「固定観念を捨て多くを見つめ 過ちに気が付いたならば それを正せば 新しい光は見えてくる」
とても、長~~い、当たり前の事を、ただ当たり前に言っている、分かり易い格言だけれども
自分が強く持っている思い込みは、思考を閉鎖してしまう事が多く、こうであろうとの想像には
思い込みの要素が大部分を占めていて、あくまでも想像の域は脱していない訳であり
持っている知識が古ければ、当然のように古い想像しか導けない。
旧道をいつまでも歩いていても、いつもの同じ街並みが続いているだけで、景色も変わらないし
目的地に着いてでる場所も、常に同じであって、何度も通っている旧道を使い続ける限りは
例え、途中のルートを変えたとしても、その道が旧道である限り、ただ距離が長くなるだけで
最終の出口は全く変わらないのであり、今まで一度も通った事のない新道を使えば
通る場所が違えば、今までずうっと見ていた街並ですら、違う景色にも感じる訳であり
いつもは建物の影に隠れて見えなかった、池や沼、小さな建物や風呂屋の煙突なんかも見えて
新しい発見もあるのだろうし、町の中を隈無く知り尽くしていたとしても、変化などがあれば
それは言い換えれば、見た事のない新しい発見なのであり、旧道から見える景色が
自分の目から見える、全てではないと言う事の、明かな証拠となるのだろう。
新道と旧道の使い分けをしながら、常に新道を探す心を忘れずに、様々なルートから
様々にアクセスが可能な脳にしていないと、いつも同じ道を歩き続けているだけの
何かに凝り固まっている、頭の固い人間になってしまうのだろう。
物事を考える時に出るだろう、自分の思い込みを一度、脳味噌の中から出して
机の上に並べてみて、完全にその知識が正しいものか、詳しくチェックする必要があって
間引き作業をして、本当に正しいものだけを残し、ファジーなものは一度横に置き
青黄赤と色分けをして整理して、赤が多い時には新しい正しい知識を得て、可能な限り青が多い
考え方として纏めれば、過ちの少ない考えが纏まるのだろう。
青黄赤を整理する時間を、最小限に抑えられるように努力すれば、素早く正しい答えや
考え方が出来るようになるのだろうし、進む方向を照らす強い光も見えてくるのだろう。
自己反省の時間は おわり