今を紐解く大人の時間

 

略していまとき 

年末に最新版が2本公開されておりました。


ブログでのご紹介が遅れておりますがまずは1本目。

 

 

 

今回のテーマは

 「それはあの人だからできるんでしょ」って思う時に

 

 

耳で聴く方が記憶に残るよ!

イメージしやすいよ!って方は

そのままお聴きくださいね。

 

 

目で見た方が記憶に残る!

イメージしやすいよ!って方は

文字起こし、ご活用ください。

 

 

 

 

耳で聴きながら

目で読みながら

 

何度も聴いて

 

自分の可能性があるんだ!

って軽やかになる人が増えますように♡

 



それでは宜しくお願い致します↓


 これはね、katuさんはもうずっと言われてきたことなんですよ。色々僕は色んな活動をやってきたわけですけど、その中でそれはkさんだからできるんでしょっていう風に言われることは結構多々あったので。で、何かをやってる人を見た時にそれはあの人だからできるんでしょって、人って思うことがあるじゃない。要は、出来てる人を見て、自分よりも先にやってる人を見て、それはあの人だからできるんでしょって、上手に出来てたり、うまく出来てたり、凄いように出来てたりする人に対してそんな風に思うことって人はあるじゃないですか。


でも、僕からすると僕だからできるってことだけではないんだよね。もちろん僕だからできることは絶対的にある。で、これは今ここにいる皆も皆だからできることは絶対的にある。だけど「あの人だからできる」とだけ思ってしまったり考えてしまうのはちょっともったいないなと思うわけ。簡単にいうと、「僕もできるかもしれないな、私もできるかもしれないな」と思ってもらいたいし、もっというならそんな風に言われる人になってもらいたい。なってほしい。と思うわけですよ。


でさ、皆がまだスタート、はじまりのとき、その時は僕のところに色々学びに来て、最初多少なりとも思ってたやろ。


 思ってました

 そうですね。


 それはkatsuさんだからできるんでしょみたいに思ってたでしょ。それが変化していったのは何かある?皆それぞれ。いや、なんでかっていうとさ、世の中の多くの人達はそういう風に思ってしまう思考もあるじゃない。視点はあるでしょ。皆もそこが紐解けていったわけやから、なんかそういうのあるの?じゃあまさるから聞いてみようか。


 はい。僕は2パターンあって、ひとつがkatsuさんだからできるんでしょって思って見ていく中で、katsuさんの教えの中で「自分の持ってるものを活かす」っていう教えがあるので、それで自分の持ってるものを知っていく中で「katsuさんにできることがあるように、僕にもできることがあるんだ」っていうのを知っていって考え方が変わっていったっていうのがひとつと、


もうひとつはkatsuさんがどういう風に物事を考えていってるかっていうことを教えていただいたり、katsuさん自身の姿を見て、katsuさんだったらどんな風にこれを捉えるかなみたいな、例えば、僕が懐石料理屋さんで修行してたときに、なんでこんな理不尽なことで怒られるんだろう、モヤモヤするってときがあったんですけど、katsuさんだったらどんな風にこれを捉えるんだろうなっていう風に思うような捉え方をしてたら、なんか自分と向き合って同じように自分を動じないようになっていけた部分があったので、そうやってkatsuさんだったらどういう風に捉えるんだろうっていう見方に変わっていきましたね、いつの間にか。


 なんか僕はさ、まぁ皆からするとできることが多いじゃない。だからできるっていう風にみられるとこもあるけど、だけど、僕にはできるけど僕にできないものを皆もってたりするわけじゃない。僕には絶対的にできないものを持ってたりするわけじゃない。反対に皆からみたら皆からすると絶対的にできないものを僕が持ってたりするわけじゃない。僕はそれを資質というもので皆に伝えてはいるけど、なんかそうやって自分に目を向けて自分が持ってるもの、自分にあるものに目を向けていくと、今までとは違って区別できるようにはなってくるよね。


 はい。


 そのへんはどう?


 もちろん同じように自分が一体どんな人間でどんな特性を持ってて、ここでいうなら何ができて、なにができないのかとか、そういう細かいところまで分かるようになってきたことで、katsuさんだからできるみたいなところが自然といつの間にか解かれて、私にもできることが私だからできることがあるんだなって変わっていったんですけど、でもその前、自分を知る前のひとつとして、私は自分をいい意味で諦めたことがあるなぁって思ってて、


 ん?どういうこと?


