日本中が鬼滅フィーバーで沸く中

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは
すでに公開から6週目に入りました

自分はこれまでこの映画公開以降、この作品についての記事ばかり上げている割にはまだ物語についての考察的なことはしてなかったので、何かしらまとめられることだけまとめておきたいと思います。

なにをいまさら感が満載ですが^_^;


推し作品なので語りたいことは山ほどあるのですが、本作で自分が勝手に心配しているのは
TVシリーズなどのここまでのお話には触れたことがなくこの劇場版で初めて『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という物語を鑑賞したという方にとっては、やはり劇場版を見ただけでは伝わりきれていない部分もあるのではないかな? という点で

なので、せっかく書き残すのであれば、劇場版だけではなかなかわかりづらいポイントなどをまとめておければ、と考えました
(そんなこと別に知らなくても劇場版だけで十分堪能した と言われてしまえばそれまでなんですがアセアセ

ということは逆に言うと、今回の記事の大部分はすでにTVシリーズと原作小説を見ている・読んでいる方にとっては「そんなこと知ってるよムカムカ的な、ほとんど読む価値のない記事になるかも知れません。
その点はご勘弁をお願い

そして、あくまでも私個人の考察・感想ですので的外れとか読みが浅いとか、色々と注文をつけたくなるような点もあるかと思いますが、そんなところも大目に見ていただければ幸いです

 

さらに

書き終わってみればとんでもなく長文になってしまいましたアセアセアセアセ

もう、こんな長い駄文には付き合いきれない という方

どうぞこの記事はスルーしてください(;´Д`A ```

なおネタバレはありですので、ネタバレしてほしくないという方はその点ご注意ください




まずこれは大前提のお話ですが
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という物語は原作小説が4巻あり、
そしてTVシリーズでは13話+EXTRAエピソード1話があります

昨年には『外伝』が劇場版で公開されましたが、その物語も原作小説に登場はしているものの文字通り外伝であって、主人公のヴァイオレットの物語からは少し外側のエピソードなので、今回の劇場版に直接的に関係する物語としてはあくまでもTVシリーズの方です

そして、これが少し厄介なのですが
実はTVシリーズは原作を元にしているとは言え、原作の物語からはかなり大幅に改変されている部分が多いです
基本的な世界観の設定は原作を尊重しつつ、TVシリーズや劇場版に登場する人物やエピソードは、原作を踏襲している部分もあればまったく改編して原作には無い人物が登場していたり、逆に原作では重要な人物なのにTVシリーズでは登場していなかったり
また同じ登場人物でも、原作とTVシリーズでは性格その他が異なっていたり

そのように原作世界とTVシリーズ・劇場版では別の物語と言えるほどに違っています

そうは言ってもTVシリーズで説明が省略されていても原作を踏まえて展開しているという部分も多くあるため、原作はやはり重要な位置付けとして知っておいた方が物語の理解が深まる

原作とTVシリーズ版にはそんな関係性があると感じます

そのような基本を押さえた上で、劇場版はあくまでもTVシリーズ13話のその後(時を正確に言うならば外伝の物語の後)を描いた物語であり、劇場版の物語を読み解くうえではあくまでも基本はTVシリーズがベースということになります


そんな前提があるので、これより下の解説的なお話は基本的にはTVシリーズを踏まえつつ、原作でしか語られていない背景にも踏み込んだ考察の上での私なりの解釈として進めさせていただきます



〔なぜヴァイオレットは少女兵だったのか〕

まず最初に押さえておきたいのですが
まったく初めてこの物語に触れた方にとっては、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという女性が過去に少女兵だったという設定が、なんとなく「ああ、そういう物語の設定ね」程度に捉えられていないでしょうか?
・・・この劇場版の中ではその理由については語られていないので

実はこの背景が『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という物語を構成する要素においてはかなり重要で、そこを正しく理解出来ていないと、劇中でのヴァイオレットとギルベルト(少佐)との関係性も見誤ってしまう可能性があると思うので、まずはそこから書いておきたいと思うわけです

とても大事で複雑な背景なので、その説明はかなり長文になりますが(;^_^A


ヴァイオレット・・・最初は名が無く「ヴァイオレット」という名を与えたのはギルベルトだけど
彼女の出生自体は原作でも明らかになってなく、孤児ということは確かです

で、初めて彼女が見つかったのは、原作ではギルベルトの兄 ディートフリート・ブーゲンビリアの乗る海軍の船が遭難して流れ着いた、地図にも載らない孤島で ということになっています


