ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。

皆様に少しでもお役に立てればとの思いより

考え方に関する記事を不定期ではありますが

UPしております。

 

『出来ない』と言葉にする人を時々見かけますが

個人的に残念に思います。

 

何故なら

“自分の成長と可能性を自ら閉じてしまっている”

と考えるからです。

 

『出来ない』と言葉にするには

自信が無い

責任を取りたくない

過去に失敗したから

面倒

等の理由があるとは思います。

 

確かに『面倒』と思うのは、人間である以上

持っている感情とは思います。

それを否定するつもりはありません。

 

又 本当は遣りたいのだが、現在抱えている

仕事を遂行するためで精いっぱいで、受け入れる

余裕がない場合などは“何故出来ないか”の理由を

説明して断る場合もあります。

 

その為 『出来ない』と言葉にすること自体が

悪いとは思いませんし、むしろ言葉にすべき

場合もあります。

 

ただ 考えて頂きたいことは『出来ない』と

言葉にする前に『本当に出来ないか?』を

考えてい頂きたいと思います。

 

例えば以下の様な方法もあるのではないでしょうか。

・現在抱えている仕事は5日間で完成させる予定で

取り組んでいます。その為 急がないのであれば

現在抱えている仕事が終了次第取り組めます。

・急がないのであれば、時間に余裕が出来た時に

 取り組みます。その為 時間を頂くことになります。

 

等の対話もあるのではないでしょうか。

 

上記2つの対話は、アサーションと言われる方法を

用いた対話内容になります。

 

もし 緊急を要する場合は 以下の様な対話もある

のではないでしょうか。

・現在抱えている業務を止めてでも、緊急依頼された

業務を遂行しろ と言っていると解釈しても

問題ないですか。

 

・又は 現状抱えて業務の依頼者と新たに業務を

依頼する人が違う場合は、現状の業務依頼者と

調整をするように依頼すべきと考えます。

 

要は“業務を依頼する側に、業務の優先度を判断

させる”ことが大切と考えた方が良いと思います。

 

状況にもよりますが

安易に『出来ない』と答えることは、依頼した側の

心証を悪くすると共に、それが続くと依頼することが

なくなります。

 

依頼されることが無くなると、他者に依頼することに

なり、“依頼されないこと”への不満へと結びつく様に

なるのではないでしょうか。

 

それが 結果的に『妬みや嫉妬』に変化して行く

のではないでしょうか。

 

『出来ない』と言葉にすることが悪いこととは

考えていません。

悪いのは『出来ません』を理由もなく多用することや

『出来ない』理由が、私情を持ち込むことでは

ないかと考えています。

 

貴方はどの様に思いますか?

そして続きがあります。

 

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