一本の鉛筆を使えるように、普通に削る仕事があったとした時に
その仕事に価値を付け、お金を払うと決めて任せた場合に、ある人が削れば
その仕事は10円の価値の仕事として報酬が支払われ、全く同じ仕事を地位や名誉が
あると言う先生や、大臣、議員、役人にさせると、最低でも100円を払わなくては
絶対にいけないのだと、それがまるで、世の中の当然な事なのだと、言わんばかりに
力を入れて民衆に言い出す、ちょっと頭が変じゃないのと、思える日本人が存在していて
誰もが絶対に其奴らの言っている事は、絶対に可笑しいと思っているのに、何も言わずに
ヘイヘイとその者達の言う通りに、100円を支払っているその姿が不思議なのである。
その様な考え方をする日本人が、なぜに存在しているのか、なにか歴史の中に秘められた
呪縛のような深い理由がなければ、人間は平等であると定められた日本国なのであるから
そんな考えには絶対に成らないし、同調する者などいる筈もない訳であるのだが
それが、現実に日本国には大勢いるのだから、誠に、驚いてしまうのである。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言ったとされている
学問のすすめで有名な、福沢諭吉であるが、新説に外国人の書いた書物の中から
その言葉をパクったと言う説もあり、なんとも日本人は作り話までも用い
伝説のヒーローを創り上げ、偶像化するのが上手いと言うのか、それらに似たような
話しとして「板垣死すとも自由は死せず」が、名言として語り継がれているが、これも実は
暴漢にチクリと刺されたような、生死を分けるような大怪我でもないのに、板垣が大袈裟に
振る舞った言葉を記者が書いたとか、秘書が勝手に作り記者に言ったとか
様々な説がある訳であり、言うなれば、大東亜戦争時代の大本営発表に近いのであろう。
それはそれとして、日本人が人間らしく生きる為には、仕事の大きさを計る事が出来る
正確な物差しを持つ事であり、その物差しの目盛りは、国民の2/3が同意がなければ
勝手に変更する事が出来ない、厳重に監理された物差しでなくては成らず、現在のように
誰も物差しを持たずに、何処かの誰かが勝手に、仕事の大きさが決められ、値段や価値を
付けていて、人々に割り振られているような、不正な労働の対価が罷り通っている社会が
存在している事に対し、多くの日本人が強く疑問を持ち、物差しを作れと日本国政府に対し
大きな声を挙げるべきであり、この侭黙っていれば、いつまでも、権力者や財力者
役人や議員どもの奴隷にされた侭、一生をうだつも上がらない中で暮らす事とになるだろう。
チクリと刺され、板垣死すとも自由は死せず~うぅぅぅぅ
そんな言葉を聞いたなら、あんたは馬鹿かと、ハッキリと板垣に言うべきなのだろう。
おわり