この設定はTVシリーズでは特定はしていないので、TVシリーズの裏設定が原作を踏襲しているのかどうかは自分にはわからないですが

その頃の彼女(後のヴァイオレット)は言葉を理解せず、主人が「殺せ」と命令すれば人でも動物でも躊躇なく殺すだけのただの獣であったと
それが原作上での設定で

彼女はディートフリートに出会って以降彼に付きまとい、それに恐怖を感じたディートフリートが部下に彼女を「殺せ」と命じたところ、彼女は逆にその命令を「部下を殺せ」という命令だと認識して、ディートフリート以外のその場にいた部下は全員彼女に殺されてしまった ということが原作で書かれています


その殺戮の場面はTVシリーズ5話のディートフリート回想で登場してます

 




ここでひとつ疑問になるのは、彼女はなぜそれほど圧倒的な戦闘力を当初から有していたのか、しかもか細い年端も行かない少女が?ということですが、これについては原作でも明らかにはしていません

私が解釈しているのは、結局「淘汰」された結果なのだろうな と

地図にも載らない孤島で彼女が生き残っていたのは、結局それまで幾多の殺戮が繰り返された過酷な環境の中で勝ち残ってきた弱肉強食の淘汰の結果なのだろうな と考えています

つまり彼女より強い何者かが他に居たならばその者の方が生き残っていたであろうし
しかし結果的には彼女が最強の獣だったというだけのことだろうと
そう考えることにしてます


そんな、一歩間違えば自分以外は敵味方関係なく殺してしまい、しかもあまりに強すぎて彼女の命を狩ることすら出来ないことに恐怖を感じ持て余したディートフリートは、「あくまでも武器として使え」と彼女を弟のギルベルトに渡します(ここは「託す」ではなく「渡す」と表現します)

この、恐怖を感じて持て余したから弟に渡した というディートフリートの動機はTVシリーズでは語られてません。原作で明らかにしている話です


ギルベルトがディートフリートに押し付けられるままに後にヴァイオレットと命名する獣のような少女を引き取った理由は、見た目は年端も行かない小さな少女をそのままディートフリートの元に置いておくことは良心が許さなかったから に他なりません。

ではなぜヴァイオレットは幼い少女であるにもかかわらず兵士として戦場に駆り出されていたのか?という点
普通に考えればテロリストでもない正規軍であんな小さな少女がいること自体、変ですよね

これはギルベルトなりの彼女を守るためにとった苦肉の策でした

戦場に連れ出しておいて彼女を守る という点が普通に考えればいびつで、そこが劇場版でも見られた彼の慙愧の念の理由でもありますが


原作ではギルベルトが彼女を軍隊に入れるに至った理由が説明されていて、その部分はTVシリーズでは直接的な言い方では説明されていないので、これは原作を読んだ方が理解が早い部分でもあります


そのこと、ヴァイオレットを軍隊に入れた経緯について要約して書いてみると

ギルベルトが彼女にヴァイオレットという名を与え、言葉や文字を教えたのは、いずれ戦争が終わったときには彼女が一人の女性として生きていけるように との思いからですが
ではなぜそんな言葉も理解しない少女を軍隊に入れたのか?

それは当時の彼女はまだ絶対的主人としているギルベルトの命令しか聞かないただの「殺人人形」であって、そんな彼女を自分から離れたところに置いておくことは出来ない というのが一番の動機であり理由です

善悪もわからない、言葉も理解しない、彼の監視下に置いておかなければ何をするかわからない獣のような存在だからこそ、自分の元に置いて少しずつ人間としての教育をしていくほうが彼女にとってもよいであろうと

自分の目の届くところに置くということは、すなわち軍隊に入れない限り常に帯同することは出来ない
しかし普通に考えれば軍隊に小さな少女を兵士として入れることなど出来るはずもありません

そこで彼は一計を案じ、彼女が戦場においてどんな兵士よりも攻撃力の高い武器である ということを軍上層部に理解させるために、軍上層部の前でその戦闘能力を披露するための場を提案したのですが
軍上層部はギルベルトが想定していた模擬戦ではなく実際に人殺しで決着をつけるデスゲームとして実行するよう逆にギルベルト少佐に命じたのでした

そして行われたデスゲームは軍上層部が用意した凶悪犯罪者の死刑囚10人を相手に少女一人で闘わせる という見世物で、
結果的にはヴァイオレットが軍上層部の思惑(こんな少女など囚人相手では簡単に殺されて終わりだろう。そうなればブーゲンビリア家の汚点になるはず という思惑)に反して一人で10人を相手にあっけなく皆殺しにしてしまい、


