2月4日(土)に訪問してきた「この世界の片隅に」のロケ地、呉市の聖地巡礼記録、その2です。
 
その1では北條家のあった設定である上長之木町の近辺をまわりました。
辰川バス停を見てからの順路は、最初に見つけてしまった三ツ蔵の前を通って朝日町へ行ってから市内のポイントを目指していくコースで考えてきました。
 
すずさんが闇市へ買い出しに行くとき、空襲後のすみちゃんのお見舞い帰りに市街地まで送っていくとき、などなど、いずれも三ツ蔵の前を通っているものの、北條家の場所そのものが明らかにされていないので、山の上の方からどの道を歩いて三ツ蔵の前に至ったのかが自分にはわかりません。
 
本当はそこも忠実に押さえて巡りたかったのですが、わからないものは仕方ないので、上ってきた道を旧辰川小学校前まで下ってから左折して三ツ蔵前方向へ抜ける1本東側の道に移行し(抜けると言ってもそのまま1本道ではないのがややこしいのですが)、三ツ蔵の前を通るルートで平地のところまで下って行きました。
 
実はこの辺りの道路は、今回の訪問から帰ってから調べていくうちに見つけた昭和22年の空撮写真で見てみると、現在とは結構道が変わっているところが多かったりして、もう少し研究してから再チャレンジを考えてます。
 
さてそうして三ツ蔵を抜けると、朝日遊郭のあった朝日町のすぐ近くに出てきます。
ただし1本道ではないので、ナビを持たないママチャリ移動では地図を見ながら慎重に通りを選んで進まないとミスコースで違うところへ出てしまうので、ここは要注意です。
 
朝日遊郭のあった朝日町に出る、と簡単に言ってますが、ここはそう簡単なポイントではありません。
まず大前提として、映画の中でも語られているように、遊郭のあった場所は7月2日未明の空襲ですべて焼き払われてしまって、現在その場所を訪れたところで何も残ってはいないこと。
それでもどんな場所だったのか見てみたいから目指すのですが、映画関連の刊行物の中で遊郭のあった場所を現在の地図上で示したものはどこにも書かれていません。
唯一、公式ガイドブックの58ページで略図によるおおよその位置、そして59ページで当時の朝日遊郭の店の配置図が出てくるだけです。
しかしこれらだけでは現在のどこの通りのどの辺りというピンポイントではわかりませんでした。
そんな感じですので、何も残っていないところを見に行くという好き者根性を持ってピンポイントで場所を特定する作業をしないと、遊郭のあった場所を訪問することは出来ないんです。
 
おおよその場所はここら辺なのかな?というのは、公式ガイドブック59ページの朝日遊郭の店の配置図で示された道路の形と現在の地図をにらめっこすることでわかりました。
でも、道路が現在と完全一致ではないので、これすらも正しいのかわかりませんでした。
そんな時 「古地図」でネット検索して見つけたのが、日文研の所蔵地図データベースのページ。
    日文研のページはコチラ → http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
ここに昭和7年の呉市街図があったので見てみると、朝日町のところに「遊郭」と書いてありました。
昭和7年からすずさんが遊郭を訪れた昭和19年までの間に変化があったのかどうかまでは調査出来ていませんが、この地図では郵便局と交番の位置が出ていました。
郵便局はリンさんがすずさんに帰り道を教えるときの目印として伝えた場所、交番は映画の中でリンさんとすずさんが話しをしている後ろに見えています。
そうすると、この古地図から少なくともすずさんが教えてもらった帰り道はわかるので、他にまだ何も資料が見つかっていない中、とりあえずはこの昭和7年地図を頼りに場所の特定をしました。
 
この遊郭の辺りの場所の特定作業は、実はロケ地訪問に出掛ける当日までには終わらず、出掛ける時にはリンさんの二葉館が大体どのあたり という狙いだけつけて強行したのでした。
それでもやはり現地を1度歩いて見てくると、単に机上で地図を睨めっこしてるときより遥かにイメージが掴めて、実は帰ってきてからも場所の特定作業を進めている今現時点の成果が下の図となります。
この図は何かと言うと、現在の地図の上に昭和7年の道路を当てはめて書いた地図です。
ロケ地訪問から帰ってきてから、すずさんが遊郭へ迷い込んだルートもわかり始めてきました(汗)
実際に現地へ行く前は分析の時間切れで、まだここまで把握してなかったんです。
 
上の図に、公式ガイドブックの59ページに出ている遊郭内の店の配置図を重ねてみると、下の図のようになりました。(これもロケ地訪問から帰ってから分析した内容です)
このベースとしている昭和7年「最新大呉市街全圖」の地図で悩ましいのは、川がクランクに形を変えている点です。
映画の場面ではこんなところに川は描かれてなかったなあ?と、
悩んでいるところに、最近になって昭和22年の空撮写真が入手出来て、その写真を見るとやはり川はクランクに曲がってなく、上流下流は真っ直ぐつながってることがわかりました。
 
したがって上の図もまだ未完成で、違っているところが多々あります。
そのため現時点は昭和22年の空撮写真(裏門の影が写ってました!)と上の図の照合作業をやっていて、次回また呉に行くときまでにはすべての場所のピンポイント特定を出来るように、今現在もボチボチ作業中です。
ただ、遊郭裏門の場所と、それからすずさんとリンさんが出会った場所、この2箇所はどうやら今回のロケ地訪問で出掛ける前に想定して行った場所で大きな違いはないように思っています。
 
説明が長ーくなりましたが、そういう事情があるので、今回のロケ地訪問で撮影した朝日遊郭のポイントとしては、自分として今時点で多分合っているだろうと思える上記の2ポイントだけご紹介しておこうと思います。
 
