昔、小学生時代に収集していた、値打ち物の記念切手を
探しまくったけれど、結局はどこにもなくて、諦めて日を改めて
探す事に決定しましたが、捜し物の副産物として、とても懐かしい
トロフィーが出てきて、私にも、このような栄光を浴びた時代が
あったなんて、懐かしく思いながら、そうそう、うんうん、あの時は
こんなメカニカルトラブルがあったけど、レスコンで腹の下に潜り
緊急修理したなぁ~とか、おいおい速すぎ、飛ばしすぎ、早着だよと
ナビにこっぴどく叱られたり、仲間が横転してマシーンを池?川?に
ゴロンと落として、泳いだとか溺れたとか、マシーンは当然全損とか
雨降りのコース、ヌッタヌッタの、ドロドロの道を走らされた
ラリー初参戦の時を思い出したり、あの時は、確かお金がなくて
ラリータイヤが買えず、スパイクピンを夜になると自分で抜いて作った
ラリータイヤもどきの、スノータイヤで参戦だったなぁ~とか
39、800円のラリーコンピューターも、当時としては非常に高価で
お金を貯めて買えるまで、暫く掛かったような思い出も蘇ります。

非力な1600cc2TG-EUが
乗せられたTE71カローラ
4ドア・FR車で、しかも
排気量が無制限である
Cクラスと言う中で、当時
向かう所敵なしと言われた
エンジンパワーを持つ
ランサーターボと互角に
張り合い見事に優勝をした
武勇伝を示しす証の品です。

前の年は準優勝で涙を飲み
来年こそは優勝と夜な夜な
練習に励みタイヤを磨り減らし
石にヒットさせたりマシーンを
あちらこちらと壊したりして
寝不足で体調も崩したり
金がなくていつもピーピーで
マシーンはいつも自分で
整備しながら維持しつつ
苦労の連続の年でした。
ショックが抜けて、ショックを買うお金もなく、競技に出場をしたり
ブレーキパットを大会当日の夕方に行い、作業に手間取って
受付時間に遅刻しそうに、そして急いで走っていたら、何ともこんな所で
速度測定、ピピピーと止められ、32km/hオーバー当時6点マイナス
しかも、免停30日付きで、ガクッと戦意を喪失、SSで深い側溝に
ダイブしながらもスピードを落とさずに、アクセルを踏み続け
急な土手の坂を登り切りコースに復帰するが、そんな日のレースは
やはり、メロメロの結果でありまして、入賞するのがやっとでした。
だがしかし、シリーズ戦の後半は、昨年のライバルと切磋琢磨しながら
良い成績を積み上げて、最終戦で大逆転をして優勝したのでありました。
ウッヒョヒョヒョヒョ~、そう、この時には、ランタボも目じゃない
当時の怪物、ファミリアの4WD、Turboと同クラスでした。
林道で、初心者が乗るファミリアの4WD、Turboと、キロ4秒も違う
正に、致命的とも言えるハンディーは、本当にきつかったぁ~
まあ、それが新しい自動車も買えないし、競技から引退する決意となり
現役を引退し後輩達に期待をしましたが、結果は思わしくなく
JAF公認のチーム自体も、何となく自然消滅をしてしまい
私は、ラリー界から姿を自然消滅的に姿を消したのでありました。
本当に好きならば続けられるでしょうとか、思われるかも知れませんが
モータースポーツはお金が掛かるスポーツですから、お金持ちでないと
参加するだけで満足とは、なかなか行かない訳なのであります。
それがモータースポーツの現実であり、とても厳しいところなのです。
この優勝の文字がなければ、自慢したりは出来ません。
章典は一代に限り有効と、日本国憲法にも明記されていますから
しっかりと、自慢しないと、私が死んだら章典は消えてしまう訳なのです。
国会議員の子供が、国会議員になれるとは、ちょっと話が違うのです。
親の七光り、あっ、モータースポーツも財力があれば、それもありですね。
まっ、貧乏人でも頑張れば、何とかなると言う、応援メッセージ記事として
なにをやっても駄目なんだと悲観的になっている、日本国国民の若者に
スキスキのおやじでも出来るんだからと、元気を出して貰えれば
それはそれで、嬉しい訳であります、ホンキーになって頑張れば
センスがあれば何とかなる、それを探すのは大変だけれども
きっと君達なら見つけられるさ、若いんだから元気を出してファイトだよ!
おわり