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前回の記事で“『現実逃避』を行うのも、

人のDNAとして宿している”との紹介を

行いました。

『現実逃避』を行うのも、ある意味“自己

との対話”の結果であり、DNAの影響が

あると考えるのも当然の様に思います。

そして『現実逃避すること』が全てに於いて

悪いことだとは思いませんし、必要な場合も

あると思います。

しかし、人は『現実逃避』を続けていると

必ず『このままではいけない』と思うように

なる時期があるのではないでしょうか。

『このままではいけない』と思うことも

“自己との対話”の中で生まれた考えでは

ないでしょうか。

言い換えると“自己との対話”の中には

『現実逃避したい』との考えと

『このままではいけない』との

相反する考えが同居している状態にあると

言えるように思います。

ある意味“自己との対話”は矛盾を含んで

いるのが必然的と言っても過言では無い様に

考えます。

それを例えるなら、自分の心の中に“天使”と

“悪魔”が同居している状態とも言えます。

では、自身の中にいる“天使と悪魔”の言い分

に対して、誰が“天使と悪魔の”言い分を選択

することを決めているのでしょうか?

この状況を現在社会の仕組みに例えるなら

裁判所が該当するように思います。

検察側と弁護人側の言い分を聴き、裁判官が

判断を行います。

裁判官も一人では判断が難しい場合は、

一人ではなく、複数人おり、更に裁判員も

いる裁判もあります。

言い換えると、一人の個人の心の中にも

“天使”“悪魔”“裁判官”そして“裁判員”も

いるとなれば、決断を行うのも複雑極まりない

状況にあると思います。

そう言った状況が一人の人の心の中を表して

いるとすれば、決断したくとも、決断できない

状況に陥ることはが当然に思えますし、常に

迷っている状況にあると言えます。

そんな迷っている状況で、天使と悪魔の言い分

に対して判決を行う場合、楽な方を選択する

のが人間の性と思います。

楽になる結果を選ぶことは“天使より”又は

“悪魔より”のどちらかの選択が多くなることに

なり、清原選手の場合、今は転落人生の結果に

なったと言えるのではないでしょうか。


あなたはどの様に思いますか?

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