これと特定をしない宗教でありながらも、宗教と言う恐ろしい聖域に踏み込み
昔に居ただろう遠い過去、人が人へ人伝いに言い伝えられて来た宗教の教えについて
安易な考えで個人的な意見を述べる事は、ある者達から見れば相当な罰当たりな行為であって
内容や事に因れば、祟りや災いが及ぶぞと、宗教からの教えを頑なに信じる者からは
恐れおののかれてしまうのだろう。
営業マンとして職に就いた者は、先輩や同僚から、得意先では宗教と政治の話をしては
いけないのだよと、営業マンとしての御法度を習うと聞いている。
支持政党や信仰する宗教などを隠しながら、人に知られないように崇拝している者も居れば
外見上は見分けが付かないが、熱狂的な信者も居るから、政治や宗教の話から不意に相手の
機嫌を損ねる話題を出してしまうと、気分を害した相手の心一つで今まで深い付き合いの
得意先すらも一瞬で失ったり、以後から仕事が頂けなくなる可能性が非常に強いからなのだろう。
御法度と知りながら安易に語ろうとするのは、全くもって愚かなのであろうが、
世の中にある一番人間に強い影響力を及ぼすのが宗教であり、ある時は人の心を手玉に取り
本来は宗教に携わるあってはならない行為なのだろうが、暴走した個人的な思想を抱く
宗教指導者の言葉に多くの信者達は、昔から言い伝えられて来た宗教とは違う教の言葉に
恐怖心を煽られながら支配され行き、降り掛かるだろう災いや不幸を恐れるがあまり、
次第に宗教指導者という単なる人間に、マインドコントロールされながら、言うが侭為すが侭に
影武者として操られて行くのが、ほとんどの宗教に共通するところなのだろう。
お布施は施された貴方のお心でお決め下さい。
その言葉は、なんとも優しく慈悲深く、誠に有り難い宗教なのだと思ってしまうが
少し考えれば、それは宗教の教えが人伝えの中で、どこかで曲げられてしまった訳で
きっと本来の教えは、人になにかを施しても全て無償なのが、真の宗教の教えなのであり
無償から施された者は、心から有り難いと感じながら、その有り難いと言う心から
更なる無償で誰かに施しながら、有り難いの心は次から次に施しの輪となり
人から人に受け継がれ、永遠に続く慈善の輪となりながら、やがては自分や家族や孫
数代後の家族に戻って来ては、心からの有り難さは永遠に繋がる心への教えであり
その教えを伝える者さえ、現実にある社会に呑み込まれ、欲得に生きている。
お供えを供えないと罰が当たる、お布施はいくら以上でないと災いがある
寄付をしないと天国には行けない、異教徒達は必ず不幸になる
等々と、言いふれ回っている経済活動重視の宗教者が居たら、眉に唾を付けて
じっくりと見た方が良いのだろう。
宗教絡みの恐喝や詐欺事件、人の命を一瞬で奪い去る自爆テロ、我々の宗教こそが本物だ
あの宗教は偽物だからこの世から抹殺せねばならない、宗教の教えから認めない
なんとも、人間という動物がコロニーをつくり、人と人とが会話から言葉を交わし
王を決め文明をつくり、やがて王はその座から退く事を恐れ、その地位を維持するために
民衆を支配できるだろう宗教を創りながら、人の心は弱いもので、権力者や強き者に
逆らう事を恐れながら、崇め称える事で自らの保身の道を歩み行き、権力者に取り込まれては
やがて自らも王になろうと、欲望を持つ者が現れて、王を越える異教が立ち上げられて
当然の如く、宗教同士の争いが起こり絶ず繰り返されて来ているのだろう。
それでも消えて無くならない宗教と言うもの、たかだかの人間が操る魔物に取り憑かれ
どれだけ人間は戦いを続け、多くの命を落としながら、得体の知れない魔物に翻弄されて続け
その魔物の真実を知る事がいつになれば出来るのだろうか・・
宗教は心とは言うけれど・・