カバー写真に比べて、

相当、ハードな内容です。


あしからず。





一応、20年前の作品だから、

見たこと無い人にもある程度は、わかるように書かなきゃだけど。


もとい。




アーチャーの名言としては、



『別にあれを倒してしまっても構わんのだろう?』



ってのが、言ってみたいモノとして有名なのだけれど。


最近、

ここ数日の病み病みデーの中で、



『理想を抱いて溺死しろ』



っていう名言に、思いを馳せることが多い。





あ、Fateね。



思えば、20年前。

TYPE-MOONから発売されたエロゲだったFate


エロシーンよりも、士郎が死ぬバッドエンドシーンの方が5倍くらい多い、衝撃作だったけど。


当時は、声も無かったし。


でも。


本当に衝撃だった。




ちなみに、ビジュアルノベルゲームのFateには、ルートが3つ有る。

セイバーをヒロインにしたルートが、『stay night』いわゆる、一作目アニメのストーリー。

そして、
劇場版を経て、アニメ化された凛ルートが、『Unlimited Blade Works』
だ。


アーチャーの宝具、固有結界『無限の剣製』から来ている。


そして、最近まで劇場版でやっていたのが、桜ルートの『Heaven's Feel』だ。




ルートが進むたびに、ちょー暗いし、ちょー重いし。

Heaven's Feelのストーリーのヤバさは尋常じゃない。

思えば、僕のダークファンタジー好きも、

女神転生
Fate
まどかマギカ
ひぐらしのなく頃に


この辺から形成されているのだろうが、中でもFateは相当だと思う。




僕は、主人公の衛宮士郎を好きになれなかった。


なんでかは解らない。

20年前だからね。


論理的ではないし、

計画的でもない。


ただ突っ走る、

誰にでも優しい、

正義の味方。


普通にゲームをプレイしてみれば分かる。



あの性格のせいで、何回殺された事が。


ランサーにも、ライダーにも、キャスターにも。

そして、イリヤにも。


あんだけ、プレイヤーを恐怖に陥れて、ぶち殺しまくってくれたイリヤスフィールも、もはや、こんなんなってるのは笑うけどね。




うん、可愛い。

『ふふ……早く喚び出さないと、死んじゃうよ?』

って言ってたアイツはどこへ?




まぁ、いいか。


話を戻して。


なんかさ、
士郎の正義って歪んでるじゃない。

10年前の聖杯戦争で、大災害が起きて
自分一人だけが生き残った。

衛宮切嗣に拾われて、養子となったが、
『自分の命は誰かの為のもの』
『死んでも他人のために生きる』
みたいな?

だからこそ、アーチャーの言葉が生きてくるんだけど、

Fateは、Unlimited Blade Worksが無いと成立しない、最もメインのストーリーが、UBWだろう。

UBWルートで明らかになる。

正義の味方として、他人のために生きてきた士郎の辿った道は、
結局、人のエゴに利用され、
他人を救うために、別の他人を不幸にして、
他人を救うために、別に人間を殺して、

その結果、
救ってきた人達に
殺される。

全員を救うなんて無理で、
全員の正義なんて存在しない、
正義の味方なんて存在してはいけない。


だから、士郎の未来の姿である、英雄となったアーチャー、一方の正義の為にもう一方を殺戮する"掃除屋"となったアーチャーは、
そんな正義の味方になろうとする、
全員を救うヒーローになろうとする士郎を
『理想を抱いて溺死しろ』
と言い、
殺しに来る訳だけど。

