労働者は、終業後には、消費者と変わり、店先で品物を値切る鬼と化し
貴様の労働は二束三文だから、この品物を提示額よりも安く売れと詰め寄り
その位置が180度反転させれば、安く売れと詰め寄られる者となりながらも
鏡の中の自分が見えず、無心に労働の対価を斬り捨てる、人を蔑み見ながら
土足で踏み付けている、傍若無人な鬼の姿を晒し続けているのだろう。
物書きは、ものを書いて幾ら、他人から面白いとものを書けば、それが労働の対価となり
農業従事者は、良い農作物を作ってこそ、経費分に上乗せされた、労働の価値が認められ
それが労働の対価として、他人から報酬を頂く事に繋がり、もしも、評価する標準がなければ
市場に出回る量と質だけに、完全に依存された単価だけが、農業者には全く知らない場所で
一人歩きをして、それを総括する組織に、完全に労働の対価までも、牛耳られるだけになる。
労働の対価を上昇させる為には、付加価値を付けなくては成らず、労働者も農作物も
人とは違う人に認められる要素が必要であり、ベルトコンベアーの前に立ち、同じ仕事
流れ作業だけを毎日繰り返している者よりも、前で立ち仕事を出来るベルトコンベアーを
作った者の方が、労働の対価は高くなるのが当然な事であり、強度や回転数を計算し
コンベアーの構造を設計した者が居なければ、当然に、ベルトコンベアーは存在しない
もしも、直感だけで作られた機械であれば、その前に立つ労働者は、機械の不良などで
事故に遭う危険もあり、安心して作業が出来ない訳であり、ケガ人が続出すれば
経営者は悲痛な叫びを発し、青くなってしまう事だろう。
労働の対価を決めるに辺り、例として、要するに、この仕事をするには
ずぶの素人が1時間かかる様な仕事であれば、1万円と定め、早くそれをこなすと
労働者経営者の利益と成るように、手の早さこそが、付加価値となり
付加価値を多く生む労働者を雇えば、経営者も利益が増す的な、労働の対価が基本となった
労働者はみんな同じである、ナカヨシコヨシ制度を改善しながら、手のろい労働者は
手が早くなるように努力をさせる、ちょっと厳しい社会にしなければ、日本国国内の
様々な分野での生産性も上がらず、労働者の収入も上がらない、不況の土壺から
全ての者が這い上がれない、上っては落ちを繰り返す、あり地獄の中に居る人みたいな
そんな状況に居続ける事に成ってしまうだろう。
みんな仲良くは良いけれど、みんながみんな同じ能力を持つものでもなく
良い学校を出たからと、良い役人や医者になるとは限らない訳であり
能力のない者は厳しく評価、判別されながら、判別された者はその事を妬まない
妬まなくする社会の仕組みを作り、自分が努力さえすれば、上に登れるような
手助けをする場や、人材、教育施設を日本国政府主導で充実させるべきなのであろう。
決していつものように、箱物建設に走るような何かをするには、新しい施設がなくては
絶対に駄目だと動いてしまう、利益誘導型の議員達がいるが、そうではなく
日本国中に、星の数ほどある、既存の施設でも十分に運営は出来る筈であり
新たな事業には、また新たな負の遺産と繋がる、馬鹿なことはヤメにして貰いたい
年金便は、公務員が各家庭に届ければ、何百億と言う予算が浮いた筈であり
そもそも、自ら達の管理責任が問われている事柄なのに、何故に動かないのか
全くもって、役人の考えていることは、全く分からないのである。
役人の労働の対価は、1日働いて、3000円だな。
おわり