開拓の初めは豚と一つ鍋 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

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Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

なにもなかった場所から、何かを生み出して行く開拓とは
 
本当に困難も多く、苦労も多く非常に大変な事であり
 
その開拓を成し遂げた瞬間に、人はまた次の新しい開拓を見つけ
 
新たな苦労の道を自ら進んで、歩み出して行くのだろう。
 
誰かが開拓したものを、未完全だと判断をし、更なる開拓を求めて
 
動き出す人もいるだろう、だがそれは開拓ではなく
 
応用と言う、今もて囃されている「カイゼン」なのであり
 
真の開拓とは、ゼロから生まれたものであって、そのゼロから
 
生まれ出たものに、人は、敬意を払わなくてはいけないのだろう。
 
先陣の苦労も馬鹿にしたような、巷では、カリスマと呼ばれている
 
経営コンサルタントが、現代社会の中で多く発生しているらしいが
 
そもそも、自分の会社を守れない、経営能力がない者達が多く
 
存在しているから、他人の能力に頼る経営者が増えているだけで
 
金を出せば誰かが助けてくれる的な、現在の日本国と同じ顔を
 
している事が良く見えるのであるが、その事に気が付いている
 
日本国国民は、果たしてどの程度の人数がいるのかと
 
知りたくなる訳ではあるが、それを知ったところで
 
どうなるものでもなく、気が付いている人達は、その人達なりに
 
色んな事を考えているのだろうから、それはそれで良いのだろう。
 
おそらく、現在の日本国に求められている事は、「カイゼン」ではなく
 
ゼロから生み出す、開拓なのだろうと私は強く感じているが
 
現在の環境を、ゼロにされてしまうと非常に困る者が多い社会なので
 
都合主義に媚びた、屁理屈や、ご託を並べている形式だけの改革が
 
大きな声で叫ばれていて、応用に逃げてしまった「カイゼン」に
 
多くの者が救いを求めているだけなのだと、言いたいのでありました。
 
おわり