そして、
『俺は、お前にはならない!』
と、頑なに戦う士郎が、眩しく、、、

は、全く映らなかった。

遠坂凛が居なければ、衛宮士郎は、アーチャーになっていたはずだったから。





今の世の中には当てはめてみると、
ってか、現実に当てはめてみると、

会社でもなんでも、
特に、劇団運営なんかは、

『理想の形』を体現するのは難しい。

みんな、自分が一番
みんな、自分勝手
みんな利己的な生き物

それは良い。当たり前だ。

しかし、
何かの集団に属した瞬間に、

自分の正義 ≠ 集団の正義

だし、

自分の正義 ≠ 別のメンバーの正義

である事は前提である。



自分の正義 = 会社の正義
自分の正義 = 団体の正義

が成り立つ事なんてあり得ない。


なせなら、
自分の正義
には、
自分の我儘
自分のみの利益
も含まれるからだ。


だから、というか、たまに、

自分の正義を主張するために、
他人の事情、思惑、正義を全て無視するトンデモ理論が現れたりする。






えーっと。

分かり易い例えを言うと、
カイジとか、ナニワ金融道とかで、ありがちな話なんだけど、

金融業者に金を借りた人。
その時点で、その人は、
『金を期限までに返す義務を負う。』
わけだ。

で、返せなかったとき、あるいは期限ギリギリの日なんかに、取り立て屋に、怒鳴られて、暴言を吐かれ、罵られる。

そんなシーンはよくある。

しかし、そんな時に、
『取り立て屋に、人格否定された。あんな暴言を吐くなんて、人としてあり得ない。アイツラはクズだ。だから金を返さなくても良い。』

とか言うナゾの正義理論が存在するわけだ。

いや、契約して、返さないお前が悪い

なんだけどね。どう考えても。



実はこれ、
演劇の稽古の現場でも多々ある。


例えば、過去にあった例をあげよう。



、、、僕の現場では

台本の読み方を事前に(ブログで)教えて、
台本も数ヶ月前に渡し、
初めは優しく、丁寧に演技指導し、
何が足りないか、どこが苦手か、を明確に教えて、
僕自身もやって見せて、
居残りも付き合い、

それでも、

何度言っても出来ない。
何度言っても準備不足、分析不足。
他の人の稽古時間もどんどん侵食していく。

そんな役者が居た場合

僕には、舞台を最高のモノにする義務がある。
他の俳優達が損しないように、その人を仕上げる責任がある。
そして、全ての役者には、僕の要求に応える義務がある。

だから、間に合わなそうになれば、上達が見えなければ、強めに怒る。かなり厳しい事も言う。
そんなときもある。
勿論、そんな事は言いたくはない。
しかし、仕方無い。
『これまで、脳死して自称役者でやってきたかも知れないけど、役者でもなんでもない。』
『舞台上で、それらしく暗記したセリフを言うだけなら、小学生でも出来る』
『役者やめた方が良い。向いてない』
くらいは全然言うよね。
勿論、最後の最後にだ。
別に嫌味とかではない。

素直にそれが最善だと思うから言う。

申し訳ないけど、
ここまで、至れり尽くせりしてもらって、これなら、仕方無くないか?

