本日もお越しいただき

有難う御座います。



本日はYouTubeの動画より。

先日アップされた最新版です。


早速ご覧ください↓




 今を紐解く=いまとき

 

意外と人は

分かっていることでも

分かっていないことが多いもの。

 

ちょっとした違いも

こまかく識ると

 

「それ、知ってるよ」の理解度が上がり

生命エネルギー、精神エネルギーが上がります。

 

かっこいい生き方ができるように

今回も「いまとき」のお時間です。

 

 

 

今回のテーマは

 「大人が学ぶとは!?」

 

 

耳で聴く方が記憶に残るよ!

イメージしやすいよ!って方は

そのままお聴きくださいね。

 

 

目で見た方が記憶に残る!

イメージしやすいよ!って方は

文字起こし、ご活用ください。

 

 

 

 

耳で聴きながら

目で読みながら

 

何度も聴いて

 

大人が学ぶと生き方がかっこよくなるんだ!

って子どもたちにかっこいい背中を見せれる人が

増えますように♡





 

それでは宜しくお願い致します↓

 

 これも意外と大事なところですよね。大人が学ぶということをやっと世の中浸透してきたのかな。でもまだまだどういうこと?って思ってある方々も多いでしょうから、その辺を紐解いていけたらなと思います。子どもが学ぶのは当然のように思っているでしょうね、大人は。もちろん子どもは学ぶべきことが多いと思うけど、大人も知らないことだったり、まだまだ学び吸収していかなきゃいけないことだったり、まだまだ未熟なところもあったりするので、この大人が学ぶという姿勢も、結構大事だなと思うところですけど。まぁ3人は、この学ぶという事に対してどんな風に思いますか?もしくは昔どんな風に思ってました?

 

 僕は大人になっても学ぼうとはしてたんですけど、その学ぶっていうのが自分になにか身につけることっていう視点で学んでて、苦手なことを克服するために学んでたりとか、スキルを自分に身につけるために学んでたり、っていうところで学んでることが多かったですね。あとは誰か凄い成功者がいらっしゃって、その成功者のようになりたくて学びに行くとか、っていう学び方が昔は多かったです。

 

 それは実際やってみて、どういうところに氣付きました?

 

 そうですね。今だから思うけど、その時限りのスキルも資格とるために勉強して、いざ資格とったらもう忘れてる...身になってないみたいなこともありましたし、自己啓発も成功してる人の教えを聞いて真似しようとしてたけど、やっぱ人が違うから同じようにはなれなくて苦しんでたりとか、

 

 そういう時期があった?

 

 そういう時期がありましたね。

 

 なんかそのスキルをさっきに身につけようって言ったやんか。身につけようって言ってはいたけど、知識を得ようやんね、それは。

 

 そうですね、はい。

 

 だけん教科書に書いてあることを覚えてて、テストがあるときにちゃんと答えれるように知識を得ようって。ビジネスでいったらそういう場面がきたら、そんな風にやれるように知識を得ようみたいな、ところやんね。でも氣持ちとか心が乗ってないとやれなかったり、怖がって勇氣がでなかったりすることもあるけんね。

 

 はい。あとさっきみたいに、その場限りで忘れてしまったり。目的が資格を取ることになってるから、例えば介護の仕事をやるとして、資格をとるためが目的だとその場限りだけど、おじいちゃんおばあちゃんのこの為にとかってやってるとまた違ったのかなって。

 

 氣持ちがむいてるのか、その技術的にできるのか、のところやね。でも一夜漬けの勉強みたいな感じだったら忘れるなぁ。

 

 忘れましたw

 

 そうだよね。じゃあ、まさるの今の、大人が学ぶ、自分が学ぶという感覚は昔とはどう違うの?

 

 そうですね。自分に何かを身につけるではなくて、自分そのものを成長させるっていう感覚に変わってきましたね。だからどういう生き方をしてくかだったり、自分っていうのはどういうもの(資質や才能)を持ってるのかっていうところを見るようになったので、

 

 もっと人間的、自分の本質的な部分、

 

 そうですね。どういう考えのもと、自分は動こうとしてるのか とか、外にあるものを身につけるではなく、自分そのものを成長させる...2回言いましたねw っていう視点になってます。

 

 そうか。なるほどね。じゃあ康恵は?

 

 まさるさんとも似てるんですけど、わたしもスキルを身につけるための学び、資格をとるためにその分野のことを勉強するっていう感じでしたね。勉強するが学ぶだと思ってたんだと思います。

 

 知識をつける方がね。そのなにか職業に対してスキルを身につけるっていうのは、その「なにか」っていう職業はやりたいことだったの?

