ブログ記事にお立寄り頂き有難うございます。

皆様に少しでもお役に立てればとの思いより

考え方に関する記事をUPしております。

前回の記事で『見直しを必要と 紹介しながら

見直しを行わなかった と矛盾していますよね』

との問いを行いました。

絶望を感じている人に対して、望みを変え

なかった場合には『絶望を抱えていろと

言っているのか』との お叱りを受ける

ことになると思います。

以降の内容もお叱りを受ける内容かも

知れませんが、『絶望』と感じている場合

『絶望に捉われている』とも言えるのでは

ないでしょうか。

周囲の人は、本人の意識と異なり“あの人は

絶望状態にある”と思ってくれることは極まれ

なことで、殆どの人はそう考えていないと思います。

それより“他人ごとであり無関心”と言える

のではないでしょうか。

少し話は逸れてしまいましたが、

『絶望』状態にある と考えている人に対して

『絶望』を考えることを止めなさい

と言っている訳でもありません。

むしろ『絶望』に向き合ってください。

と言いたいのだと思います。

ある意味“絶望状態にある人に対して

更に自分を傷つけ、更に絶望のどん底に

突き落として下さい”と言いているのと

同じだと解釈して頂いたほうが良いのかも

知れません。

それは“毒をもって毒を制する”と同じ

意味合いのことを伝えたいと考えたからです。

でもその時に考えて頂くことは『絶望状態に

ある』と考えるのではなく『何に対して

絶望しているのか』を考えて頂きたいのです。

それは『何に対して』が重要なのです。

その『何』が分れば、打つ手は色々あり、

そして、心の問題であれば、選択肢の中に

『認知行動療法』や『個人心理学』等の方法が

あります。

一つ考えて頂けませんか?

“ピンチはチャンスでもある”と言われて

います。

ならば

“絶望は志望に変えられる”と言えるのでは

ないでしょうか。

あなたはどの様に思いますか?

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