頑張れ、石斑魚プロジェクト | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

世界的に広がっている天変地異からの、食糧危機が心配されている訳であるが

その救世主となるのか、石斑魚プロジェクトって感じではありますが

肝心のプロジェクト活動は一向に進まず、停滞した侭で何も生んでいません。

頭でっかちになり思想だけを動かし続け、恰も、考えている事は全てが成功したかのような

錯覚だけが机上に私を嘲笑うかのように転がっていて、なんともこんな事を続けていては

いけないのだと思いつつも、先立つものがなければ動けない、決して動かす事の出来ない

現実の呪縛に身体を縛り付けられて、腕を組んでは唸っているだけの、自分の姿が情けない。

石斑魚プロジェクトを続けるのだと自己啓発の為に、このように記事を定期的に書き続け

考えを温め続けていなければ、実行は無理であると先走った心は、行動を止めるが如く自らが

息を大きく吸って、蝋燭の炎を吹き消すかのように、石斑魚プロジェクトなどと言う人々が

見向きもしない計画なんてものは、一瞬にして吹き消され闇に消えてしまうことであろう。

石斑魚イコール小骨問題を、如何に解決するかが問題であり、計画当初から悩み続けているが

やはり、骨まで柔らかく出来て、味付けも比較的容易な、缶詰が最も有効なのかも知れない。

缶詰を製造する技術を新に身に付けるのは、プロジェクト活動と平行し行わなくては成らず

時間的な余裕もないので、自らが製造する事は至難の業であるから、まずは海で石斑魚を

釣って来て圧力鍋で煮込み、どんな味付けが一番合うのか調べたり、ちょっと気になる

生臭さがあるヌメヌメの皮を、如何に処理をすれば良いのか、資金がいらない事からまずは

実行に移さなくてはならないのであるが、暖かくなる筈の春であるが、未だに雪は降るし

晴れる日も少なく天候不順が続いていて、自由に動ける週末も強い風が吹いたりと

釣りをする事さえ侭ならぬ状況に、気持だけを焦らせて風が強い日に釣りに行くと

結果はボウズとなり、更に、気持を暗く沈ませる原因ともなるのは明かであり

釣りを知る者であるからこその、自己防衛を張り巡らせられて良かったのである。

そんなのぉ~行ってみないとわかんないっしょ~、もしかしたらいっぱい釣れるかもよ~

なんて言う者もいるだろうが、釣りには風は天敵なのである、風などで微妙な竿先の感触が

失われると、幾ら釣りが得意な人であっても、魚などは簡単には釣り上げられないのである。

魚を釣ると言うのは、目には見えない相手と闘う訳であるのだから、釣り人が持つ五感と

その動きが全てなのであり、あの巌流島の決闘の、佐々木小次郎と宮本武蔵が決闘をした

語り継がれているあの場面ように、佐々木小次郎が太陽を背にせずに、なにも考えずに安易に

宮本武蔵と闘うと、一瞬の隙を狙われて、一刀両断バッサリと斬られて終わりなのである。

場所を選び潮を読み、水温や様々な情報を自分で掴み、餌を吟味し針の大きさを決め

ポイントを決めて餌を投入し、魚が興味を示し餌を口にしたその瞬間、微妙な竿の動きと

どの様に海中にいるのかを、ラインの張りや震動から掴み取り、一気に釣り針を魚の口に

突き刺して、リールの巻く重さとラインの強さ、竿のしなり具合を瞬時に頭の中で計算をし

早すぎず、遅すぎず、ラインを巻き取りながら魚を手にするのだから、正に、盲目の座頭市が

悪人をバッタバッタと斬り倒す、そんな場面と一緒なのであり、風が吹くと五感が乱され

雨が降り冷たくなった手からは、繊細な動きを感じる感覚を奪い去り、釣れるはずの魚すら

全て取り逃がしてしまう事は、今更、言うまでもない事なのである。

釣れないと分かっていても、糸を垂らしたい時もあるのが釣り好き、釣り師の宿命でもあり

その考え方は複雑なので、釣りが好きな人にしか分からない、生産性よりも侘びと寂を

重んじる、和の心にも似たような、なんとも釣りが嫌いな人には、なんで釣れないのに

餌代と油代まで掛けて、釣りに行くのと、理解が出来ない行動と成るのだろう。

待っていろよ、石斑魚ちゃん、必ず、いっぱい釣ってやるからな!!

おわり