仕事の出来ない人間は、幾つになっても、どこまでも、向上心がないのである。
モッサラ、モッサラ仕事をして、出来ません、終わりませんと平気で言う。
仕事が出来ないのに、貰う給料だけは高く貰いたい、欲望だけは高く
休みを多く欲しがり、頭の中はいつも空っぽで、何を考えているのかと
心配になってしまう言動が多く、人から言われた仕事しか出来ないし
次にする仕事は思い付かない、仕事の指示をして貰わないと動けない
仕事の段取りを、1~10まで整えてやらないと、仕事の手順すらも
組み立てられず、チャランポランに仕事を進めるからロスが多く
結果的に無駄な動きにしかしないから仕事が早く終わらない。
終わらないのが当たり前であるかのような、屁理屈だけは電光石火の如く
思い付き、まるで職人芸のように垂れ、屁理屈を言うのだけはイッチョ前
しかし、その屁理屈は的を得ていないので、直ぐに見透かされ評価を
落とすだけの、自業自得の行為なのであり、本人が損をしているのに
それすらも気が付いていないので、何度も同じ事を繰り返しては
どんどんと、自分の評価を落とし続けると悪循環を招いているのである。
仕事は、シャッシャとやって、もう終わりました、次の仕事はなんですかと
聞いてくるならば、今日はもう上がっても良いと、仕事を命じる方が言い
では、お先に失礼しますとシャッシャと帰るならば、良く出来ましたと
誉め言葉も出るし、ハナマル汁し、もとい花丸印も上げたくなるのだが
人が見ていないとガクッとペースを落とし、モッサラ、モッサラと動いていて
仕事は、終わりませんでした、では、お先に失礼しますさようなら~と
ごく当たり前のように言われたら、誰でも、サッとヤッサンが憑依してしまい
怒るで!しかし!メガネ、メガネと言うでしょう。
モッサラ、モッサラが好きならば、いつまでもモッサラ、モッサラやっておれ!
人生、すぅ~っとモッサラやっていれば良い。
だから、それなりの人間として見られ、それなりの人間のレッテルが貼られ
一度貼られたレッテルは、簡単には剥がれないので、評価も上がらずに
偶に、一生懸命になってやっても、人から誉められもせず、認められもせず
ならば、もっとモッサラ、モッサラやった方が徳であると思い、自らが土壺に
入ってしまう、タコ八ちゃん労働者のままで、一生を終えてしまうのだろう。
モッサラ、モッサラ、仕事が出来なくても、人に見られていなくても
いつもキビキビ行動していれば、本当に真面目な人間であると信用も付き
無理のない仕事を与えられ、人間はゆとりがあれば、人間性も豊かになり
次に向かう、向かえるように、向上心も生まれる事であろう。
仕事の出来ない人間の多くは、監督者や上の者が見ていない時に
モッサラ、モッサラ仕事をする、モッサラの法則があると思う。
おわり