今日のひとことブログ

いま、息子のスイミングスクールの待ち時間なのですが…。

娘はまだ小さく、ギャラリーで走り回るなど

長時間じっとしていることが難しいため、
車の中で動画を見ながら待機しています。


目の前にある、車椅子マークの駐車スペース。

そのマークを見ながら

パパの椅子だねぇ、パパすわってたねぇって

健気に言う娘に「よく覚えてるねぇ」と言いながら

外を眺めてたら…


そこに、何のためらいもなく、
TOYOTAのEsquireが止まりました。

ササッと降りてお迎えに行く 男性…


おそらく、スイミングスクールのお迎えでしょう。
「少しの間だから」
「空いているから」
そんな理由なのだと思いますが

胸の奥から強い憤りを感じました。


私の夫は、車椅子を使用していて
車椅子マークの駐車スペースには、
これまで何度も助けられてきました。


あの広さがなければ、
ドアを十分に開けることができません。
車椅子を降ろすこともできません。

空いていなければ、予定を外出そのものを

諦めなければならないこともありました。


だから私は、必要のない人が止めているのが

本当に許せないのです。


誰だって使わずに済むのであれば、それが一番いい。

でも、必要な場所なんです。


車椅子マークの駐車場は、優先席ではありません。
空いていれば使っていい場所でもないと思います。
そこがなければ、困る人がいる場所です。


本当に必要だったとき、空いていなければ、
その場を離れ諦めて帰りました。静かに我慢。

(電車の優先席とは違って運転手も誰も乗っていないから)


 でも、その諦めて帰る姿は、

必要でないのに止めている人たちには見えてません。
だからこそ、
「誰も困っていない」
そう思われてしまうのだと思います。


けれど、困っていないのではありません。
困る前に、諦めているだけなのです。


目の前に止まるTOYOTAのEsquire

その車から颯爽と降りていく男性を見ながら、
怒りと同時に、悲しさも込み上げてきました。

(その後、男性と一緒に戻ってきた男の子も、

車に駆け込んでさっさと出発していきました)


どうして想像できないのでしょうか。
どうして「自分は違う」と思えてしまうのでしょうか。


この怒りは、心が狭いからではない


過去に、本当にその場所を必要として
いたからこそ感じるものだと思うのですが…


今日は虫の居所が悪いのもあっめ
車の中で、静かに怒っています。

 

 

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