ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。

皆様に少しでもお役に立てればとの思いより

考え方に関する記事を不定期ではありますが

UPしております。

 

前回の記事では

“自分の成長と可能性を自ら閉じてしまっている”

との紹介をさせて頂きました。

 

でも 中には『本当に出来ません』と言われる

方も居るのではないでしょうか。

 

そんな人達は、今まで その人が考えられる全て

ことにチャレンジを行たり、他の人の意見を

参考にして努力をしてきたけれど、思う様な結果は

得られず、失敗を重ねてきた人達ではないでしょうか。

 

又 自信をもって出来ていたことが、大きな失敗に

なってしまい、周囲の人から避難を集中的に浴びれば

『出来ない』の意味合いは確固たる理由になるのは

必然ではないでしょうか。

 

その心理には『また失敗をするのでは』との恐怖感が

芽生え、そのことから『出来ない状態』に落ちる以外

他に方法が無くなってしまう様に思います。

 

上記で紹介した内容は本の一例に過ぎないと思うと

共に『本当に出来ない』の一言の背景には色々な

理由があるのだと考えます。

 

そんな人達に『もう一度頑張って遣ってみよう』とか

『やり方を教えてあげるから頑張ってみよう』との

一言は、ますます窮地のどん底に落とすことに

なるのではないでしょうか。

 

何故なら『本当に出来ない』を経験した人たちは

失敗した内容の“方法”や“やり方”を十分に

知っている人達だからだと考えるからです。

 

そんな人を立ち直せるには“時間”が必要と

考えるのは私だけでしょうか。

 

でも どの様な時間を過ごせば良いのでしょうか。

 

私の場合は“人が遣ることには絶対は無い”と

考える様にしています。

 

“絶対に失敗しない”と言う面と

“絶対に失敗する”という面の両極端が無いと

考えています。

 

何故なら

自信をもって実施したことが「失敗」に終わっても

その失敗をする前までは「失敗」をしていないのも

事実で、失敗をしていないから「自信」という結果に

つながっているのではないでしょうか。

 

以降は個人的意見になりますが、次の様にも考える

ことにしています。

 

自信をもってやったことが失敗につながったのは

“何かしらの原因”があるのも事実で、それは

『何かを見逃した結果』だと思う様にしています。

 

それは 失敗した事実と向き合うことにつながり

辛い思いをすることになると思います。

 

ただ 見逃した自分を責めるのではなく、見逃した

原因(見逃した現象)を追い求めることであり、

その主な要因として 私の経験から“知識不足”が

大きい様に思います。

 

知識量が少ないと片寄った見方をしてしまうと共に

小さな現象を観察することすらできない様に思います。

 

貴方は個人的意見をどの様に思いますか?

 

 

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