なら、もっと向いている事に向けて時間を使った方が、本人のためでも、社会のためでもある。


良い作品を作ること
一人でも拙い(とお客様に思われる)役者を出さないこと

これは、僕の責任であり、義務だ。
そして、僕の為の行為という一面はほんの少し。基本、俳優全員の為であり、お客様の為だ。

一人のせいで、
作品の質が落ちる事は、
全員のモチベーション、評価、やる気、今後の関係など、様々な事に影響する。

そして、その人自身も、著しく、今後の評価を下げることにもなりかねない。


ところが、こんな時
たまにいるんです。

『恫喝している』
『人格否定だ』
『言い方がキツイ』

とか、裏で言う輩。

もちろん、思う分には良い。
僕だって、ムカつく現場では、沢山思ってきた。
しかし、口には出さない。

本番終わって、
二度と出ない、一生関わらないと決めた現場に対して、初めて口に出す。

それも、Twitterとかではなく、実名を伏せて、ここで、とかだ。

口に出した時点で、
もうそれは覚悟を決めて貰いたい。


ちなみに、
特に、本人以外ね。たちが悪いのは。


過去に僕に凹まされて来た役者さんたちは結構居るけど、

まぁ、大体、なんとかコツを掴ませて、
間に合います。

間に合えば、僕は、
『コツを掴んだね? もう大丈夫だから、忘れないで』
『良く頑張りましたね』
と、労います。

みなさん、僕から見てもめっちゃ上手くなっているので、最後には、

『あの時はスミマセンでした』
『お芝居のやり方を本当に教えて貰った』
『感謝してます』
『今後は手間を取らせませんので、次回もお願いします』

って事を御本人から言って貰うことも多い。

御本人も、
出来ていない事、
迷惑をかけていることを自覚していらっしゃるから、そんな苦言を呈することはまぁない。

僕も、当然、
『あの時は言い過ぎてスミマセン』
なんて事は絶対に言いません。

『良かったですね。今後はどの現場に行っても通用するので、忘れないでね』

と言います。



役者なら、経験あるはずです。

何年やっても、上手くならないのに、ある一つの舞台に出たら、そこから人が変わった様に上手くなった

そんな現場が。

僕は有ります。

そして、何故かも分析しました。

そして、そういう現場にしよう、
として、
そういう現場にしてます。


10年、20年演劇やっても、ちっとも上手く無く、なんとなく、雰囲気だけで台本読んで、なんとなく暗記して、俳優だと自称して、セリフ言ってた素人が、
(↑実は結構多いですから)

たった半月の厳しい稽古で、

プロの技を身につけた。

それを、実践した。

出来れば、稽古期間の余裕のある時までに、優しく対応している間に、その域に届いて欲しかったけど。

まぁ、結果、出来るようになったから、良かった。

そして、
公演後は、御本人とは、とても友好的な関係を築いている。

指導料を取っても良いどころか、出演料を払っている。

こんな、ハッピーな事はない。




にも関わらず、だ。


そこに、
『演出家が、役者を恫喝している』
『あの人が可哀想』
と、

別の大人な俳優さんになればなるほど
『演出にあそこまで言わせちゃ駄目だよ』
『言われるのは仕方無い』
と言う意見も出る中で、だ。



はぁ。

マジで、無理。

なんだ?

なんの正義の味方なんだ?

全ての状況、条件、責任と義務、金、時間、などを考慮して言ってるのか?

作品力に真正面から向き合って、
拘束日数も最小限で、
拘束時間も最小限で、
ギャラの支払いは最速で、

ここまでホワイトな現場に当たっても、

それか、、、。


『厳しく接しなくても、確実に間に合う公算』を理論的に説明して、納得させる証明が出来るならば、僕も謝りますけど。してくれます?

あるいは、

『優しく指導して間に合わなくて芝居が良くなかった不利益』
と、
『そのお陰で刹那的に嫌な思いをしないですむ現場だった事による利益』
を比べて、後者が上回ることを証明してくれます?

いや、それくらいして欲しいものである。




でも、大抵のこういう場合は、

その瞬間、瞬間のお気持ち表明に過ぎない。



しかも、
それを誰かに言って、
それが、僕の耳に入って、
『一番損するのは本人』


という当たり前のことすらわかってないのだ。

いや、勿論、
『岡本とは二度と仕事しない!』
と決めているのなら、別に構わない。

それならば、まぁ、お互いに合わないのだろう。


しかし、それにしても、

そこまでして、
何故、
正しいかもわからないお気持ち表明をするのだろう?

世の中はかくも、こんな事例ばかりなのか?



とまぁ、
そう思った過去の出来事でした、と。




いやね、

良い作品書いてさ
一生懸命みんなで頑張ってさ
出てくれる人も、良い人たちばかりでさ、
お客様を感動させてさ

そうなりたいよ。
そうやりたいよ。
いつだってそう思ってきた。


でも、
なんだろうね。

なんか、僕の言葉や、想いが届かない人が、
どうしてもいる。



言葉狩りする人も同じ。

コメンテーターの発言とか、芸人の発言とか、発信者の言葉、単語一つ一つにイチャモンつけるけどさ。

勿論炎上やむなし案件も有るけどね。

『圧倒的に発言の量が仕事として多い』
人は、確率論的にも、
『意図せずに誰かを不快にさせてしまう確率は高い』
わけだ。

僕は思う。
『あなたが、あそこに座って、毎日コメント求められたら、あの人よりも炎上すると思うけど?』
『あの人と同じ分量、発信してみれば?』
と。



例えば、

毎日車に乗るタクシーの運転手さんは、
切符切られる可能性は、公道にいる時間的に、誰よりも高いわけで、
そこに、
ペーパードライバーのゴールド免許の一般人が、
『違反するとか、車に乗る仕事をする資格ねぇよ』
とか言う。
100%自分の正義を疑わずに

