先週、「この世界の片隅に」のオリジナルサウンドトラックCDを買いました。

ネツト注文したら在庫が無かったようで、1週間待ちで届いたのですが、立川シネマシティの並びにあるHMVで見たら在庫があって、ネット購入しなきゃ良かったと後悔。送料分と届くまでの時間を損しました。

 

まあ買い方は失敗したけど、CDの音楽は素晴らしいです。

最近の通勤の車中ではずっとかけっ放しです。

 

このCDには映画の中で出てくる劇伴は(登場人物の鼻歌を除けば)すべて収録されていて、曲順も33の「New day」を除いては映画の中で出てくる順番通りですから、このアルバムを通して聴けば映画のシーンがよみがえってきますね。


「New day」は何故か一番最後に収録されていますが、映画本編の最後の曲はあのクラウドファンディング協力者ロールのときに流れているピアノ曲の「すずさん」です。


「New day」はすずさんと経子が進駐軍の残飯雑炊をもらうシーンのバックで流れていますので、曲順にこだわるなら29.「最後の務め」の次となります。

CD収録順通りに最後に「New day」が流れると自分の場合は違和感があるので、私は敢えて「New day」だけはリストから外して再生してます。

 

(追記)New dayはその後のすずさん達を表現した曲だそうです。

そういう理由でのCD収録順としているようです。

 

 

歌詞のある劇中歌は、

・悲しくてやりきれない

・隣組 (この歌を知らない人でも、「ド、ド、ドリフの大爆笑」でメロディは知ってるかと。

・みぎてのうた

・たんぽぽ

の4曲です。

 

この中で、コトリンゴさんの作詞・作曲は意外にも「たんぽぽ」の1曲だけ。

あとは「みぎてのうた」は作曲だけコトリンゴさんです。

 

「悲しくてやりきれない」は片渕監督が映画化を考えたごく初期から、コトリンゴさんのカバーで映画の中に入れたいとお考えになっていたそうで、監督の思い入れの強い歌です。

なぜそう思ったのかは、監督ご自身で語られていますので、ここでは割愛いたします。

歌詞リンク→http://www.uta-net.com/song/102304/

 

「隣組」は、そのまま劇画の中で歌詞が出てきている、というか、隣組の歌詞だけが書いてあってセリフがないという展開で、原作の第4回 19年2月の回の話しが描かれてます。

なので原作者のこうの先生自らが入れた劇中歌(?)ということになるので、これもこれ以上語る必要がありません。

 

そういうことで言うと、「みぎてのうた」も、詩の基本的なところは原作の中にほぼ同じ内容で書かれているので、こうの先生自らが入れたものではあるのですが、この曲の作詞は「こうの史代・片渕須直」となっていて、原作者と監督の連名になってます。

確かに、原作の詩(セリフ)からは少しアレンジされているので、その部分が片渕監督が映画用に意思を入れた部分ということらしいです。

 

(追記)2017年8月15日の片渕監督トークショーでの監督のお話しによると、当初コトリンゴさんは原作の全文を使った今とは違う曲を作られたものの、それだと少し長すぎるので監督が一部を割愛し、それだと原作と意味が変わるかもしれないので作詞者を連名にされたそうです。

 

そもそも原作をこうの先生が書いたときは、映画化の話しなどなかったはずなので、もともとこうして劇中歌で「歌」になることを考えてセリフに入れたわけではないはずですし。

それがほぼそのままの内容で歌になってしまうのですから、こうの先生の表現力の凄さがわかるエピソードではないでしょうか? 勿論、曲をつけたコトリンゴさんも凄いのですが。

歌詞リンク→http://www.uta-net.com/song/218709/

 

私的には、この「みぎてのうた」がフルに聴くことが出来る点が、サントラ盤で特に嬉しい点です。

「みぎてのうた」は映画の中では劇伴としてのウェイトで挿入されていて、歌詞とセリフが被って歌詞がよく聞き取れない部分があるので、歌だけをフルに聴けるのはサントラ盤ならではです。

 

この歌は、原作を知らないで歌の歌詞だけを聞いていると、余程の想像力の持ち主でなければ意味がわからないのでは?と思います。

映画の中では右手首の部分だけが鉛筆を握って出てきますが、題名通り、すずさんの体から離れてしまった右手が話し掛ける歌です。

 

すずさんから奪われた右手は、もう絵を描いたり誰かの背中を掻いてあげたりすることも出来ないが、すずさんと同じように右手を失った母親を亡くした孤児が、右手の無いすずさんの元へ寄り添ってきて家族の一員となったことを、「今わたしに出来るのはこのくらゐだ」と語っています。

この歌の歌詞で擬人化した「みぎて」が語っていることは、原作を読まないと少し難しいと思います。

 

(追記)これも2017年8月15日トークショーのときの監督のお話しですが、「みぎてのうた」に関して、まだ映画化が決まる前に「この世界の片隅に」原作の原画展を見た時に、「あ、これは右手の声が必要になんだ」と考えたそうで、みぎての声はすずさんとは別にするつもりだったそうです。それがコトリンゴさんになったということで、すずさんの声を決めるより5年以上も前のことだそうです。

 

劇中ではこの歌のラストのほうで戦災孤児(ヨーコ)を北條家に迎え入れて、
「去年の晴美の服じゃ、こまいかねー」と径子さんが優しく呟いて、

「みぎてのうた」のフレーズが


『ほらご覧 今これも あなたの一部になる』


って聞こえてくる中で、夜の長之木の家々に希望の明かりが灯ります。

私はここでもう感涙でボロ泣きです
。゚+(σ´д`。)+゚…

 

とっても感動的な曲とシーンで、映画のラストシーンを締めるにふさわしい歌です。

 

 

そしてエンディングテーマ曲 「たんぽぽ」が始まります。

 

最後の劇中歌の「たんぽぽ」ですが、これは、これこそがすずさんの歌です。

歌詞リンク→http://www.uta-net.com/song/218708/

 

題名だけで言えば、ラストに流れるピアノのインストルメント曲が「すずさん」ですが、たんぽぽの花がすずさんを表していることは、監督のインタビューで語られてました。

映画の中のシーンでは、呉の軍港を見下ろせる段々畑のところで、すずさんの故郷の広島への思いをたんぽぽの綿毛を飛ばすことで表現したり、白い花のたんぽぽは呉の人々で、中に1輪だけ咲いていた黄色いたんぽぽは広島から来たすずさんを連想していたりという場面で出てきています。

 

この物語の中でのすずさんは、人に言われるままに嫁入りして、人に言われるままに働かされて、まるでたんぽぽの綿毛が風に流されるがままのごとく、自分の意志とは関係なく流されてきたけど、物語の最後では自分の意志で呉に住むことを選んで、根を張って生活をしていく。そういう様をたんぽぽになぞらえて歌っているのだと理解しています。

 

未来への希望を感じさせるとともに、母性的な優しさを感じさせる歌詞と、コトリンゴさんの独特の歌い方で、とても素晴らしい曲だと思っています。