北海道では、灯油の消費量が多いにも関わらず、灯油の使用量を厳しく管理したり
日々の使用量などを監視していないのが、多くの家庭の実体なのでありましょう。
それでも、家庭で使用量を管理をする唯一の場面と言えば、燃料会社から請求書が
送られて来てから、その事後の結果を見てから、目を丸くしながら驚いて
先月は灯油を使い過ぎたから、今月からは先月よりも節約をして暖房に掛かる出費を
抑えようと対処する時ぐらいなのでありましょう。
何かのデーターを根拠とした節約ならば、削減に対する意欲は大きく実行に移せますが
漠然とした節約意識では、何処から節約しようと悩みながら、とにかく暖房器を止めて
使用する灯油の絶対量を減らす手法しか、見当が付かずに実行するしかないでしょう。
当然、暖房を止めると室温は低下して、我慢を強いられる結果になり、意志が強い人は
それでも尚かつ頑張って行けるのでしょうが、こんなに寒く辛いならば、他の生活費を
切り詰めて、灯油代を多く払っても部屋を温かくしようと、灯油節約の決意も揺らいで
燃料の消費量は、元の数値に戻りながら、生活を更に圧迫して行くのでありましょう。
厳寒の北海道であるからこそ、燃料販売店の善意の心は、燃料を切らしてはいけないと
お客様の事を常に思うサービスから、いつも満タンにされた、生活には欠かせない
灯油ホームタンクがあり、消費者は切れる事なく補給される燃料に、安心感を得ながら
灯油販売店の真心が込められた善意のサービスを受けながら、快適な生活を得ながら
自らが使った分の燃料代金を払いながら、使う側売る側の双方に利益をもたらしながら
共存している深い関係があり、共に継続される便利さに社会システムが成り立っている。
自動車のように、燃料がなくなれば自主的に給油しなくてはならない、自己管理が
大きいシステムとは、ちょっと違った購買心理が働くのが、現在の灯油販売形式であり
消費する側は、いつでも好きな量を使えると言う、大きなメリットがありながらも
1日どれだけの灯油を使っているのかを知る為には、集合住宅などメーター制などで
メーターの指針で、計量購入している人などは、使用量を一日単位でチェックする事は
可能であっても、戸建ての住宅では、購入し続ける支払いを続ける事で、枯渇しない油田を
手にした様な、大型の灯油ホームタンクを設置し、全ては使う側の自己管理と責任で消費をし
それは、耐える事なく送り続けられる、電力会社からの電力を、購入しているシステムとは
変わらない方式でありながらも、日々使う量を計測が出来る手段もなく、全ては自己責任の
どんぶり計算に任されながら、消費を続けているのが現状であり、使用量に対して無頓着に
なるのが当然であるかのような、その様なところに考えは行き着くのである。
使用量を減らす漠然とした節約術と、ただ勘に頼った予測消費量を算出しながら
暖房費を管理して行くのは、非常に困難であるとは思うのだが、現実に高騰を続ける
灯油価格を目の当たりにすれば、節約しなければならない、強迫観念に囚われながらも
節約したいと言う意識だけで、どうしたらもっと効率よく節約が出来るかを考え
それに向けた手立ても施さずにいるのが、今の多くの人達の現状なのでありましょう。
消費を減らす為には、まずは、日々消費する灯油の量の計量から始まり
蓄積しながら、データー化して行く事が重要であり、様々なデーターを複合管理して
灯油の節約と出費の低減に向けて、徹底的な自己管理が必要であると思うのである。
散財を繰り返し、じり貧に追い込まれた者は、新に出費する事を恐れてしまい
節約に向けた投資に対して尻込みをして、今ある金を失うよりは現状の何もしない
今の状態を維持しながら、得をする事ばかりを考えてしまい、それは根拠のない
下手な考え休むに似たり、何も改善されない無駄なものになり、自らの努力もせずに
批判を繰り返す、筋も通りも通らない、責任を人のせいにばかりしている
キチガイと化した、今の世に増え続けている、あの手も付けられないクレーマーに
成り果てるのが落ちなのであろう。
東和の使用量を計るメーターの取付は、地球温暖化阻止に向けた取り組みにもなり
無駄に私産を失わない生活の知恵、自己防衛として有効な手段だと思うのである。