ここは、そういう世界。

『え? 毎日車に乗るんだから、仕方無くない?』

僕は、そうとしか思わないのだけどね。

更に言えば、

『黄色信号で止まったら、客に怒鳴られたり』なんて事もあるだろうに。

くらいまで思い至ることは出来る。

そこで、
『違反するとか、車に乗る仕事をする資格ねぇよ』
って堂々と、1ミリの疑いも無く、100%正義として発言する人と果たして、わかり合えるのか?


って話です。
簡単に言うとね。

そして、当然。
稽古の現場でも。

脚本意図、演出意図、演技指導、修正点、方向性、運営方針、事務伝達、、、

例えば僕の、発言、発信の量は、
他の人の50倍〜70倍はある。

そこで、
全てにおいて清廉潔白で、道徳的で、
かつ効率的で、
かつ目的必達な、
そんなコミュニケーションを心掛けろ!


そんなの、出来るわけ無い。
それを求められたら、演劇なんて、演出家なんて出来るわけ無いんすよ。


そんな、
想像力すら、
求められない。

そんな世の中になりつつある。





そういう人には、

『理想を抱いて溺死しろ』

と言ってやりたい。




、、、のだが。

実は、ここからが本題。






そう言い続けなくてはならないのならば、

どれだけ努力しても、
どれだけ無償で仕事しても、
どれだけ色んな人の事を考えても、

そう言い続けなくてはならない人間が、
僕を侵食し続けてくるならば、


思うのだ。

このまま『理想を抱いて溺死する』のは、僕なのでは無いかと


衛宮士郎のように、

演劇を少しでも良くする
みんなを救う
みんなの為に

と思って、思って、頑張って、辿り着いた先に、

救おうとした人達に、殺される。

未来があるのならば、

未来から、アーチャーが来て、

『その理想は幻影だ』
『理想を抱いて溺死するな』

と言ってくれるだろうか。


僕の宝具
絶妙な方向転換
で、なんとかなるのだろうか?



ともあれ、

この脚本家・演出家という仕事を続けて行く以上、

理想は抱き続けなくてはならない。


願わくば、


関わる人間が、皆
お互いに浮き輪を投げ合う関係でいられればと、

切に願う。


まぁ、叶わぬ理想なのはわかってるけどね。



機動戦艦ナデシコ
の第5話(?)で、寄港直前にコロニー、サツキミドリが爆破されて、クルー全員が忙殺される。誰もコロニーの全滅を、見たこともない住民の死を心から悲しむ人なんて居ない。

コロニー住民の葬式はナデシコの義務。
忙しい。
めんどくさい。

そんな中、通信士のメグミだけが、通信中の人が死ぬ瞬間を直に感じてしまう。

直前に友人の死を目の当たりにしていたアキトと、メグミだけが、人の死に心を痛める。

アキトがメグミに漏らす、

『みんな、人が死んでもどうでも良いんだな』
『俺一人頑張って、俺一人藻搔いて、俺一人どうしようも無くて』

っと。


思えば、
あれほど、

人はそれぞれの別の正義を振りかざして、
その正義が色んな人を巻き込んで、傷つける

それを学んだアニメは無かった。

そして、
悪役として描かれ、
最後は主人公のアキトと一騎打ちする、ラスボスとしても描かれたアカツキ・ナガレだけが、

結局、最後まで、最も、色んな事情を考えて、
色んな人の事を考慮して、行動していたのだと思うと、本当に感慨深い。






なんか、とっても、思い出してしまった。








そして。
とりあえず。


26年前のアニメのシーンが即座に蘇る程には




結局、

まだ、絶賛病み病み中であることはわかった