 それはkatsuさんだからできるとか思ってるってことは、私にはできないって思ってるって、私の我っていうか、なんて言ったらいいですかこれは(笑) 頑なに自分が信じてる、だってkatsuさんだからでしょって思ってたわけですよ、本当に、頑なに。


 自分よりもできる人を見て自分をできないことにしてしまったら、諦めちゃうじゃない。自分をもっとできるようにしていこうとすることを諦めてしまって自分には何もないみたいなことになっちゃうこともあるもんね、人は。それは違うもんね。


 はい。なのでそこから、そこに頑なだったわけですよ。katsuさんはある、私はないみたいな状態に頑なに最初なってたけど、とはいえどこかで自分を諦めきれない自分もいたのも事実。


katsuさんみたいに「ある」になれたらいいなってどっかで思ってたのもあったから、まぁ学び続けてる中でいい意味で諦めるっていうのはその「ある・ない」ってしてたのを、自分を「ない」にしてたのを、じゃあ一旦その「ない」をやめてみよう、諦めてみようってしてから、ポジティブフィードバックって言っていいかな?褒められたりとか、ゆーこみんだからこういうことができるよとか、こういう存在だよって言ってもらえたりすることを「そうなのかもしれない」って受け入れられるようになってきたっていうのが、その前にあったなっていうのを、


 だからありのままの自分を自分で受け入れることができたったいな。認めることができたったいな。


 あるのかもって思えるところにまず立てたっていうのが、ありましたね。


 そげん最初っからさ、スーパー凄く出来るなんてないやん。だけどすぐスーパー凄くできたくなるやん、一晩で。よく言ってたよね、昔。「ブログ書けないんです」みたいな言ってて「書けなくていいよ」と、「書けるところから書いていこう、書きたいならね」した時、「でもこんな拙い文章じゃ」みたいなことを皆言うから。いやいやいやと。昨日その程度の文章だったのに、今日芥川龍之介みたいな文章書き出したら怖いわって。どうした!?1日で。何をドーピングした!?って、思うよね。そんなないから、そんなスーパー凄いお薬は。今ここからはじめないと。康恵は?


 もうほんと二人と同じようなところですけど、自分ができることと、できないことをちゃんと知れたっていうのは、いっこ大きいと思います。


 あー、それは大きいよね。


 で、その自分ができることも、ちゃんとできたっていうか。やってみてできるところを自分で自覚できたから、ゆーこみんのさっきの話と一緒ですよね。ちぃちゃなところからでもできるって知れたから、わたしにもできるところがあるんだって。それも力を入れずに、前回の話じゃないけど、頑張らなくてもできるところがあるんだって知れたのが結構大きいと思います。


 そうだよね。自分を知らないとさ、そのへん見誤るよね。


 ですね。


 間違って動いてしまうことになるよね。なんかそうやって、結果、個別化された自分をちゃんと区別して、ひとりひとりみれるようになったから、わたしにもできる事あるんだっていう風に分かるわけやんか。逆をいえば、わたしってこんなことができないんだっていうのも分かるやんか。でもその認識って結構大事やん。あの人だからできるではないやん。それだけでは終わらないやん。大事だよね。


 できるって話でいうと、できることが凄いよくて、できないことはダメって思ってたから、katsuさんはできることが多い人だから、余計にkatsuさんだからじゃんって思いやすくて、なんだろうな、自分がそこまでできない人っていうのは学び始めてから知りましたけど。


 (笑) それはそうですよ、ゆーこみん。俺は器用やけどゆーこみん器用じゃないもん。


 できなくていい人って言ったらいいのかなぁ、表現。存在としてそういう...のが理解できるようになったから、なお区別できるようになったなっては思います。


 今回これを話に出してるのは、僕もそうやけど、皆もそれなりにやってきてる、皆も見られる側にいる人だから、今までも大なり小なり言われてきてるだろうし、これからもっと言われることもあるだろし、言わなかったとしても思ってる人達もたくさんいると思うのよ。そんなときに周りの人達にも伝えてあげれたらいいよなぁと思ってね。そんなことないよって、あなたもできることはあるよと、なるといいけど。


あとあれですね。僕の経験上、katsuさんだからでしょうってあったときに、結構ね、今の僕を見て言ってる人がいる。ある程度カタチがある状態の僕をみて言ってる。でも本当はこれが出来上がるまでの背景、過去はいろいろ僕もやってきて今があるわけやから、ここだけみて「だからでしょ」ではなく、この背景まで見てもらえば、背景も理解できれば、じゃあ私もそういうのをなにかしら努力してやってみたらなれるのかもしれないみたいに思っていいわけじゃない。そんな見方も必要かな。どう?そのへんは?