そのときの様子がTVシリーズでは1話と8話でホッジンズの回想として登場しています



この見世物のデスゲームで少女(ヴァイオレット)の圧倒的な戦闘力が証明され、しかもその戦闘力はギルベルトが命令しない限り無効で、他の誰の命令もこの獣のような少女は聞かない ということが軍上層部に認知されたことにより、彼の思惑通りに軍の中で正式に彼の部隊の中に彼女を置くことが出来るようになった

・・・というのが、あのような年端も行かない小さな少女が軍隊に所属するに至った経緯です

その背景を理解していないと、劇場版の中で大きな男性隊員ばかりの中に混じって行進するヴァイオレットの姿に違和感や疑問を感じても不思議ではないと思います

実際、TVシリーズではヴァイオレットが圧倒的戦闘力で戦闘員として活躍している場面が登場しているので原作を知らずともヴァイオレット=元少女兵という設定は理解することが出来たものの、劇場版ではそのような敵と対峙する直接的な戦闘シーンはひとつも出てこないので、劇場版でしかヴァイオレット・エヴァーガーデンを見たことのない人にとってはヴァイオレットの「元少女兵」というキーワードに今ひとつピンと来ていないのでは?と思ってしまうのです



〔ギルベルト(少佐) について〕

ギルベルトは劇場版の中では観客的目線で見るとかなり好感度を落とす役回りだったようにどうしても感じてしまいます

ギルベルトは自分が少佐の立場で軍隊にいる中で、人としての知識や常識を何も持たないヴァイオレットを守り育てていくために、自分の部下という形でヴァイオレットを常に目の届くところに置いて行動を共にしていくわけですが、

 

自分では人として一人の女性としての教養を彼女に与えていたつもりが、実は「美しい」というごく普通の感情を表現する言葉すら教えていなかったことにどうしようもない罪悪感を感じるようになり、そして結局はただ自分の命令を実行するだけの武器として使っていることへの悔悟から、ヴァイオレットの存在自体が彼自身を苦しめていくことになります

さらに最終的に自らの作戦の中で彼女が両腕を失ってしまうという取り返しのつかない過ちを犯してしまった という慙愧の念が、劇場版でのギルベルトのあのような態度に繋がってます


そのヴァイオレットが両腕を失くした戦闘ですが、あれは私の個人的解釈でも確かにギルベルトが思っている通り、彼のせいで彼女は両腕を失ったと言って過言ではないと思っていて

これは劇場版ではその戦闘の一部しか出てこないのでTVシリーズを未見の方にはわからないと思いますが、

TVシリーズではあの戦闘の場面、ギルベルトが右目を撃たれ倒れたところからすべてが始まっていて、もし仮にギルベルトがあそこで撃たれていなければヴァイオレットは両腕を失うことにはならなかったはずです


ヴァイオレット一人なら、それまで幾多の戦闘をくぐり抜けてきたように敵の攻撃はいとも容易く回避出来ていたでしょう


撃たれて倒れた主人であるギルベルトを守るためヴァイオレットは敵の攻撃を避けることが出来ず、結果として彼女は両腕を失ってしまったと言えます

そう考えると、そのことを一番理解しているギルベルトの思いとして、彼女の身に起きた不幸はすべて自分の責任であると考え、彼女とはもう会うことは出来ない と考える彼の真意も理解出来るところもあるとは思います。

・・・それでもヴァイオレットへの親心目線から見た彼の劇場版の中での行動はやはり
「おおばかやろーー!!!」 ですけどね(笑)



〔ギルベルトが生きていた ということのインパクト〕

次は劇場版のストーリーの核心部分でありネタバレ部分ですが

本作ではヴァイオレットがギルベルトに再会することが叶いましたが、劇場版しか見ていない人にとってはギルベルトの存在はただの行方不明者だったものとして単純に理解していないかと、
その部分が私個人的にはとっても気になってます

劇場版の中でも、ギルベルトが未帰還兵ですでに戦死者として扱われているということは前半のブーゲンビリア家の墓参りのときのやり取り その他などから読み取ることは出来るのですが、なにしろ映画の割と早い段階からすでにギルベルト本人が登場してしまいますし

つまり、劇中では戦死者として扱っているけど、観客側の視点としては「彼はそこにいるじゃん」みたいな

彼が戦死者なのか行方不明者なのかという違いは、主人公のヴァイオレットにとってはとても重大な事柄であって、TVシリーズで彼女の痛みに共感してきたファンにとっても、その部分は「はい、生きてました」みたいなそんな簡単な話ではないはずのですが


