「脳死」、いわゆる「法律上の人の死」に、資本主義社会としての常識とした
人々の気持ち、思想理念がある社会で、果たして人の命を奪い、そして人の命を救う
人間が創りだした仕組み、システムが上手く動くのか、底知れぬ恐ろしさを感じてしまう。
資本主義社会を強調する言葉に、高度な医療技術であるから、決して無料では出来ない
その様な理由が成り立つのであれば、医師や医学者だけの技術だけでは絶対に救えない
その救う為には必要不可欠な、材料ともなる人間の臓器、人間の心臓を止めなくては
手に入れられない人の命は、高度な医療技術よりも上位に位置づけられ、価値が高いもの
高額なものとなるのが、いわゆる資本主義社会の仕組み、大原則となる筈であろう。
人の命を奪わなくては得られない、最上位の高価な人の命を、「善意」と言う言葉一つで
完全に覆い尽くし、医療関係者達だけが無料で使用が出来る、それが資本主義なのだから
久間じゃないけれど、しょうがない、そんな理由など成り立つわけがないのであろう。
そこに大きな違和感が生まれ、誰かに誑かされ、騙されていると感じてしまうのが普通で
そう思うのは、もしかしたら、私だけなのかも知れないが、臓器移植は関わる者の
全ての善意が結集してこそ、成り立つ仕組みであり、人々もそうあるべきだと求めている筈
善意、慈悲だけで、人の命を奪い行われている、提供する者の納得と理解が得られた
生け贄を求めた臓器移植でありながら、その仕組みの中に特別な権限の者を置くと
人々に持ち上げられ、人々に偉いと言われたいが為、有名に成りたいが為
賛美や歓声に浸りたいが為の、決して出ては成らぬ、目立ちたがり屋の偽善者の出現や
第三者からの精神的な圧力や、精神的な暴力、暴行などが加えられた、強制的に創られた
強制された善意が出現したならば、元々形などはない善意であるから、言った、言わない
証拠がある、ない、などのいつもながらの、目には見えない事を良い事に、まるでお化けを
扱う話しに翻弄してしまう懸念もあるのでしょう。
もともと曖昧である仕組みが、更に歪められ、悪意が頻繁に放たれてしまえば
一気にその仕組みは崩れ去り、後に残るのは、ビジネスとして成長してしまう危険もあり
藁にも縋りたい家族の悲痛な叫びが響く中、人の善意に縋る事しか出来ない治療は
金銭費用が手元になくては救えない、家族が置き去られてしまう悲しい事態が
現実と成らない事を切に祈るしかないのかも知れない。
人の命で商売をする者達と、金を持つ者達だけの、何もかもが金にまみれた醜い仕組みに
ならない事を祈るしかないけれど、多くの人々の協力と善意、慈悲の心だけで
バランスが保たれなくてはならない、人の死がある現実の仕組の中に、誰か一人だけが
特別とされる者達を据え置けば、特権を行使させ行く中に、いずれは、それが奢りとなり
やがて小さな不満が沸き上がり、その均衡がとれた善意だけに動く仕組みは、必ず、揺れ
崩壊の道を辿る運命が待っているのだろう。
医者だけは特別、私達医者だけが神なのだ、無料で命を捧げて当たり前
だけど我々は特別な技術を持っているから、満額報酬を頂くのが当たり前
善意とは無料で行ってこそ善意であって、報酬を求めるなど善意ではない
それは偽善と言うものである、だけど、世の中は資本主義社会なのだから
我々だけはしっかりと代金は頂く、だけども貴様らは無料で良いのだ
何故なら、それが人の善意なのだからなのだ、よこすのか、よこさないのか
あんたは善人なのか、悪人なのか、早く決断をしろ、無料でよこさないのなら
世間からは悪人、鬼畜生と言われるぞ、救える命、救えない命、どっちが大切なのだ
人の死を「脳死」とする、法律がなければ単なる殺人者、だから人の死を「脳死」と
定める法律が必要になる、そしてその中にビジネスが、形成されているとしたならば
それが資本主義社会の原則と言うのならば、私はその主義に強く反対をせねばならない
特権階級、権力者を据え置いた仕組みの中に、人の命の炎を消してまで、利益を貪ろうと
する者達の影があれば、破滅の運命が秘めている、それが、資本社会主義と言う
欲しい者がいるから金を取り与える、金儲けの素が入手が困難になれば
何がなんでも合法的にして、手に入れる方法と手段を編み出して、合法の判子を元に
善意だけで飯が喰えるかと、まるで、サブプライムローンに同化した姿となる
なにもかも、金が全てになる、それが資本主義社会の大きな弱点である事を
人の命を扱う中である、臓器移植医療を考えるにあたっては、人々は決してその事を
忘れてはいけないのだと強く激しく思うのであります。
この世は、資本主義社会なのだから、久間じゃないけれど、しょうがない
そんな声が出て来るなんて、末恐ろしくなってしまうのである。
子供の神隠し、人攫いが金を目当てにした犯罪者達の手で、頻繁に発生する可能性もある。
犯罪が犯罪として、人々が認識出来るのは、その行為が人の目や耳に触れて初めて
犯罪である事の事実や疑いが、生まれるのであって、人に知られず影で行われている行為は
まだ、犯罪として認識する事も気配すらも、誰も気付かないのだから恐ろしい。
何でもありの世の中であるがこそ、そのなんでもに利用されない為の防御が必要であり
医者はみんな偉い、悪い事をする人間はいない、そんな思い込みは持たない方が良い
人々が決めた、合法的な人の死が確実にある中、臓器移植手術は、提供する者は勿論の事
臓器を提供される側、その手術を行う医者、コーディネーターを含めた医療関係者の
その全てが無料、無償の善意として行われるべき、全てが人の善意で完全に動く事業であって
それを行うべき施設や器具や設備などは、日本国政府が責任を持って整え、臓器移植しか
救えない人々を受け入れる為に、国費で賄い無料で提供すべきなのでありましょう。
社会保障費を削り、マンガハウスを建てると言い出す、自殺者3万人を救えない
そんな姿の、資本主義社会国家は笑えますね。
人の死を「脳死」とする、その判断に、誰か達に騙されてはいませんか?
その事を真剣に考えなくてはならないのが、貴方達、日本国国民なんですよ。
我が子の命を他人には絶対にやらない気持が多い中で、臓器を提供して頂けるように
しっかりとした、公平で平等な仕組みを創り上げるのが、患者を持つ家族の仕事であり
そう動くべきなのだと、私は強く感じます。以上
今日は、この問題についての記事は、おわります。
おわり