未だ相手の真意が見えない侭で朝日は昇り夜は明けた。
顔が見えない中の反論は、単に犬の遠吠えに等しく意味もない行為と
諦めの中、居場所を明らかにしながら、それを隠す訳でもなくまして
逃げも隠れもしない現存する者でありながら、それを否定するかの如く
蔑んだ態度で人の持つ思想を強制的に排除しようとする企みは
果たしてその真意は何に繋がっているのだろう。
それは事業者としてのポリシーなのか、それとも欲望の中に芽生えた
隠されたシステムの中の金儲けに邪魔者として扱われたのだろうか
まあ、出向いて顔を見合わせて話し合えばなんと言うこともない実に
たわいのない話なのだろうが、それを実行せず自らが真意を探りながら
今、生きている進時間の中の、無駄であろう一つの時間を楽しむかの様に
その無駄であろう思案に身を投じ彷徨うのも試練の道だと真摯に受け止めよう。
無料と言う言葉で誘うテクニックは、古典的な集客術でありながら
今も現実に使われ続けている訳であり、集団化した者達の中に桜を潜めれば
集団心理は我がものと笑いが止まらないのでもあろう。
インターネットも然りだが、経営者がしっかりとしたポリシーを持ちながら
開発や研究の手を休めずに、その道の発展を模索しながら、様々に巻き起こる
トラブルをマイナスとは考えずに、それは企業に与えられた使命であり
課題だと信じ続け、それに向かって是正して行けば、やがては人々に認められ
更なる信頼を得ながら人々の輪は繋がり事業も拡大して行くのでもあろう。
無料でお借りしている立場上から、社交事例的に経営者を持ち上げる訳ではないが
Yahooの孫氏は、この日本国に於いてのIT技術とサービスの発展に貢献している
素晴らしい経営者であると長年に渡り利用させていただいている中で
常日頃から感謝し続けているのでありました。
繁栄は企業の力ではあるが、その中には欲と金に目が眩み様々な柵も生まれてくる
企業の経営概念があろうとも万民に対して無料で参加を求めながら、それを立ち上げた
企業側の時々の都合から、一方的に個人の思想が立ち上げられたwebには
そぐわないからと、いとも簡単に削除するのは、考えように依っては単に
自由思想に対する弾圧でもあり、何かに傾いた検閲行為でもあり、常に都合主義で動く
人間としての醜い姿を晒していると感じるのです。
個人責任を問われている中の、投稿者からの自由意思が書き綴られて
その文章には明らかに著作権は存在していながらも、それを公開しない拒否権や
削除できる廃棄権などは、利用する前の相互の約束として成立している訳だから
無料スペースに著作を公開する事は、いつでも捨てられてしまうチラシの裏の
落書きとして、自らが常に自覚していなければいけないのでありましょう。
あすこは、結局の所 それだけの価値しかなかったと言うことなのでしょう。
有象無象と彷徨いながら ポジテブに思考を向かわせたら
少しだけ頭の中のモヤモヤもスッキリとしたので
そろそろ 地域のために 洗濯しに向かいませうか・・