TVシリーズではギルベルトは完全に戦死したものとして扱われてきました
原作とTVシリーズで大きく違う点のひとつがこの部分で、原作ではギルベルトは生き残って陸軍特別攻撃部隊を率い秘密裏に行動していて、そのことは兄のディートフリートも知るところとなっていたので、TVシリーズ、そして劇場版とは物語がまったく別物になっているのですが

劇場版の物語の前提となるTVシリーズではギルベルトは完全に戦死したことになっていて、劇場版の中でもわかる通り兄のディートフリートすらギルベルトは戦死したと認識して物語は展開してきました

彼の家族も周囲の人間も皆、彼は戦死したものとして物語は進んできて、8話では彼のお墓も登場してます



ヴァイオレットにとってその事実はとても受け入れられるものではなく、一度は死にたいとまで考えるほどに狂乱し絶望しましたが、それでも周りの仲間からの支えもあって何とか立ち直ってTVシリーズは終わっています


彼女としてはギルベルト少佐生存の可能性を完全に諦めているわけではないが、しかしそれは叶わない願いだということも気持ちのどこかでは思っていて、そんなどうにもならない感情が、届かない彼への手紙を書き続けているという彼女の行動として描かれています

劇場版の中で彼女が
「強く願っても叶わない思いはどうすればよいのでしょうか」
と言っているのもそのような気持ちからです


それほどに、TVシリーズではギルベルトは戦死しているものとして物語は展開してきたので、今回の劇場版の中で彼の消息の手掛かりが見つかったことは、ヴァイオレットは勿論、親友であるホッジンズも、そして兄のディートフリートにとって、その事実はにわかには信じられないほど大きな衝撃で

だからこその劇中でのヴァイオレットのあの反応であり、ホッジンズの反応となっています

そしてTVシリーズからヴァイオレットの張り裂けるような心の痛みに感情移入してきた視聴者側の自分としても、本作の中では言ってしまえばユリスのエピソードよりもラストの再会シーンの方が何倍も感情を揺さぶられる

それが本作の物語の核心となっているヴァイオレットとギルベルトの再会が叶ったことに対する私の気持ちです


例えて言えば、私の場合はホッジンズと似たような感情でこの劇場版を見ているのかも知れません
・・・変な話ですが(^-^;


TVシリーズ未見で劇場版を見た人にとっては、そのラストの再会シーンの受けとめ・感動ボルテージが、私が受けている感覚とは違うのではないかな? 
そこまであのラストの再会シーン自体には感動していないのではないかな?
と、
本作でのギルベルトのあっけない登場の仕方を見ると、そんな気がしてなりません



〔ヴァイオレットがギルベルトに対して抱いていた感情〕

劇場版ではヴァイオレットがギルベルトのことを思い出す場面として、同じ場面・同じ絵を劇中で複数回登場させることで、彼女にとって特に強く忘れられない記憶であるということを強調して表現している場面があります

それは彼女がギルベルトに初めて出会った時に抱きしめられた瞬間の回想


後にヴァイオレットと命名される、まだ名前も無かった彼女がギルベルトと初めて出会った瞬間です

この初めての出会いの時、まだ言葉も知らない彼女がギルベルトに抱きしめられ抱いた彼への感情についての解釈が、劇場版の絵コンテでは原作よりも一歩踏み込んで書かれています

劇場版(ということはTVシリーズも同様)では、彼女がギルベルトに抱きしめられたこのときのことを


「ヴァイオレットにとってギルベルトが何よりも大切な存在になった瞬間」


と絵コンテ上で制作スタッフ向けに解説しています

言い方が間違っているかも知れないけど、ギルベルトが初めて抱きしめてくれた瞬間から、それまで言葉を解さず本能だけで生き延びてきた彼女にとっての絶対的主人はギルベルトになり、それ以降彼の命令こそが彼女にとっては絶対のものとなって、戦時下でギルベルトの部下として文字通り彼の武器として使われることこそが自分の存在意義となっていった、その原点があの瞬間と言えるのでしょう

そのことは何を意味するか?