 

 やりたいこと...できそうだなとか、それで人の役に、疲れてる人の役に立てたらいいなっていうものでした。やりたいかって言われたら、正確ではないと思います。

 

 僕たちは意外と情報に左右されてて、例えばドラマで有名な俳優さんが美容師やってたから、美容師がやたら増えたみたいなことってあるのよ。なんかそれがかっこいいからみたいな、ことってあったりするから、本当にやりたいことなのか、本当に好きなことなのか、それに対してのスキルを身につけようとしてるのか、っていうのは人生で使う時間の使い方が全然変わってくるじゃない。だから実際取り組んでみて「うわぁ違かったぁ」ってこともあるでしょうけどね。

 

 そしたらさっき言ったのちょっと嘘かもしれない。その時は、地方に就職してたんですけど、わたしが思う仕事のジャンルが少なかったんですよね。5つなら5つしかない中で、わたしがこれだったらできるかもしれないっていうので、選んで勉強してたような氣がします。だから情報ですよね。

 

 だけん選択肢が少ない中で選ぶしかないっていう、社会に出るスタートのとき、意外とあったりするじゃない。そうなってくると、結構スキルを身につけるために勉強しなきゃっていう発想になってくるよね。私がやりたいこと、私が興味あること、好きなことのために自分はなにかを学んで吸収してその力をつけてやっていこうっていう発想ではなくなるよね。

 

 決まってる中で、どう技術をつけるかっていう思考だったと思います。

 

 昔はそんな風に感じてた康恵が、今では学ぶということはどんな風に感じてますか?

 

 いまでは学ぶことで自分を深く知れるから愉しいっていうのがまずひとつ。知らないことを知っていくのは好きだったんですよね。だけどそれが自分という焦点があるから、自分の知らないところを知っていくのも愉しくて、その自分がじゃあ何ができるのか?を知っていくのが愉しい。それが学びだと思ってる感じですね。

 

 じゃあ、康恵もまさるも、人生の主体が自分になってるってことだね。面白くなるよね。こんな自分がこんなことできるんだっていうのがたくさん出てくるけんね。

 

 そうですね。それと同時に自分の事も好きになっていく感はありますね。

 

 はい。前は一生懸命頑張って身につけようとしてたんだけど、皆が褒めてくれること、「康恵がそれやるといいね」みたいな言ってくれることが、わたしにとってはすごく簡単なことだったりするから(これで褒めてもらえるの?! 楽♡)みたいな、そんなことも知れましたね。

 

 スキルを身につけるというよりかは、持ってるものを知って磨いていく感じかな。

 

 そうですね。スキルの方はもっと認めてもらうためにやってたり、給料のために身につけようとしてたけど、自分っていうものを知って自分を活かすっていうところ自体が面白いからやってるっていうですね。

 

 そうだよね。だけん自分が主体になって人生を展開できるから面白いよね、そのために学び得てるっていうところだよね。大人が学ぶっていうところはそういう視点もありますよね。子どもたちは学んでるから、出来れば大人から学んでるだろうから、その学んでる大人の姿としていまの二人みたいなところが見せてあげれれば子どもたちにもいいのかなと思いますけどね。じゃあ、ゆーこみんはどうですか?

 

 あんまりふたりと変わらない氣もしますが、過去振り返ってみると、子どもの時も含めて、さっき康恵ちゃんが言ったように、学ぶっては言ってはいるけど、結局勉強っていう意味の学びをずっとしてきてて、おそらく子どものときも自分の心が動いたものを学んでいったっていうよりは、いつの間にか自分にメリットがあるものを選んでその知識をつけてっていつの間にかすり替わっていて

 

 氣付かない間にね。

 

 社会に出るにしたがって、そうした方が上手くいくんだって思ってしまって、それがみんながやってることだからっていうので、いつの間にか。何も知らない時はきっと学べてたと思うんですけど、体験して五感を活かしながら、だけど社会に出て大人になるにつれて逆に知ってしまったことで、勉強する、しかも自分にメリットになるであろうこと、それも自分の知ってる範囲内で。

 

 自分の生きてる世界だけでね

 

 そう、小さな世界の中で。その中で知識を得る、スキルをつけるってことが学ぶってなってたんだろうなぁって思います。

 

 いまゆーこみんが言ってた、勉強するってことと学ぶってことの大きな違いを簡単にいうと、勉強するってことは知識を得る・知識をつける、だけんとにかく頭に詰め込んでおけばいい、ってことだろうね。だけど学びを得るってことは、身にしていくってことだもんね。自分の姿、行動に変わるってことだから、全然違うよねモノ自体が。だけん今言ったゆーこみんが社会に出て勉強して知識を得ようとしてるところが結果、メリットを考えてたってことだもんね

 

 そうです。自分の心が動いてとか、興味があるとか、好きとかじゃなくて、メリット。

 

 ゆーこみんは、今どう感じる?

