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爽やかな秋の晴天のもと、自宅バルコニーにアイロンとアイロン台をセットして、アイロン掛けをした。
 
主婦にとって日常のルーティン家事であるアイロン掛けを、なぜ、わざわざ効率の悪そうな、一見馬鹿げたようにも思えるシチュエーションで挑んだかというと、ある本にアイロン掛けの概念を180度かえられてしまったからだ。

 

 

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日本におけるエクストリーム・アイロニングの第一人者、松澤等さんの著書「そこにシワがあるから」。
クライミングの本を探しにいった図書館でみつけ、最初は興味半分で手に取っただけだったが、読み始めたら、完全に感化されてしまったのである。
 
エクストリーム・アイロニング。直訳すれば究極のアイロン掛け。その存在を最初に知ったのはおぼろげだが、何年も前にみたテレビ番組だったと思う。筋肉ムキムキの男性が、スカイダイビングや崖登りをしながらアイロン掛けをする。曲芸的なインパクトが強く、当時は笑って眺めていただけだった。
 
それが、とても失礼な誤解であったことを、本書で知ることとなる。
 
『苦労して山頂に辿り着くと、その頂には己の肉体を駆使して到達した者だけが味わえる「達成感」という瞬間が待っている。(中略)ほとんどの登山者は、この達成感を求めて山に登る。山頂に到達したときの至福の瞬間は、何物にも代えがたい喜びなのだ。
 しかし、エクストリーム・アイロニストの登山はここからが違う。山頂に立った達成感に包まれながら、我々はその場で「アイロン掛け」を行うのだ。(中略)するとどうだろう、山頂まで登った達成感に加え、アイロンでシワを伸ばす爽快感や満足感がそこにミックスされ、普通の登山者たちよりも、さらにひとつ上のステージでの達成感を得ることができるのだ。』(本文抜粋)
 
 
松澤さんは元カヌー競技者で、アウトドアスポーツの達人だったようだが、特筆すべきはアイロニストになるずっと前からアイロン掛けが得意な家事であり、アイロン掛けへの情熱と探求心がすごいのである。アイロン掛けという繊細な作業に、ハードな肉体運動を融合させるとは、私などにはとうてい出来ないが、読み進めるうちに、アイロンが掛けたい!家の外で掛けてみたい!という衝動を、抑えることができなくなった。
 
 
 
『我々アイロニストは、どんな状況下でも、そこであえてアイロン掛けをすることにより、目を閉じれば、たとえ切り立つ断崖の途中であれ、自宅の庭やベランダにて毎日のアイロン掛けをしているような安らぎの感覚を得ることができる。(中略)どのような状況下でも、我々はアイロン掛けによって「鉄の平常心」を得ることができるのである。アイロンセットをあえて山に持ち込むことによって、逆に高い安全性を確保しながら山と対峙できるのだ』(本文抜粋)
 

 

 

 

この、「鉄の平常心」という言葉を見つけたとき、自分の中で一気にシンクロがおこった。

 

 

 

 

 

我が家で子供が味噌汁をひっくり返す、コップや皿がわれる、油性マジックでラクガキされる、猫が大事な書類をかみちぎってダメにしてしまう、そのタイミングで、私が身につけたものが無心となる掃除スキルである。

 

 

 

 

 

掃除をひとたびはじめれば、汚れはただの現象となり、ブレない自分が出来上がるのであった。これが、掃除の持つパワーだと思っていて、松澤さんにとってのアイロン掛けは同じ効果のことを言っているのではないかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

これを、確かめたくなった。そこで、冒頭にやっと戻るが、外でアイロンをかけてみることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨後の晴天日にさらされた自宅バルコニーには、羽ありが発生しており、一瞬躊躇したが、

 

 

 

 

 

 

 

 

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人口芝に掃除機をかけて、気持ちを静める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そして、その人工芝に台とアイロン、ナフキンをセッティングして、正座スタイルで掛け始めた。
 
 

 

 

 

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いつも通りの手順で巾着も。(子どもたちのお給食セットである。)
 
我が家は江戸川がすぐそばに流れていることもあり、肌に心地よい川風を感じながら、遠くで小鳥のさえずりを聞きながら、ときどき空をみあげれば秋の晴天がひろがっており、、室内でかけるよりも素敵なシチュエーションで楽しくアイロン掛けが行え、癒しの時間であった。
おひさまの下でおにぎりを食べればおいしいし、読書をすれば気持ちいい。それとまったく同じである。
 
しかし、困ったことに愛用のティファールのアイロンだが、コードレスで使用していたら、途中で何度も充電がきれ、そのたびに雑念がよぎる。
 
 

 

 

 

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部屋から延長コードで電源を確保した。
 
この状態でストレスなくアイロンを掛けていたら、こんどはアイロン掛けの中にダイナミズムが生まれたというか、まだまだ、もっと、たくさん掛けたくなってしまったのである(掃除スイッチが入ったときとまさに同じであった)

 

 

 

 

 

 

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普段かけない布団カバーにアイロンを掛けた。
 
 

 

 

 

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目の前に干している布団にも掛けた。
 
 
この時にはすでに、むしろ、自分がアイロンと同化していたので、面倒くさいとか、やる必要がないのに無駄だとか、そういう思考は一切うまれてこない。やはり、掃除と同じ効果を感じることができた。
 
実は最近ちょっと忙しくて、他にやることもたくさんあり、こんなことやってる場合じゃない、という気持ちも最初は少しあったが、それも消え、最終的には癒されて、気持ちが元気になった。
 
アイロニストの人たちが重たい発電機とアイロン台をかかえ、山を登る気持ちに共感でき、リスペクトの気持ちがしっかりと芽生えた。
 
小さな家事でも、普段と視点をかえてやってみてはじめてわかること、やってみれば変わることが、まだまだたくさんあるのだろう。無駄を省いたり、時短や節約を重視したり、効率を考えることももちろん大事だけれど、その対極にも大事なものがたくさんあるはず、と確信できた体験となった。