レムナント1 20150325 12:47 | 左官日和

左官日和

日々、七転八倒の左官日和。

気がつくとアイフォンのメモが消滅。そんなことあるのかと調べてみると普通にあることらしい。直近の覚書など、無くなるとちょっと困ったことになるので少し焦りあれこれ調べていると、復旧開始。しかし遅々として進まず、翌日確認したところ結局ほとんど進んでいない。いよいよまずいと思って通勤途中にあれこれやっていたらまた復旧が始まって今度は勢いがあったものの半分ぐらいのところで止まってしまい、やはりまずいと思いながらもiPadの方は復旧していたようだったからなんとかなるかもしれないと期待して色々調べていたが決定打が見つからないまま現場についてから仕事をはじめて一服のタイミングで確認したら全てが復旧していた。さすがにメモが多すぎたので削除していこうと思っていた矢先だったので今度こそ整理しようと思ったところでやはり捨て切れなくなったのでなんとなくここに残しておく事にしてみた。前々からたまにそうしようと考えることはあったものの実行に移していなかったのでこれを機会に、意味があるかといえば心許ないけれど、意味が無いかと言っても心許ないので試しに残してみる。

以下その内容。「レムナント」ではじまる記事は基本的に捨てきれずに残した昔のメモになる。日付と時間は記録に残っていたそのメモを作成した時間。身近な人の名前はイニシャルなどにする。そのうち自分でも思い出せなくなるかもしれないけれど。

【】内は今現在の所感、註釈。



左官

2015040【040の意味が今となってはわからない】

昨日のOの現場は、壁をほぼすべて一気に塗った。30平米弱で、かつて和室の床の間だったのだろうか、梁がからんだ狭いスペースもあったし、切りつけを引きたかったので、以前から試してみたかったのだ。途中でチリまわりのマスキングをはがして押さえたりしながらなので忙しかったが、まずまずだったのではないだろうか。ただ、天井と壁との見切りがなかったら、ちょっと厳しいかもしれない。天井を傷つけないようにやるのはなかなか難しい。ただ、半日で出来たのだから、少しペースダウンしてやればなんとかなるかもしれない。

天井の目透かしは誤算だった。

あとは、本当にすべての切りつけをひく両方向へ塗り進めていく方法だ。左から右と、右から左へ。左から右がメインで、右から左は繋いでいく感じになるが。


Rの造形モルタル ギルドセメントで仕上げ、着色、下地はサンドではけ引きして作る ネット伏せ込みもする。石膏ボードに対しては、cトップを塗って、おっかけでサンドを塗ってはけびき。


【左官になってから7年。その間に一緒に組んで仕事をした人達のことをふと思い出す。】


YS.

SY

S

チェリー

S爺

ホワイト

I左官

ヨッシー

K牛

T3兄弟

S左官

ウッディ

S木(AW造形→モルタルアート)

マロン

I手

リン克

リン克の父

ボード   富田

リン摩

セントラル親子

S井

レッド


…こうしてみると、左官になってからの期間や一緒に組んだ人達の数は、短いようで短くもなく、少ないようで少なくもない…。

マロン、レッドは長かった。特にマロンは一番長かった。情が深くなるのもやむなしというところだろう。

レッドは、やはり良くも悪くも色々なことを知っていた。そこに溺れなければ良いのだが。つきあいを続ければ情報は色々と知れるだろうけれど、逆に蓄積するストレスも半端ではない。両者の収支はマイナスな気がする。



モルタル造形は、そうしてみると良い着地点かもしれない。ちょっと良いイメージも湧く。

しかし、モルタル造形で検索して出てくる、「西洋」「アンティーク」というイメージにはどうもしっくりこない。そこで手に取ったのがクレーの画集だった。

アルプの画集もあったら見ていた。


俺がなぜ左官になったのか。よく聞かれる質問だが、その都度同じ返事をしているのに同じ相手から何度も何度も聞かれる。さして興味がないがとりあえず会話をするタイプの人からの質問に多いからかもしれない。あるいは、さして珍しくもないよくあるルーツなのかもしれない。