 ちょっと先にいいですか?私はさっきのその今の自分を見て言われるっていうのは1回経験があって。でもその時は分からなかったんですよ。あとでkatsuさんに相談したら「それは今の康恵のことだけをみて言ってるね」って言われたんですよね。で、そのときは悔しかったんですよ。(収録後に考えたら、悔しいではなく、モヤモヤした氣持ちだったんですよね)


ちょっと経緯はあんまり覚えてないんですけど、すごく私のことをあなただからできるよねって言い方じゃなかったんだけど、なんか悔しい思い(モヤモヤした思い)をしてたんですよ(笑)(笑)(笑) ただ、そういう経験1回したから、私も目立つ人とか、自分がこれをしたいなあって思って先にやってる人を見た時に、その人の背景まで見るようになったんですよ。なぜこの人はこんな風に動いてるんだろうとか、こんな風な言葉が出るんだろうとか、動きができるんだろうみたいに、背景まで見れるようになった、その経験は良かったなっていう。


 そうね。だけん周りの人を見たときに、できてる人とか特に、出会ってその人を見たときに今その人の出来てるとこだけ見るんじゃなくて、この人もできてるってことは過去色々努力してやってきてあるんだろうなぁというような見方ができるようになったと、ちょっと優しくなったと(笑)


 その言い方だと私が優しくなかったと(笑) 感じですけど、要はそうですよね。


 でも大事だよね、それはね。じゃあ区別して見るっていうことは結果皆自分を知っていったってことやね。知れば知るほどできるとことできないところが分かればあの人だからで終わらなくなるよね。


それともうひとつ、まさるが言った「こんな時katsuさんだったらどう考えるんだろう」っていうやつ。多分皆あったやろうたい。で、皆も言われるだろうたい、これからもっと。


  当てはまるか分からないけど、話していいですか?あの人だからできる、katsuさんだからできるでしょって話があって、でもそこには背景があって、多分私が最初にkatsuさんと出会った時にkatsuさんだからできるんでしょって思ってた。しっかりとした背景はまず見れてなかった。と同時に、私も頑張ってきてできてないんだからできないんじゃないんかって思ってた節があったんですよ。


 あー... 人は頑張ってきてできてる、私は頑張ってきたけどできてない。


 そうそう。で、頑張ると自分を自分を活かす働きの話を前回したので、また聴いてもらいたいんですけど、そこがそもそも根本的に違うってことを知らなくて、


 そうだよね、考えの大本だよね。頑張るのではなく、自分を活かすっていう考えでやってるっていう。


 そうです。要は、私から見ると頑張ってきてるラインに皆いて、出来る人できない人に分かれた私とkatsuさんみたいな。あるになった人、ないになった人みたいな。多分そんな感覚だったんだろうなって。そもそもkさんがそういう状態になれてるのかっていうのが理解できてなかったなって。


 最初ね。でもそれが理解できたきっかけはなんだったの?


 学びながら考え方を知ったから。


 私いいですか?自分が色々考えてるときに、ふと、ゆーこみんと一緒でkatsuさんならどう考えるんだろう、どう言うんだろう?って思ったときに、ひとつじゃなくて、katsuさんの言葉がいっぱい出てくるわけですよ。今まで聞いた言葉も含めて、ブログの言葉とか、読んでたので。


その時に、たくさんのことを言ってるんだけど元を辿ると1個の事を言ってる、本質的なことを言われてるなあって思って、katsuさんは本質的なことしか言わないんだなって、それを教えてくださってるんだなって思ったときに、その考えに辿りつけるように私も行きたいなと思いました。


 本質的な考えに辿りつきたいなって思ったってこと?


 そうです。どこが入口だったとしても。それがあるからkatsuさんの行動に繋がったりとか、katsuさんからの言葉が出てくるんだろうなぁって思ったんですよね。


 僕は変わらないものが自分の中にあって、それに沿って動いてるから。で、その変わらないものが僕の上手くいく考えを作ってるわけよ。康恵も同じように自分の上手く考えを、自分の変わらないものを持つことによって、自分の上手くいく考えが出てくるようになると。だからそんな風にしようと思ったわけやな。


 はい。で、ちょっと今のところで付け加えるというか、過去の自分をみると、上手くいかない自分を見てたんですよ。katsuさんと出会う前ですね。で、その時は上手くいきそうなものというか、良さそうなものばかりに惹かれてたから、さっきkatsuさんが言われてた自分の中にある変わらないものっていうのがなかったんですよ。だから、そんな自分で上手くいってる人を見るから、そりゃああの人だからできるよねって見がちだなって思いました。


