ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。

皆様に少しでもお役に立てればとの思いより

考え方に関する記事をUPしております。

前回の記事で“何故 人同士は比較するのか”

との紹介を行いました。

ここからは私の勝手な推測なりますが

そこには“競争意識”があるように思います。

人の祖先は“捕食される側”にありました。

そのため、捕食されないためにも、逃げ足の

速さが求められたのではないでしょうか。

以下に早く敵を察知できるか。

逃げる場所はどの様にすべきか。

何処を生活の拠点とするべきか。

速く走るためにはどうすべきか。

等と深く思考したとは思いませんが、似た様な

ことを行い、自分の身をどの様に守るか等の

差別化を図ることが、結果的に“競争意識”を

遺伝子として残したのではないかと考えて

います。

言い方を変えれば、同じ捕食者同士としての

競争意識の遺伝子が人同士の競争意識の背景に

あるとも言えるのかも知れません。

上記内容は、あくまでも私の勝手な推測に

なります。

以上の様に、競争意識は人のDNAとして

受け継がれたもので、私も対象外で無いと

考えています。

人の中のDNAを無くそうとしても無くせる

ものではないので、受け入れる以外に 他の

方法がない様に思います。

“自分には競争意識が宿している”と思えば

自分自身の“競争意識の在り方”について

考えることが出来る様になるのではないで

しょうか。

競争意識の在り方を考えることは、競争意識を

“認めた”からこそ出来る思考ではないで

しょうか。

“自分を認めなさい”と言葉にして書けば、

簡単に出来る様に思われますが、実際に

行動に移すとなれば大変な思いをすることに

なると思います。

少し話は変わりますが

少し前まで多くの報道機関に取り上げられて

いました 清原野球選手のことですが、一部の

報道内容で次の様なことが言われていました。

華やかな野球選手時代が忘れられず『今の俺は

本来の俺ではない』との思い強かったのでは

ないでしょうか

との内容で、報道内容に対して正確ではない

部分があると思いますが、私はそう感じました。

では何故清原選手は『今の俺は本来の俺ではない』

と思うようになったのでしょうか?

少し『自分事として』考えてみて頂けないで

しょうか?

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