核の平和利用を完全に明確にしながら、それに従い利用し歩み続けている日本国が
幾ら狂気に満ちた隣国が、核兵器の力を持ち実験をしたからとの理由であろうとも
それらの国を敵国とみなし、国民の生命と財産、国土を守るために防衛の手段として
核武装も選択肢の中にあるのではないかなどと仄めかし、恐怖をネタに国民の心を
悪戯に揺るがそうとする国会議員の個人的な思想観念が問題であって
日本国は、核兵器は持たない結論が現実的にありながら、無駄でもあろう議論に
大勢の労力を使い、時間を費やす事は、誠に国益に反する非合理的な意見であり
核兵器を持たないと結論がありながらも、議論が行われると決定された場合には
その議論の中の言葉の端々に、世界は耳を澄ませ、議論の中に出てくる一字一句に
注目し、日本人の思想観念を深く探り出そうとする事は事実であり
その中に、不測にも、世界の誰かの者に対して誤解を招き、過剰に反応されて
核兵器の平和的利用を信念に、今まで築き上げてきた日本国自体の信頼を悉く
損なわせる事となった場合、誰がどのような責任を負うのか、そこが問題であって
万が一、議論の中の言葉の誤解などから、信頼や国益を失う事態になったら
どうするつもりなのか、聞いてみたいと非常に強く思うのである。
国民の代表者でもあり、国政にも大きく携わる者が、悪戯に言論の自由を持ち出して
国家存亡の危機にも関わる重大な責任も孕む、それは、個人の生命財産をもっても
絶対的に責任すらも執れないだろう、日本国民全てを巻き込む重要な発言などは
軽々しく考え、それが個人思想としても、公の場で公言して貰いたくないと感じた。
論議する余地もないところに、論議としての国益も価値もない。
考えが甘くつい口が滑って出てしまった言葉であれば、今直ぐに
自らの言葉で間違いだったと正すべきであり、個人としてのメンツや意地を
かなぐり捨てて、国家、国民の為になる方向に人々を導く方が、恐怖に対する
人間としての心の弱さを見せる事により、国民からの信望も深めるかも知れないし
弱い心を如何に国民皆で助け庇い合うか、優しい心を育んで行く方策の課題も生まれ
国家の未来には至極、得策なのではないかと思う。