ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。

皆様に少しでもお役に立てればとの思いより

考え方に関する記事をUPしております。

前回の記事で“自分は自分、相手は相手”

と分けて考える習慣をつけることも大切との

紹介を行いました。

そこで 少し考えて頂きたいのは

自分は自分、相手は相手 と分けて考える

ことですが、その分け方として 他人との関係

では 理解しやすいと思いますが、身内 

特に子供に対して混同される場合が多いのでは

ないでしょうか。

例えば

両親が子供の教育に熱心な場合、子供の

ためにと言いながら“両親の老後考えて

いる”場合などです。

要は 両親が得する場合なのです。

子供にすれば、両親の老後の為の存在で

しかなくなり、言い換えれば“子供の為”

になっていないことです。

子供を通して、両親の将来の課題の

解決を図ろうとしてすることは子供の

課題になっていないことです。

それは 間接的に両親の課題を解決

しようしているだけのことになりませんか?

“この課題を解決することは誰が得する”

の誰が得するには“課題を解決する人が

得をしていますか”ということを

示しており間接的に得する人では

無いことを理解ください。

子供の勉強は、子供の課題であり

両親の課題ではないのです。

更に考えて頂きたいのは、勉強することは

子供の課題であることです。

何故勉強を行うかは、子供に決めさせる

ことでは無いでしょうか。

但し 勘違いしないでください。

子供に勉強をさせなくて良いいうことでは

ありません。

何故勉強が必要なのかを両親として

説明し理解を得ることは必要と思います。

でも 決定は子供に任せることではないで

しょうか。

自分の居場所は、自ら創るしかなく

その為のも

自分の課題、相手の課題 を分けて

考えることも大切な一つの方法では

ないでしょうか。

ブログに対する思い

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