劇場版でしかヴァイオレット・エヴァーガーデンという物語に触れたことのない方には理解しづらい点だと思うのですが、少なくともヴァイオレットがギルベルトに対して抱いていた感情は恋愛というよりも絶対的主人であるという感情の方がまず先にあって、普通の恋愛感情とは少し違う
・・・ということに注意が必要だとわたしは思います

彼女の言う「愛してる」の意味が恋愛の愛してるではなく、人として尊敬しているという意味での「愛してる」だということ

何それ?同じじゃん とツッコミが入りそうですが(^^;)

何が言いたいかというと
この劇場版を見て「男女の恋愛物語(ラブストーリー)」と単純なものの見方で捉えてしまうのは少し違っているということで

最後には確かに2人の関係性は恋愛感情になったのかもしれないけど、少なくともあの再会の場面ではまだヴァイオレットの感情としては普通一般に言われる恋愛というものではなく、

特にヴァイオレットにとっては戦場で上官・部下の関係のままに離れ離れになってしまったギルベルトに対しては、絶対的上官であり主人の関係のまま時間が凍結されてしまっていたので、ギルベルトが大切な存在であることは疑いようもないことですが、普通の女性が男性に恋するみたいな感情とは少し違っているはず
 と私は解釈してます

ゆえに劇場版でヴァイオレットの声で読み上げられる最後の手紙も、内容をよくよく捉えてみればギルベルトを男性として愛してる というよりは、自分の存在を初めて認めてくれ、そして育ててくれたかけがえのない人として感謝し、だからあなたを愛してます というニュアンスの文脈になっているように感じます


ラストでのギルベルトとの再会シーンは本作の中で一番盛り上がるとても感動的なシーンですが
この場面について絵コンテでは石立監督が制作スタッフ向けに書いてあるコメントが私としてはとても「なるほど」と感じた内容だったのでご紹介すると

あの場面でむせび泣いて言葉が出せなくなっているヴァイオレットについて、石立監督は

「普通の子供なら素直に親に伝えられる「愛してる」という気持ちを、今やっと伝えられるようになったであろうヴァイオレット」

という注釈を入れています
(結局劇中では言葉に出せなかったですが^_^;)

ということは、作り手の石立監督の思いを踏まえてみても、やはりあの時のヴァイオレットの感情については恋愛対象としてというよりは、自分のことを愛し庇護してくれたかけがえのない人としてギルベルトを見つめていた  という解釈で間違っていないのだと思います


まあ、物語の解釈は人それぞれで納得出来ればそれが正解なので
あれは純粋に男女の恋愛物語なんだ と解釈している人がいても、そのことに異論を唱えるつもりは毛頭ないのですが(^^ゞ


ちょっと考察から話題が逸れますが


あの最後の手紙の宛名書き、何と書いてあるのか例によってテルシス語解読してみました

あの宛名書きにはテルシス語でこのように書いてあったのですが
(例によって映画の場面から読み取りました。もうこの程度はお手のもの(笑)



これを翻訳すると「ギルベルト少佐へ」となります

あの手紙を見た瞬間にディートフリートはギルベルトに「お前宛てだ。読めよ」と言ってますが
それは宛名に「少佐」とついていたことからこの手紙がヴァイオレットからのものだと分かって、それであのようにギルベルトに対して手紙を読むように促したのですね

ディートフリートなりのヴァイオレットの気持ちを汲んだ対応、という感じでしょうか

ギルベルトを麻袋に詰め込んでやっても良かったのですが(笑)


もうひとつ、

またまた考察から話題が逸れますが

あの再会場面でのヴァイオレットのむせび泣く姿、
声優の石川由依さんの超絶な名演と京アニ渾身のヴァイオレットの作画の相乗効果で、私は何度見てもあの場面で涙が出てしまうのですが

あのときのヴァイオレット、泣きすぎてしまいには鼻水が出てきていることに気付いたでしょうか?ウインク上差し

ありがちなテンプレアニメ的な描きかたではなく、リアルに鼻水が垂れてきてしまう描写で、見ているこっちも毎回同じ状態になってしまいますえーん(笑)

 

もし見逃していたら、次に見てみるときに要注目ですv



ヴァイオレットとギルベルトの関係性をTVシリーズや原作を踏まえて整理してみるとここまで書いてきたような感じになります

劇場版に出てくるヴァイオレットだけを見ていると、とても過去にそんな獣のような殺人人形のときがあったなどとは想像出来ないでしょうし、ここまで書いたことは劇場版で描かれている上辺は綺麗なだけの彼女のイメージを壊してしまうような内容かも知れません

TVシリーズでは少女兵前の獣の時代のヴァイオレットのことを細かく描かなかったのも、もしかしたらそういうイメージを視聴者に与えたくなかったという理由があったのかも知れません

