最後の一人までが全体である | 高田健一「すこいち徒然浪漫譚」

高田健一「すこいち徒然浪漫譚」

只、只管に浪漫の道を駆けずり回る、平成の世に突如として現れた希望の星……に成れたら先祖も浮かばれるであろう売れない役者まっしぐら。
すこいち君こと高田健一の長い長い東海道五十三次浪漫譚。




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ただいまスターバックスにて坂手洋二さんの戯曲集「最後の一人までが全体である」を呼んでいるのである。

以前、演技のレッスンの時に取り扱ったのが坂手洋二さんの「いとこ同志」なのであるが、ビヘヴィアの読み合いが続く大変繊細なものなのである。



この作品も、実に繊細である。



「……」が非常に多様で、台本をただ読むだけでは難しいのである。



常にビヘヴィアの読み合いである。



まるでスターバックスが稽古場である。



読むだけで段々と疲れて来るのである。



吾が輩は猫である。



いや、吾が輩は猫ではないのである。



では、吾が輩は何である?



吾が輩は人間である。



では、吾が輩が人間たらしめる証拠はあるのであるか?



……



吾が輩思う、故に吾が輩ありである。



それはヴィトンである。


デカルトである。



デカルチェであるか。



それはアイスである。



話の矛先が支離滅裂である。



それ以前になにについて談義していたか忘れてきたのである。



終始がつかないのである。



頭の中がバルスなのである。










どっかーん!!!!!!









皆さんこんばんは、高田です。

コレから観劇に行ってきます(^-^)/スゴく楽しみだっ!