まず裏門のあったであろう場所です。
裏門はすずさんが遊郭に迷い込んだ最初の門ですが、この絵の方が映画の場面としては印象が強いポイントです。
©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
現在の景色はこんな感じです。
ちょうど向かい合わせで2本の電柱が立っているあたりに遊郭裏門の門柱が立っていたものと想像してます。
昭和22年の航空写真には、ここに現存していた門が写っていました。
手前の交差点は左からの道幅のまま右側へ抜けてますが、昭和22年の写真では交差点から右方向は細い路地のような道です。
多分それが正しくて、だから映画の中でもT字路のような描き方になっています。
 
次は迷子になったすずさんが地面に絵を描いていてリンさんと出会った場所。
特に何かがある訳ではないけど、物語の上でとっても大事な場所だと思っています。
(だからこそ、これだけ苦労をしてでも場所の特定を試みているんです)
©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
まずピンポイントですずさんがどの辺りでしゃがみ込んでいたか、私はこの場所だと推定しています。
この写真の真ん中の電柱か、もう少し手前のあたりではないかと。
なぜそうなるかというと、すずさんの正面の綺麗な白い建物は東京楼本店「グレート東京」です。すずさんがしゃがみ込んでいるのはグレート東京のはす向かいなので、店としては多分「大黒楼」になるのかな?と。
そうすると大黒楼のあった場所と交差点の位置関係から、この辺りかな?と推定しました。
 
上のピンポイント写真では周りがわからないので、交差点方向から見るとこんな感じになります。
駐車禁止標識の付いた電柱のところです。
すずさんのしゃがんでいる場面の背景にある山の形と、この写真の山の形が同じですよね。
ピンポイントのズレは多少あるかも知れませんが、紛れもなくここはすずさんが迷い込んだ遊郭のあった場所である証拠になると思われます。
 
ひとつおまけとして、堺川です。上の写真の交差点の手前を流れています。
映画ではエピソードは省略されて出てきませんが、原作ではすずさんの知り合ったテルという遊郭の女性が客の水兵にくくられて身投げ未遂をした、という話しで出てきています。
テルさん曰く「あげん小まい川で死ねるわけがなかとよ」。(テルさん、九州出身みたい)
確かに、こんな小川では溺れないだろうな、と思いました。
水量が増えたら危険ですけどね。
 
朝日遊郭ゾーンについては上で書いたように、現地をこの目で見てきたことで、行く前よりも地図などを眺めてイメージが掴めるようになりました。
そのうえに空撮写真なども手に入れたので、分析を進めたうえでもう一度見に行こうと考えています。
 
いやあ、遊郭のたった2箇所のポイントの説明だけでこんなに長くなりました。
遊郭、手強しです。
 
朝日町を見た後の聖地巡礼ポイントは、公式ロケ地MAPを頼りに場所を特定してルートを決めてきました。
本通りを進んでポイントを押さえつつ、堺川に向かいます。
ママチャリ移動で平地なので楽に進めるのですが、本通りは交差点が多く信号待ちも度々で、その点だけが難点でした。
でも、12:30からスタートして日暮れまでに全ポイントを巡るという強行スケジュールの割りには、事前に計画した予定ポイント通過時刻を楽々クリアしているので、これなら余裕で全部見てまわれるという目算が、この辺りで出来ていました。
 
朝日町から本通りに出て、最初は福屋百貨店呉支店跡地です。
映画の中では周作に頼まれてノートを届ける厚化粧(?)をしたすずさんが通りを歩いている背景でチラッと出てくるだけです。
このシーンの画面の絵はまだ出回っていないので、映画を観ないと比較しようがないですが、
写真正面の青果店のある角の所に百貨店の建物がありました。
また、左隅に見える黄色い建物のところは「正法寺帽子店」ということが公式ロケ地MAPに書かれていて、径子がモガの恰好で歩いている回想シーンで出てきました。
 
そのまま本通りを直進しますが、福屋百貨店の交差点からひとつ進んだ交差点の本通りから一本西側の中通りのあたりが、公式MAPによると呉復興マーケットの場所として示されていて、ここは映画のラストシーンで戦災孤児をおんぶした周作とすずさんが夜道を自宅に帰るときに、「ほいで真ん中のんが灰ヶ峰、あのすそがわしらの家じゃ」と戦災孤児に教えながら夜の灰ヶ峰に向かって歩いているシーンで出てきました。
実はこの通り、現在はれんが通りという商店街になっていて、アーケードで覆われていて山や周りの景色が見えないことが、事前のストリートビュー確認でわかっていました。
 
なので私は敢えてそのレンガ通りには行かなかったのですが、あのラストシーンの大きな灰ヶ峰がとても印象的だったので、そのシーンと同じようなアングルになるように本通りを横断するところから灰ヶ峰を撮影しておきました。
呉を歩いていると、灰ヶ峰の存在はとても大きいものがあります。
きっと呉に住む人達にとっては、灰ヶ峰を背景とした景色が故郷の風景として脳裏に刻み込まれているのだろうと思えます。
 
もう少しだけ本通りを南下(正確には南西方向)します。
戦後ヤミ市があった場所、私個人の呼び方は残飯雑炊市場のポイントです。
交差点左側の駐車場のところに戦後ヤミ市があったそうです。
ヤミ市の面影は当然ありませんが、道路の形は今でも面影を残していると感じました。
 
さあ、ここまで本通りを進んでくると、めがね橋と下士官集会所は目の前なのですが、まだ堺川にかかる橋のほうを見てません。
なので、ここから私は堺川の方へ行ったのですが、この続きは次の「呉編 その3」に書こうと思います。