人を幸せに導く方程式 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

政治の事も知らない、いや、知ろうともしない、今、この現実だけを必死になって
生きようとしている、世の中の動きに対し動物的な本能で、文句だけを言っている
ある面では羨ましくも見える、母ちゃん達がの声にスポットを当てて考えてみよう。

「物価が上がって家計が苦しい」と、嘆いている母ちゃん達の声に
その根元を創り出したのは、自ら達である事など、微塵にも感じていない様子である。
品物は安くて当たり前、誰かの苦労など知ったこっちゃないのである。
その犠牲者が、隣の父ちゃんであっても、そんな事は知ったこっちゃないのである。

母ちゃん達は、高い品物は買わないから、品物を売る店側は仕入れ価格を下げる為に
仕入先は貴方の店だけではないのだと、問屋を叩き始め値引きを強要し、なんとか安く
品物を仕入れようと強い態度で策略を練り始め、問屋側も取引を停止されて売上げが
激減する事を恐れては、仕入れ原価ギリギリまで価格を下げ、店側に品物を卸し始める。

問屋は苦肉の策として、製造元に対し今よりも、もっと安く仕入が出来ないならば
他社の品物を扱うと強く脅し始め、製造元はそれに折れて安く問屋に卸し始める。
安く安くの声の連鎖は、売る為に果てしのないコスト削減を突き付けながら
コストを下げる為に人件費を削り、それでもまだ値下げ競争に負けるのであれば
輸送コストを下げる為に、運輸会社に値引きを強要し、それでも駄目ならば
高い給料で雇っている正社員をリストラをして、給料の安いパート従業員や派遣労働者を
多く雇い始めては、低賃金で不安定な給料体系の、誰にも守られていない労働者階級を
世の中に多く創り出したのである。

経費削減に走った企業のリストラ策で、減った父ちゃんの稼ぎを補おうと日銭を稼ぐ為に
パート従業員と成り果てた母ちゃん達の姿が多くあり、今までの何もかもが手に入る
中流生活の中でなに不自由なく育てられた環境の中で、我慢する事を知らない者達は
人の事などは構っていられないと、利己主義な心が、我先にとパート職に群がる人々を増やし
若者達の職までも悉く奪い去り、人の仕事を奪ってまでも、収入の有る者が勝ち組であると
大きな声を上げ勝ち誇り、隣の家の子供の職を奪っているなどの、罪の意識など一切ない
そんな世の中の簡単な連鎖的な仕組みまでも、全く考えることも出来ないようなお粗末な
多くの国民を現状の社会は生み続けて来たのだから、それを真っ当な仕組みに正す事は
個人の利害関係が大きく関わってくるから、容易な事では正して行けないのであろう。

父ちゃんを苦しめ虐げる、社会の中の見えない連鎖の仕組みとなり、働く母ちゃんは
権力者や経営者が潤う為だけに、良いように動かされている歯車の一員であるなどとは
爪の先にも思っている筈などなく、ニートは働く意志がない駄目人間であり、学歴こそが
高収入を得られる唯一の道であると錯覚を起こし、子供のお受験の為ならば子供の人格を
偽装したり創ったりして、終いには試験官に賄賂を贈り、不正に合格を目論んだりしている
そんな有り様の中に、子供の自由を奪い、道徳心を養わせる事を捨て、心の成長を止め
学業に専念させようと、学習塾に昼夜を問わず監禁する親も多くで始め、世の中で成功するのは
学業しか将来はないのだと洗脳し、我が子をカタワにしてしまう親も増え始め

全ては金で支配する事が出来ると思い込んでる、そんな親達は、子供達の求める欲求を
満たす為に、多額の現金や高価な品物で子供達の心を支配しながら、子供をまるで学業を
学ばせる為に飼う、家畜かの様に飼育し続け、見ように依っては人権無視の虐待をしている
そんなバカ親が多く居て、なんの罪の意識もなく平然と言い捨てる、全ては貴方の為なのよ
そんな言葉は、まるで狂気と化した鬼畜の姿にも見えるのである。

他人の生活に、ものも言えない社会の風潮に成り果て、人は人、自分は自分と
自己責任で、全てを行っているかの様に見える世の中ではあるが、実は自己責任などは
一切ない無責任な社会構成であり、誰もが我が儘放題の好き勝手に生活をしている
日本国とその国民達が蔓延っているのが、現状の日本国の姿なのでありましょう。

父ちゃんの仕事を奪う、母ちゃんの姿、母ちゃんが隣の子供の仕事を奪い
父ちゃんは、仕事のない子供を安く買い叩き、派遣の職を紹介し
ピンハネで飯を喰らいながら、自分の子供は有名学習塾に通わせて
居酒屋タクシーに、組織ぐるみの年金の搾取略奪行為が許されながら
物価が上がったと嘆く母ちゃん達の姿が、なんとも滑稽に思えて仕方なく
どんな過酷な状況中かでも、最後に生き残れるのは、やはり女性なのでありましょう。

彼女たちの、自ら生き残る為の貪欲な野性的本能には、良心的な男達はきっと叶いません。
なんにも考えないで動ける、その本能に敬服いたします。
ジャンヌダルクも、そんな心で動いていたのかな、なんて・・・ふと。