近くまで来ると曇っていたのに急に太陽が出てきて御堂が凄く綺麗に見えました(*´ω`*)

御堂の前で手を合わせ御礼を申し上げていたのですが御堂の中から凄く大きくて優しい気が伝わってきてビックリしました。厳しいピシッとした感じではなくて優しいのです。
わぁやっぱり西本願寺は凄い所なのだなぁと思いました。

今回は豊国神社から始まり豊国廟、新日吉神宮、そして西本願寺に参拝させて頂き秀吉さんに関係していた神社仏閣の歴史を知る事ができました。
なぜ教えて下さったのかは分かりませんがなんて言いますか…歴史って奥が深いなぁと改めて思ってしまいました(^_^;)
にしても冬の京都寒かった…