しかしここまで書いたような過去が無ければ、この物語においてヴァイオレットがギルベルトと出会い、そして両腕を失くして義手のドールになってからはギルベルトが最後に彼女に与えた言葉「愛してる」を探し続ける という筋立てにつながらないわけで

やはりここはオブラートに包まずその消せない過去の記憶の部分も理解しておく必要はある、と私は考えます



〔ヴァイオレット自身の消せない過去との葛藤〕

ヴァイオレットの少女兵時代の「罪」も含めて、劇場版では彼女の過去の負の部分についてはほとんど触れられてなく、これは今回の物語においては重要なファクターではないと判断したからなのでしょうが

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という物語全体においては、過去の消すことの出来ない過ちと向き合うこともひとつの大事なテーマとして語られています

TVシリーズ 9話ラストでヴァイオレットがホッジンズに吐露した問い
「社長の仰る通り、私は沢山の火傷をしていました。いいのでしょうか、私は自動手記人形でいていいのでしょうか? 生きていていいのでしょうか?」

この彼女自身の葛藤も、劇場版では主テーマとして出てこなかっただけで、しかし彼女の行動原理の中では少しも薄まることなく常に彼女の心の奥底にある思いのひとつだと私は理解しています

劇場版の中ではこの過去の過ちに対しての直接的な表現は、冒頭でライデン市市長に答えた言葉
「その戦闘は多くの命を奪いました。私もです。それゆえ私は讃えられるべき人間ではありません」 
だけですが

あの言葉は市長に対しての皮肉でも何でもなく、ヴァイオレットの素直で正直な胸中の言葉です
・・・そもそもヴァイオレットは人に対して皮肉や嫌味を言うようなことは絶対にありません
     彼女はそのような感情とは無縁の真っ白な人格です

彼女の過去の過ちに対する発言は劇場版の中ではそれだけだったですが、私が理解しているのは彼女の仕事への向き合い方そのもの、その行動原理こそが過去の過ちを踏まえた上でのものではないかと思っています

TVシリーズ9話でのホッジンズ社長への問いに戻ると
そのときホッジンズは

「してきたことは消せない。でも、君が自動手記人形としてやってきたことも消えないんだよ」

と彼女に諭してあげていて
その言葉こそが彼女が自動手記人形という仕事を通じて多くの人と向き合っていく行動原理になっていることは確かだと思うのです


以前、本作についてあるWEBレビュー記事で、休日返上で仕事をし、そしてエカルテ島ではギルベルトとの再会が果たせないままに仕事があるからライデンへ戻ると言うヴァイオレットの行動を指して、「仕事を最優先に考える人」みたいな解説をしている記事があったのですが、
私はそれは間違ってるとは言わないけど少し説明が不足しているのでは、とその記事を読んだときに感じました

彼女にとって自動手記人形という仕事への向き合い方は、自らの過去の過ちを認めた上で今自分に出来ることに全力で取り組む という、それが彼女の行動原理のひとつになっているのではないかと思うのです

そう考えると、劇場版の中でのユリスとのエピソードにもすべて説明がつくのではないでしょうか?

そもそも「エマージェンシー・プロビジョン」なんていうお子様割引の特別規定は、何とかユリスを説得して満足のいく手紙を書いてあげたいという、ヴァイオレットにしては珍しい口から出まかせだし(笑)

エカルテ島でギルベルトとの再会を果たせない中でユリスのためにライデンへ戻ると言い出したのも、すべては単に「仕事熱心」という言葉では片付けられない、彼女の過去の過ちがあったうえでホッジンズから諭された仕事への向き合い方が根底にあるからだと私は思います


そのように考えてみると、劇場版では「過去の消すことの出来ない過ちと向き合う」というシリーズを通してのテーマには直接的・表面的には触れていないように見えて、実は根底ではきちんとその考えに沿った物語になっていると言えるのではないでしょうか

もう少し拡げてみれば、ギルベルトがラストでヴァイオレットと再会したことも
「過去の消すことの出来ない過ちと向き合う」
そのテーマのひとつの解として見ることが出来るのかも知れません


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今回のお題に「ちょっと」なんて付けたけど、

内容はちょっとしかないけど文字数の多さは全然「ちょっと」ではなくなってしまいましたアセアセ


いつもの悪いクセです
というか、端的にまとめる能力が決定的に不足した記事で心苦しい限りです

あまりに長過ぎてこの先まとまらなさそうなので、
いい加減、この辺にしておきます

長文・駄文でスミマセンでした <(_ _)>