 

 こういう、いわゆる大人の学びをするきっかけは別に大人の学びがしたいとか思って実際触れてたわけじゃないんですけど、いつの間にかたまたまkatsuさんのところで学ぶようになったら、人生とはなんぞやっていう学びだったっていう..

 

 生き方ね

 

 そう。ラッキーだなって思うんですけど、なんかよく分からないけど惹かれるからずっと学び続けてきた中でひとつ思ったのは「意外とわたしってそういうの好きなんだな」っていうのをそもそも知らなかったなっていう。たまたま触れることができたから。そこである意味心に従って進んでみたから、今こういう場もあったりお話しできるような環境になってたりするので。

 

 だって生き方ってさ、いわゆるライフスタイルじゃない。その人の生活。その生活が長くみれば人生なんで、だからそのライフスタイルどう生きるの?っていうのが結構大事でしょ。それはライフスタイルなんで、仕事も含めてね。だけんそれに向かう私の姿はどんな姿?っていうところかな、簡単にいうと。大事だよね。

 

 メリットを得る為に勉強していたときは、仕事?しかも、その仕事は目的があるとか何かの為っていうよりは、生活するためのお金..

 

 うん、日々の中で繰り返していくものね

 

 そう、得るお仕事が人生のほぼすべてを占めているって思ってたから、だから余計にもっと上手くいくためのなにかを勉強したいって思ってたのもあったし、

 

 そうね。でもそれってさ皆もそうやろうけど最初の頃は、そう思ってる氣持ちって楽したいからでしょ?

 

 はい。そうです。

 

 だから目的が楽したいってことやんね。でも本当の意味で悠々自適に生きるっていうこと、とはちょっと違うもんね。

 

 なので、学んだことによって「人生って色々ある」って分かった。もちろん時間としてはお仕事と言われる時間があったとしても、それに対する意識とかなんのためにやってるのかが違うので、

 

 そうだよね、目的があるけん

 

 はい。それ自体も同じ言葉で表現してたとしても別物になってるし、それ以外にも人生の面白さだったり、豊かさだったりを知ることができたので未来が愉しくなる感じ、ワクワクする感じ。

 

 ただなんとなく生きてるのでは、違うようになったってことやなぁ。

 

 未来に希望をもてるようになりました。昔は絶望してた人なので。

 

 いまの日本にいる若者たちは多くはそんな風に感じてるやろうから。でもkatsuさん的には、さっきも言ったけど、子どもが学ぶのは当然と大人たちは思ってるだろうけど、大人は僕たちが小さい頃に色々選択はできなかったじゃない。学ぶことに対しても、決まったことを学ばなきゃいけない、っていう社会の中で生きてきた、仕組みの中で生きてきた大人たちでしょ。だけど大人になったら自分の好きなこと、自分の専門分野を好きなだけ、好きな時に学べるのが大人じゃない。それだけ面白いことに集中していれるなんて、大人しかできないことじゃない。これは大人の特権だと思うね。同時に、大人もまだまだ未熟で足りないこともあるから、それを吸収することで周りの人達になにかを届ける、伝えることができるのも大人の特権だと思う。子どもたちは確実にその姿をみて生きていくだろうから、「かっこいいな、大人たち」って思ってもらえたらいいなと僕は思ってるけどね。どうですか?

 

 そうですね。昔の僕はそういうかっこいい大人とか、確かにかっこいいなと思うけど、それをして何になるの?とか思ってたりして、それが何に繋がるのか分からなくて、目の前のノウハウ・テクニックに意識がいってたような氣がしますね。

 

 シンプルに、かっこいい大人たちがいれば憧れるでしょ。憧れるってことは真似したくなるでしょ。それを真似して繋がって広がっていけば周りにも良い影響を与えるんじゃないかなって思うし、かっこいいっていうのを「粋だね」「野暮だね」と昔の日本の言葉であるけど、粋な営業マンと野暮な営業マンがいたとしたらどっちが売れそうか?っていったら、そりゃあ粋な営業マンでしょ。

 

 粋な営業マンを選びますね。

 

 ってなるから、何に対しても活かせるのよ。

 

 そうですね。仕事にも人間関係にも色んな分野に活かせるのが生き方ですね。

 

 意外と万能ですよ、そこまでいけば。技術はさ、スキルでしょ。料理人になるって技術はさ、向き不向きは置いといて技術を身につけたとするじゃん。そこでなにか交通事故にあったり、病氣になったりしてそれができなくなったとするやん。そしたら全部なくなってしまう。でもできなくなったとしても生き方は残るやん。っていうのができるのが大人たちなんじゃないかなぁと僕はなんとなく思いますけどね。他はありますか?