 そうね。大事なところですよね。だからこんな時僕だったらどう考えるだろうとか、あの人だったらどう考えるだろうみたいに思うことはさ、結果紐解いていくとその人は上手くいく考えを身につけてるわけやん。で、上手くいく考えを身につけてる、上手くいく考えを持ってるんだって氣付けたら、私も上手くいく考えを身につけようっていう風になっていくよね。


 はい


 だけん教科書に載ってることを真似る、ノウハウを真似る、ではなくて、上手くいく考えを身につけようと、自分の身を伴ってね、ていう風に変わってくると「あの人だからできる」が、『私にもできることがある』に変わってくるよね。


だから、多くの人に思うよね、人に憧れるのは悪い事ではないし、憧れを持ってた方がその人に近づいていけるのであった方がいいけど、あの人みたいになりたいはなれないからそれは無理なので、あの人に憧れるっていうのはあっていいけど、でもあの人だからと自分と比較していたら、いつまで経っても近づけないじゃない。そうなると自分の可能性なんて見いだせなくなるからね。最初に言ったみたいに、自分にもできるかもしれないとか、思えるようになってもらいたいですね。


 僕の場合は上手くいかないってなったときに、じゃあどうやったら上手くいくんだろうってやり方ばっかりを考えてたんですね。でもやり方を変えたところで何も変わらないっていうことが結構あったりして、それでkatsuさんと出会ってからは、どういう風に捉えたらいいんだろうとか、どう考えたらいいんだろうって意識をもっていくようになったら、自然と自分の行動とか振る舞いとか変わっていったりしたんで


 そうそう そうだよね。まさるがいうやり方っていうのは、テクニックを身につけようとしてるわけで。技術。


 そうですね。長年それでやってきてたけど、そうじゃないっていうところに行き着きました。


 そうね テクニックとか技術っていうのは身につけるの時間がかかるんだよね。だけどそのテクニックをいきなりやろうとしてもできない。で、できないと「できないなぁ自分」って思うやない。そしたらやっぱり自分にはできないなぁ、あの人だからできるんだろうなぁになってしまうもんね。


 さっき言われたみたいに今だけを見てじゃなくて、過程があるって話を前に聞いたときに、そうか今のkatsuさんと自分を比べてやろうとしてもできないって思ってたけど、過程があるってことは自分の過程を見ればいいんだって思って、昨日の自分よりもなにか変化があるかどうかってところで、自分を見ていったらちゃんとそこから自分を伸ばしていこうという考えになっていったんで、katsuさんだからって比べるんじゃなくて、katsuさんの持ってるものに近づくように昨日からどう変化できるかっていう目線で進むようになっていった方が動きやすくなっていきましたね。


 そうね。本当に「現在値」やね。自分の「今ココ」からはじめてほしいですね。これはどんなに凄い人も、どんなにできてる人もその人の「今ココ」からはじめてるわけやけん、皆一緒です。


 はい 皆さまいかがだったでしょうか。上手くいく考えを身につけたら、あの人だからできるんだろうなぁではなくって、自分にもできるかもしれないって可能性をみれるようになっていけるというところですね。それでは次回もお楽しみに。






文字起こししてると

わたし自身がより理解できて

頭に残りやすくなっています。




声色に反応する耳を持っていますが

そっちは感覚的なもの。


理論的に理解しようとか、深めるときは

同時に目からの情報があるといいようです。


それも人とは違う自分の得意。





あなたの得意で


音声で聴くと記憶に残りやすい

目で見たり読んだりすると記憶に残りやすい など

 

上手くいく考えを身につけ

「自分にもできるかもしれない」って可能性の方へ近づいていってくださいね。

 

 

 

次回もお楽しみに♡




 

トークメンバーに会えるスケジュール

└katsuさん:エネルギー人生論のお師匠さま

 

└田中まさるさん:同じくkatsuさんに師事/シンプル先生

 

└氣門通術師にも会いに来てくださいね♡


 

 

 

 

これまでの『#いまとき』はこちらから。

 

まだ聴いたことないよ!って方も

もう聴いたよ!って方も

隙間時間に、何度でもどうぞ♡


運と縁『感謝の働き』↑

自己中と自分中心の違い↑

目標と目的の違い↑



最新版

└次回はこちらを文字起こしいたします!



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