前回ブログで書きましたが
わたしの超お気に入りシリーズ『響け!ユーフォニアム』の劇場版2本を観るため、兵庫県尼崎市の塚口サンサン劇場まで遠征してきました。
『響け!ユーフォニアム』シリーズは言うまでもなく京都アニメーションの代表作のひとつです。
京都アニメーション放火事件が起きてから8月8日で三週間
アニメファンでなくても日本中、いや世界中が心を痛めているあの凄惨な事件
私自身アニメファンであり京アニの大ファンでもあります
そのことはこれまでに私が書いてきたブログでも公言してきたことですが
今回、『響け!』の映画を観に兵庫まで行った自分は、その足で映画を観た翌日に宇治市に向かいました
もちろんひとつは、犠牲になられた方々のご冥福と、そしてひどい怪我をされて今このときも生死の境で必死に戦っておられる被害者の方々や身体的な危機は無くても精神的に想像を絶するような深い傷を負われたすべての方々の一日も早い回復を祈ること
そしてもうひとつは
これは変な話しかも知れませんが、
自分自身の気持ちを整理するため
もちろん一番大変なのは被害に遭った京都アニメーションのすべての方々とそのご家族・知人の皆様であって、わたしのような外部者がどうこう言う話しではないことはわかっているのですが、、、
それにしてもこの3週間は
自分自身がこの事件によってかなり精神的におかしくなっているんです
表面上は何事も無いかのように振る舞い日常を過ごしてきたのですが
精神的には普通でない自分がいる
…という自覚があります
心に穴が開くというのはこういうことなのか…と
それほどに自分の中で京都アニメーションとは大きな存在だったのかと
今さらになって気付きました
実は「たまたま今年は」 なのですが
3月頃からわたしは京アニの色々な作品を集中的に繰り返し見ていました
4月に「誓いのフィナーレ」が公開されるにあたって、それまでの物語を振り返りの意味で
TVシリーズの「響け!ユーフォニアム」 1期と2期の全話
もちろん劇場版の「~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~」 と 「~届けたいメロディ~」も
あわせて「リズと青い鳥」まで、すべての響け!シリーズ作品
「響け!」シリーズをひと通り見終わってからは、同じ京アニの中で自分のお気に入りの作品を引っ張り出してきて
TVシリーズの「日常」
自分の中ではこれも永遠の超お気に入り作品
そして
TVシリーズの「けいおん!」 と 「けいおん!!」
(1期と2期です)
このシリーズはちょうど今年が10周年という意味もありました
TVシリーズに加えて劇場版の「映画 けいおん!」も観て
そして
これは未見だったけどフォロワー様からオススメがあって、見てみたらとんでもなく感動してすっかりハマってしまった
TVシリーズの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
あらためて書き出してみるとTVシリーズなどは全話通しで観ているので結構な作品数になりますが
つまり今年は劇場版の「誓いのフィナーレ」が4月に公開ということで「響け!」シリーズ全話を繰り返し観る所から始まって、同じ京アニの作品を辿っていって自分のお気に入り作品を片っ端から視聴する ということをやっていました
そのうえ映画の「誓いのフィナーレ」は3ヶ月で100回鑑賞を越えるペースで観に行っていたので、映画館の方でも4月以降はほぼ連日の京アニ漬けの生活
そのように、ほぼ毎日京都アニメーションの作品漬けの日々を送っていたのです
そんな京アニ漬けの日々を送っていた中で、あの信じられない事件です
自分にとっても事件のあった7月18日の前と後で日々の景色が変わってしまった
うまく言葉に出来ないけれど
そんな気持ちです
・・・・・・・
事件が起きてからは「涼宮ハルヒの憂鬱」など他の京アニ作品も見返しては、日々明らかになっていく被害の全容に心を痛め、途方に暮れる毎日
個人的にはそんな状況だったので、塚口での「響け!ユーフォニアム」シリーズ上映を観るために関西まで遠征することは、自分にとっては半ば必然でした
そして、関西まで来たからには少なくとも献花台へは行きたい
直接祈りを捧げてきたい
そんな思いで京都アニメーションの地元である宇治市に入りました
京都アニメーションの犠牲者の方を悼む献花台は、事件のあった建物にほど近い京阪電車宇治線 六地蔵駅の駅前に設置されています
六地蔵駅は、被害に遭った京都アニメーション第一スタジオの最寄り駅ですが
同時に「響け!ユーフォニアム」の劇中では北宇治高校の最寄り駅の設定になっているので、劇中で度々登場する駅でもあります
私自身「響け!」の聖地巡礼で何度か訪れたことのある駅、、
こんな気持ちでこの駅に降り立つのは・・・
本当に胸が張り裂ける思いです
仮設のテントが献花台として設置されています
自分なりのメッセージを書いた色紙を持参して、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りさせていただきました
献花台ではメディアの取材陣がまわりを取り囲んでいて、正直なところあまり落ち着いてお祈りすることが出来なかったです
実は上の写真に写っている人物はほとんどが記者の人たち
写真には入っていないですが、この道をはさんで対面の歩道には報道各社が何十人もいて献花に訪れる人にカメラを向けています