 

 ここまで聞いてやっぱり思うのは、大人になって学べば学ぶほど今以上に成長するからもっと可能性が広がって、もっと本当にやりたいことに向かえるし、理想にも向かえるし、誰かに役に立つことももっとできる自分に育っていけるって思ったら、学ぶことってめちゃくちゃ大事やんって改めて思わせてもらいましたね。

 

 大人たちがさ、理想とか憧れを追いかけてる姿は意外と子どもたちから見てもかっこいいんじゃないかなって思いますけど。ふたりは何がある?

 

 さっきまさるさんも学んだことによって自分のことが好きになったって話があって、それは私もそうだなぁって思って。さっき、昔は未来に絶望してたって言いましたけど、絶望してるときは自分のことが好きじゃなくて、自己否定も強かったし、どこかで自分のことをやなヤツって思ってたし、学ぶ中で自分が一体どんなものを持ってて、どんな存在なのかとか、それを持ってるからこそ、できることってなんだろうって、自分だからできることもあるんだなぁって役割みたいなものを知ってると、自分と関わってるものも好きになったんですよね。

 

 関わってるもの?

 

 人だったりとか、環境だったりとか、今までは×だったり嫌だったり、変えたいとか思ってたものとか、そのものが変わったわけじゃないんだけど、自分のことも好きになれたと同時に、

 

 自分のいる場所が好きになれたんだ、受け入れることができたんだ

 

 そう。前回自分と自分の人生は別物ってあったので、人生側にあるものも同時に好きになっていけたから、それは大きいなって。何が変わったわけじゃなくても、安心感の中だったりとか、愛の中にいるとか、豊かさの中にあるっていうのを感じられるようになって、

 

 それは大きいね。それは豊かだね。

 

 それはすごく大きいなってふたりの話とか、katsuさんの話聞きながら思ってました。

 

 毎日生活してる場所は変わらないけど、自分が氣付く事ができるようになっただけど、毎日のいる場所が変わるってことでしょ。それは大きいよね。見えてないだけだもんね。大人が学ぶってことは、いわゆる好きな場所が増えるってことでもあるってことやな。そら愉しくなるね。いやぁほんと、子どもとは違って、大人はどの方向にも行けるので、当たり前になにかを吸収しようとする姿勢は、僕はあっていいんじゃないかと思いますけどね。だって今のゆーこみんを知ってる人は、そんなゆーこみん、昔そうだったんだって思いもせんやろうけんね。他は?

 

 かっこいい大人っていうのでみると、わたしが思うかっこいい大人って、達人みたいな人なわけですよ。

 

 うんうんうん、極めてる

 

 そう極めてるし、重さとか深さがあってそういう人をかっこいいなってみてるなって、話を聞きながら氣付いたんですけど、その人達も時間をかけて達人になってる、極めていってるわけで。わたしは昔はできないのが嫌だったわけですよ。いや、今もあるw できないよりもできた方がかっこいいと思ってるところがまだある。だけど、できないことができるようになるのは愉しいわけですよ。だからできないことを自分で見つけて認めて取り組む。それが氣付いたり理解したり、実際にできるようになっていくと、自分で成長って分かるから、じゃあもっとコレ磨いていこうって次のエネルギーに繋がるなぁって思って、そういう愉しそうに前に進む姿が子ども達とか周りの人達に伝わったらいいなぁって思いますね。

 

 その自分で成長に氣付けるって、スキルアップとは違くてレベルアップ、なのが氣付けるのがいいよね。大人の特権だよね。

 

 周りを見てたら氣付きにくいかなって思います。昔のじぶんと比べるから、一年前の自分、五年前の自分、十年前の自分と比べて今ここまで進んでるって、できてるって、振り返るから、

 

 人と比べるのではなくってね。俺がよく言うやつや。比べるのは自分なんだと。一日前の自分よりもなにかひとつできるようになる、昨日の自分よりもひとつなにかできるようになったらって比べていかないかんもんね。

 

 昨日だったら近すぎて分からないこともあると思うんですよね。そういうときは結構前の自分と比べるというか、「あのときどうだったかなぁ」って見ることもありますね。

 

 一ヶ月前とか、一年前とか、三年前とか

 

 もう、年単位。

 

 でも、自分と比べるっていうね。人と比較するのではなく。大事だよね。

 

 はい。もう隣は青くしか見えないから。

 

 そういうことも分からなければ、常に隣の青い芝を見ながら、あの芝よりも青い芝にならないとってやっていかなきゃいけないからね。ずっとせかされてる感じよね。長い間。ここは氣付いてほしいところですよね。頑張り続けてれば必ず結果が出るって、もう大人なら分かってるじゃない、出るって思いながらやってきたけど、意外と出らんよねって。じゃあちょっと視点を変えなきゃいけないんじゃないの?っていうところよね。まさるは?

