自由経済主義を貫き通そうとする者の多くは、共産主義的な思想の中にある
公平平等な社会などは、頑なに反論を停止拒み続け、どんな手段を使おうとも
人々の心の中から、公平平等と言う言葉を排除しようと目論み始めるのである。
働かない者も、人の為にでも良く働く者も、全てが平等である原則などはなく
良く働くからとして、民衆の中で優遇される特権などを与えるから
そこから不平等が生まれるのだから、良く働く者は常に0として、働かない者は
-1として、定められていなければ成らず、民衆が集団となって生活する中には
+1の人間など出しては成らないのであり、+1の人間が出てしまえば
当然のように+2を望む者が出て来るのである。
-1の人間が改心することなく、更に怠けていれば、-1から-2に降格し
今まで以上に苦しい生活を、自らの普段の行いから招き、これではいけないのだと
気が付いて、0に戻ろうと努力するだろうし、0に戻ろうとして努力しなければ
益々、苦労するだけの話しであり、公平平等な社会を創る基本としての
すすめの言葉には、天は人の上に人を創らず・・があるが
人々が公平平等に生きる権利はあるが、生きられるか生きられないかは、自らの努力が
絶対に必要であり、人の優しさに甘えすぎていたり、人の事も考えず自分だけに動いたり
大勢の人々からの忠告を聞かなかったり、自分の思想理念の殻に隠り正さなかったり
人が集団となり多くの人が集団となり、国家と言う一つの器を築いた時には
その中で、生きて行く為には、人を自らの支配下に置き、自らの利益にしようと
企むような生き方は決して許されないのであり、働く能力のない者を見捨てるのではなく
余裕が有る者が補ってあげる、無償の優しさが大切であり、それが自然に
湧いて出てくる社会が、美しい国なのであり、それを見習い多くの者達が育ち行く事が
今の日本国には必要なのだと、多くの者達は気付くはずであろう。
多くの人々から優しが失われたのが、現在の社会、今の日本国なのだと
誰しも気付いている筈なのに、自由経済主義者達は、利益の全ては自らの懐に
入れてしまおうと策略を練り続け、腐敗した議員を生み育て、輩らを見習い生きる
心が腐った公務員達が日本国領土を埋め尽くし、好き放題をしているのだから
この国の未来を変えるには、多くの国民が立ち上がらなければ成らず
-10になった者や、+10であると奢る者達を、真面目に働く国民と一緒の
0にする為の努力が必要な時が来ているのである。
独占欲と守りたがる既得権益を捨て、公平に平等に生きて行ける社会こそ
子供達に明るい未来を残せる最後の方策であり、今の大人達がそうしなければ
成らない重要な分岐点に立っているのだと、皆が自覚しなければ成らない
金や欲に流されず、利益の総取りを考える者達は、日本国から排除し
本来の優しくて明るい日本国に戻して行こうではないか
一人一人の国民が、勇気を出すことで、子供達を守って行けるのだから
もう、贅沢はこの辺で止めよう、みんな一緒で良いじゃないか