献花台の周りに張り付いている記者の人たちは献花を済ませた訪問者一人一人に声を掛けてくる始末
静かに祈りを捧げたいという雰囲気を壊されているような気がして、わたしは早々にその場から離れてしまいました
いや、記者のせいだけではないかな。。
献花台はあくまでも犠牲者の方々を供養する場所であって
そしてすぐ近くには現場があるので、その場所に居るといたたまれなくなるんです
そんな気持ちになって現場でもある六地蔵から離れて、宇治市のほうへ向かいました
「響け!ユーフォニアム」の舞台として登場する宇治ですが
やはり事件の傷跡を感じざるを得ません
六地蔵駅も含め京阪電車の宇治線は、これまで「響け!ユーフォニアム」との連動企画で様々なイベントで盛り上げてきていましたが、事件によりほとんどの企画は中止となり、電車からも駅構内からも「響け!」のパネルやポスターなど一切が撤去されていて、
事件以前の「響け!ユーフォニアム」で盛り上がっていた京阪電車の様子を知る私の目からは、寂しさしか感じませんでした
まだ事件が起きて七七日も過ぎていない時期なので、それも仕方のないことなのですが
そして宇治の観光地には、以前より各所に「響け!ユーフォニアム」のポスターが貼られているのですが
宇治の方々が皆さんで応援している温かさを感じる一方で
このようなことを書かなければいけなくなったこと、そのものが悲しくて仕方ありません
上の写真のポスターに書かれている観光センターは宇治川沿いにあって
そこに支援金箱(募金箱)が置かれています
中学生くらいのお子さんも親御さんと一緒に募金をしていました
この観光センターには以前から「響け!」のキャラクターの等身大パネルが置かれていて
聖地巡礼に来たファンの交流ノートも置かれています
交流ノートはもちろん事件以前からあったものですが、現在は京都アニメーションの1日も早い復興を祈るメッセージなど、ファンの皆さんからの応援メッセージが沢山寄せられていました
それらを眺めたあとで私は、ここのまわりに点在する「響け!ユーフォニアム」のロケ地を少しだけ歩いてみることにしました
それはいつものロケ地巡りのような、単に風景と劇中の登場場面を比較するようなことではなく、
作品を作られた方々が、その風景をどのように見つめて劇中に描いていったのか
被害に遭われた京アニスタッフの方々が作品に込めた思いに少しでも近付いてみたい
そういう思いからのロケ地巡りです
宇治市観光センターからすぐ近くには劇中に何度も登場するベンチがあります
そして、その場所から正面に見える山が大吉山で
その山を登った展望台も劇中に何度も登場する場所です
いつものロケ地巡りであれば、劇中の場面と比較してパパッと写真を撮って次の場所 というのが私のスタイルなのですが
今回はその場所の景色や空気の中にじっくりと身を置いて、色々と考えを巡らせてみました
その場所で、作品を作られたスタッフの方々がどのような思いをもってこの景色を収めたのか
もしかしたら犠牲になられた方、怪我をされた方も、この場所に取材に訪れていたのかも知れない
そうして自分なりに考えたことは
この景色をなぜあそこまで緻密に作品の中で描けているのか ということ
実際に現地を訪れてみれば体感できるのですが
少なくとも「響け!ユーフォニアム」の中に登場するこのような実在の場所は、実際にその場所で自分の目で見て肌で感じる風景と劇中で感じる空気感が、見事なまでに一緒だということに気付きます
単にその場所を写真のように忠実に描いているからとかではなく
作品を見ているとあたかもその場所にいるかのような空気感までもが絵の中に再現されている
そのことが凄い と、あらためて認識しました
京アニのクリエイターの方々は、今ここで自分が見ているこの景色を取材した時に、単に写真として切り取るだけではなく、心の眼でスケッチをしているからこそ、それがアニメの中で絵となったときに、観る人にはその場所の空気感までもが伝わるのだろうな と
それはどういうことなのだろう
やはりそれは、作品を見ている人がよりその作品の世界に入り込めるように
作品を通して観客に伝えたいことを、少しでも観る人の心に届くように
作品を作る姿勢として、京アニの方々のその想いが根底にあるからこそだな、、、と
そのように京アニの方々が観る人の心に届くように思いを込めて送り出した作品をきちんと受け止めることこそが、犠牲になられた方々の心に寄り添うことにもつながるのだろうな
そのように思いました
京都アニメーションの事件では強い志を持つ前途のある多くの方々の命が奪われてしまいました
失われた方々がこれから創出出来たであろう「絵」は、もう二度と誰にも同じものは描けません
機械のように誰が作っても同じものが出来るというのとは訳が違う
すべてCGで、コンピューター任せで作られるアニメとも訳が違う
京都アニメーションのように手書きにこだわる作品を作ってきたスタジオにとって「人」を失うということは、同時にもう今後二度と同じ作風の絵は創出出来ないということになります
悲しすぎるけど、それが現実です
それは私たち作品を観る側よりもむしろ、残された京都アニメーションの方々の方が一番悔しく辛く悲しい思いをされているはずです
今まで何十年もかけて一生懸命に築き上げてきた京アニクオリティの礎が、そして多くの仲間が、一瞬にして奪われてしまったのですから
京都アニメーション様が今後新しい一歩を踏み出せることを切に願うばかりです


















