日本人の謙虚な気持が、調査捕鯨と言う言葉を生んだのでしょうね。
欧米人には、その「調査」と称される深い意味に対して、理解をする事は
難しいのかも知れませんね。
北極地方の先住民族であるイヌイットは、彼らが生きる為として、鯨を狩猟する事が
頭数制限はありますが、公的に認められています。
アイヌは神事祭り事の時だけ限定され、鮭を捕獲する事が認められています。
両者の理由は、基本的条件が違いますが、イヌイットの住む地域では、今や石油の
採掘が始まり、採掘権を業者が取得する為に、多額の補償費がイヌイットに入り
経済的に潤い始めて、鯨やアザラシを捕る狩猟に頼らなくても、食生活には困らない
人達も大勢増えているようです。
それらの補償金は、セントラルヒーティングが完備された、暖かな学校や保育施設
食材が数多く揃ったスーパーマーケットの建設などに使われ、文化的な生活を形成しながら
彼ら民族を潤している、資金にもなっています。
しかし、皮肉な事に、彼らに富と恩恵を与えている石油は、それを燃やす事から生まれる
二酸化炭素の排出から、更に地球温暖化を推進し、その影響は顕著な迄に彼らの文化を
加速度的に奪い去ろうと、恐ろしい牙を剥き始めているのでしょう。
地球温暖化は海を凍らせず、膨張した海水は海面上昇も招き、毎日押し寄せる波は
先祖から受け継ぎ住み続けていた、永久凍土で守られている土地を解かしながら
海に流れ出させながら浸食は日々進み、彼らの住む場所も、先祖から受け継がれた
狩猟方法も、自然から得る食に感謝する心も、全て奪われてしまうのでしょう。
人類が石油に依存した文化生活を営み続けると、地球上の自然も失いながら
石油利権を奪い合う戦争も始まり、やがては何もかもの全てを失うと
彼らが今、直面しているその危機を眺めながらいながら、多くの人々が
それに気付いた頃には、全ては止まらぬ手遅れになっている時なのでしょう。
多くの人々が生きる為に作られている大切な穀物を、欲得の魔力に取り憑かれた
錬金術師達と農業者達は、心を悪まり売りながら、機械にだけ食べさせる
消耗物質に変え始め、排出した二酸化炭素は善の行いなのだと
我々の善意に従った金儲けに対して、なにが問題なのか、文句があるのかと
口を揃えて開き直りながら、人々の大切な食料を独り占めを目論み動いている。
排出した二酸化炭素を地中深く埋めてしまうなど、臭い物には蓋みたいな対処方法を
恰も完全なる良策であるかの様に、人々を誑かし嘯きながら、推進し実行している
愚かな者達の、その真意と醜さを知ると、彼らを投獄したくなる衝動すら湧くのである。
隠ぺい工作や、自らを守ることだけに媚びた、都合主義を謳い平気で邪道な事をする
アメリカ合衆国と言う、悪の枢軸国の姿がいつも鼻に付き、あの国が自ら達の失敗から
地球上から大国としての力、多くの人々を牛耳っている権力を失い、今すぐに消え失せ
消えてしまったならばと思ってしまう、悲しく醜い心は、彼らと同様に自らが得たいとする
欲望を満たす為ならば、国民を戦地に送り込み、犬死にの様に大勢を殺しても
敵とみなした他国の人間を殺しても、自らの権力を誇示する為に、自らの欲望を満たす為に
当然かの様に仕方ない事なのだと、鬼畜と化して人の心を失いながら進む彼らと
全く同化する心になってしまっているのだろう。
自然保護活動を暴力を伴い訴え続けている野蛮な団体と、人々からテロリストと
称されている、ある国の軍事活動家、その組織を比べながら、思うことがある。
両者は、果たしてどこが違うのか、命懸けで戦う兵士も、自然を守ろうと戦う人も
どちらも、彼らの意志を人々に伝え、多くの者達を巻き込みながら統一を目指す
自分達に都合の良い社会を形成して行く活動であり、実権を握り自分達が一番なのだと
優越感に浸りたいだけの活動にしか見えないのである。
誰しも幸せになりたいと思う心は一緒なのに、何かに取り憑かれ自ら達の意志を
資金力や暴力などで悉く貫き通そうとする活動は、例え、全世界の為だとしても
決して許されるものではなく、認められるものではないだろう。
国家権力を握る某国の指導者と、大国の大統領とは、利権で結ばれた
仲良しこよしの仲であり、貧しく粗末な武器で戦う反政府組織は岩陰に隠れながら
某国の指導者の座、権力の奪還を狙いながら戦いを続けている。
深い利権と金で結ばれた、大国の支援を受ける某国の指導者は、自らの権力を
失う事を恐れながら、民衆を捕らえ投獄し、武器で脅しながら権力を誇示し続け
大国の力を借りて行う掃討作戦により、テロリストと称された者の命を奪いながら
その権力は揺るぎないものになる事を目論み続けている。
崩しては建てられ、そして積まれるハノイの塔を、まるで楽しんでいる大国の大統領の姿
彼の道具にされている民衆達は、その事に気が付く事もなく
彼ら望む思想理念を、暴力から得られたとしても、何も意味を成さないと気が付かず
大統領が掲げ謳う、大義名分である正義と自由を手にする為に、戦いに駆り出され
まだ、ヤードだとかフィートだとかを、普通に使いながら世界標準単位すらも
拒み続ける愚かな国民の姿を晒しながら、我が儘放題に人殺しを続けている。
西部劇に出て来る、クリーンとイーストウッドが、もしも腹黒い悪人だったとしたら
ジョンウェインが、幌馬車隊を引き連れた、インデアン領地を奪う為に活動している
テロリストだとしたら、そんな、映画がもしも創られていたならば、ブッシュ兇覆匹噺世
欲望に満ちた、悪魔の様に残虐で、腹黒い大統領などは彼らの国に、生まれる事などは
決してなかったのだろう。
村人を襲う、野武士と戦う七人の侍は、へっぽこ村人と力を合わせながら戦いに挑み
戦いの中で村人と仲間の侍の命を失いながらも、最後には野武士との戦いに勝ち
それを侍は恩にも着せず、決して奢らずに、村人達を生き残った侍の権力の統制下には
村人達を置かず、組織として居残る事もせずに、戦いとはなんとも得るものもない
悲しいものなのだと、去って行く場面がたまらなく素晴らしい。
アメリカ映画には、侘びと寂の日本の心などを感じさせる場面が少なく
強い者イコール、かっこいいとなってしまうのだろう。