 

 話し出すと、学んでる内容の話になりそうなんで。でもなんでしょう、隣の芝生が青く見えたりとか、自分の思考のクセがあるんで、その思考のクセのせいでやりたいことがあるのに、進めなくなってたりとか、

 

 思考のクセっていうのは今までの考え方ってことね

 

 やめたいと思ってるのにやめれなかったりとか、ていうものを紐解いて氣付いていくっていうのがこの大人の学びの内容にも含まれてますけど、そうやって本当の自分の心で思ってることに戻っていくっていうのは大事だなと思います。

 

 いつもいうけど一度の人生なんで、もうちょっと自分に従って自分らしくやね、生きてみようって思っていいんじゃないかなと思うんですけどね。

 

 今のまさるさんのところでちょっといいですか。今までの考え方のクセって話が出ましたけど、自分はどんなんだろうなぁって考えたら、答えを欲する、すぐ「こうやったら上手くいくよね」って答えを欲してたなぁって。だけどkatsuさんは最近自分にとう

 

 トゥッ www

 

 問う、人生の問いっていわれるじゃないですか。「じゃあそれができるようになるにはどうしたらいいんだろう」みたいなそういう問いに変えるだけでも自分が考える幅が広がったというか、そんな氣がします。

 

 大事だよね。だから自分に問いかける、いわゆる、自分と向き合う時間も大事だよね。本当はどう思ってるのか?本音はなんなのか?っていうのはちゃんと自分に問いかけないと、自分と向き合わないと、見えてこないことでもあるので、それをみえてくることで本当の人生を歩めるじゃない。だから大事だと思いますね。

 

 学ぶのが、外側からの材料だけじゃなくて、自分の中からでも学べるんだなぁって思います。自分のことを知っていくことで。

 

 吸収するものがもっと洗練されていく感じがするんだよね、自分を知ってると、必要なものと不必要なものがどうしても世の中にはあるので、ちゃんと「私に合った必要なものを選んでいける」んじゃない。

 

 それまでは第一基準は、社会的にどうなのか?一般常識的にどうなのか?ていうのを基準に選んでたけど、自分っていう人間にはなにが合うのか、なにが必要なのかって選んだ方が上手くいくことも増えていったなぁと思います。

 

 合うかどうか分からんもんね。社会の基準とか一般的基準とか、合うかどうかね、自分にね。外側からスタートなのではなくて、自分側からスタートすれば選べるよね。

 

 選べるし、どんな結果になったとしても言い訳しないというか。受け入れられる。

 

 そうだね、「私が選んだ」んだからね。だってあぁ言いよったやない、こう言ってたじゃない、から始まらんからね。大事やね。今の話聞いてても思うけど、いわゆるどう生きるか、私はどう生きていくんだろうかっていう生き方の部分が、結構大人になればなるほど大事な感じがしますね。だからみんなも康恵の生き方かっこいいとか、まさるの生き方かっこいいとか、ゆーこみんの生き方かっこいいって思われるように生きていければいいですね。そんな感じですかね。

 

 はい それでは今日のまとめをお話ししたいと思います。今日のいまときは「大人が学ぶとは」というお話しでした。ふだん考えもしない視点でもあると思います。そこに氣がつけると、それぞれにアプローチができると思います。ぜひ皆さまもどんな生き方がしたいのか、改めて学ぶということを考えてみられると幸いです。

 

 

 

 

 

 

今はYouTubeにも文字起こし機能があるから

わざわざ書き出さなくても...

 

って途中何度か思うのだけど(笑)

 

 


文字起こししてると

わたし自身がより理解できるんですよね。

 


 

目で見て覚える方が得意って人の

お役に立てましたら何よりです♡

 

 

次回もお楽しみに♡

 

 

 

 

トークメンバーに会えるスケジュール

└katsuさん:エネルギー人生論のお師匠さま

 

 

└田中まさるさん:同じくkatsuさんに師事/シンプル先生

 

 

└氣門通術師にも会いに来てくださいね♡


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