人のためよりも自分 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

いつも口では調子の良いことを言っているが、イザものを頼むと屁理屈を捏ねだし
嫌そうに渋い顔をしたり、顔を見せる筈だったのにドタキャンしたり
なんとも、自己中心的な社会人が増えすぎているようだ。
しかも、そんな大人や親を見て育っている子供は、当然であるかの様に
右に倣えと育って行くのは当たり前の話であり

誰かの為に力になりたい、誰かを助けてあげたい、進んで協力したいなど
誰かの自己犠牲があってこそ、円滑に社会は動いていたのだが、自己犠牲は損であり
人の為に何かを施す事を、極端に嫌う人達が増えた社会では、集団で行動する時などは
特に、あの人はいつも動いているが、あの人は知らない顔をしていて何も手伝わないなど

活動の中で良く動く者と、動かない者との感情がぶつかり合い、誰が損をしていて
誰が徳をしているとかの話しに成るが、本来は、そんな摩擦などはくだらないものであり
同じ意思の者達が集まっている集団なのだから、仕事を分け合い分担すれば良いだけの話で
他人が背負った負担が大きければ、次回は自分がと進み出るのが本当だと思うが
どうも人間って言う生き物は、心底狡い生き物であって、相手の苦しみを知ると
自分は絶対に背負いたくないと逃げる者が多い、公平に分担しましょうと言われても
辛い目には遭いたくないと言う感情から、なら、もう、やめた とか
散々人に世話になりながらも、あっさりとその人達の心を踏みにじる行為に移る。

自分が人から施されるのは好きであり、人に施す事は損に繋がるから嫌いであり
人のために自らが犠牲となり動かなければ、人は自分の為に動いてはくれなくなるなど
そんな人間は、これっぽっちも頭の中にないのであろう。

自ら得られる権利だけはトコトン主張しながら、自らが楽をする事ばかりを
考えているような人間達は、無人島生活を1年ぐらい体験したら良いと思う。

生活の場が無人島であれば、全て自己の力と、自己の責任が全てであり
普段の生活では感じられない大切な事が分かるだろう。
自分は普段はどれだけ多くの人に助けられ、どれだけ世話になっているのか
社会から隔離された生活がなければ、自分の為に誰かが何かしらの負担を背負い
それでも文句を言わずに、助けてくれているのだと、心から深く感じる事であろう。

誰かが背負っているだろう負担、自己犠牲にいつも甘えているだけではなく
何か頼まれ事があれば、すぐに損得勘定を働かせながら、自分が都合の良い立場で
楽が出来る様に動いているのではなく、誰かが背負ってくれた世話があったからこそ
自分が楽が出来たのだから、次は苦労をした人を楽にさせてあげるために
自分の番だと進んで申し出ながら、誰かが背負う負担の荷を分担するのが
団体で動く為には、絶対に必要なのであると思うのである。

苦労を自らが進み出てこなし、こなしたことでトップに居座りたい人は
それを苦労だとは思っていないのだから、そう言う人はまた違うのだろうが
苦労もせずに、トップに居座りたい者達が増えているのも、また問題なのであろう。