「もともとは美術系だったんですよね。専攻はグラフィックデザインでしたが、どちらかといえばファインアートの方を志向していて、平面・立体・映像・音楽など、良くいえばメディアの形にとらわれずにモノづくりを志向してました。でも、それだけで食べていくところまではなかなかだったので、美術系の受験予備校や専門学校のスタッフなど色々とやってました。その中で、新規オープンの専門学校の立ち上げスタッフの仕事をしたとき、施設の一角を左官仕上げすることになっていて、大津磨きや土壁で仕上げたりすることになっていて、そこで左官に出会ったことがきっかけでした‥」そんな感じで話す。

そこに来ていた左官屋というのが水土グループの一人でもあった小沼充だったということ、その仕事を請けていたのはリン作という、今はない左官教室という雑誌に寄稿もしている人だったことなども、場合によっては話す。当時の上司だったK田さんと縁があったようで、主に話をしたのはそのリン作さんとだった。

当時、その専門学校の立ち上げスタッフとしての業務も不慣れな上苛烈なもので、精神的に参っていた。その職に着く前の予備校での仕事も、内部の騒動のあおりで辞めることになったのだが、そのあおりの内容にも参っていたし、その後の期間に起こった家の不和など、結構修羅場が続いていた。

そんな中で、自分がやるべきこと、やりたいこと、できること、それはいったい何なのか。考えていたおりに左官仕上げに出会ったのだった。制作していた頃の作品には抽象的なもの、マチエールがそれこそ壁のようなものがあったから、左官仕上げの壁は、本当に自分がやってきたこと、やるべきこと、出来ることの集大成とまで感じた。

なぜそこまで感じたのだろうか。

単に精神の疲弊から、伝統的な手作業により作り出された塗り壁に、工芸や民芸に触れて感じる癒しを得られたということだけではない。

俺が志向した作品、唯一の個展は、水溜りの風景といった、水たまりそのものを立体作品にして床に並べ、空間を作り出すものだった。水たまりそのものというのは、発泡スチロールで不定形な形を削り出し、和紙や半紙で何層かくるみ、絵の具でも何層も何層も塗り重ねていき、薄い中にぎっしりと層が詰まって奥行きも感じさせ、フィニッシュコートで出す艶によって、周囲の情景が映り込んだり、光を反射したりして、見る角度によっては一瞬本当に水たまりが浮かんでいるように見えたりもするように仕上げたものだ。

そして、美術作品とするとあまりにも単価をあげなくてはならなくなることなど、あまりにも特定の人達相手にしなければならないこと、その相手達というのも変にスノッブな集団だったりすることから、もっと一般の人達、日常の生活空間、身近な物事として存在させられないものかというジレンマを抱えていたので、人の住まいの空間に存在する壁というのは、着地点としてとても腑に落ちるものだった。

実際に左官の世界に身を置いて、色々と知るようになってからは、塗り壁の意匠に加え、その機能性も魅力になった。俗に言う「調湿効果」「防カビ」「抗シックハウス症候群」。メーカーの謳い文句にあるようなあれこれだ。

そうした塗り壁材は、小沼充などが扱うような古来から伝わる塗り壁からは一線を画される。新建材に含まれるものだ。だから、当然、石膏ボードやビニールクロスの上に2ミリ厚くらいで塗られた材料に、そこまで言われるほどの機能が実現されているのかという疑問が浮かんでくる。それについては考える必要があるが、どちらにせよそうした効果ばかりを強調するよりは、意匠性も合わせて意義を提示した方が良いように思う。

本当の土壁、本当の塗り壁、そうした方向は、結局はアートと同じく狭い世界を志向することになってしまう。

しかし、最近は、そうした狭い世界に対してであれ、そうした方向を志向するのも悪くないのではないかという考えが芽生えてきた。

それに、狭い世界で高額なものをと言っても、やり方次第で現実味のある価格帯を実現することも可能な気がする。

いずれにせよ、「本当の」塗り壁も「本当の」アートも、「本当の」という言葉には胡散臭さしか感じられない。

かつて本物かどうかということだけを考えてしまっていた反動だろうか。

本当かどうかという問いそのものだけでは意味がない。


【今は2024年の秋。9年近くが過ぎている。

もうあの頃のジレンマは薄れつつある。それどころではないからだ。ジレンマに苛まれている間に寿命が尽きてしまう。世界もだいぶおかしなことになっている。グズグズしていると寿命が尽きかねないだけでなく人から命を奪われてしまうかも知れない。そんな世の中になっている。どんな世界でどんな風に生きていたいのか。そんな大層な望みはない、静かに暮らして行ければ良い、というような考えが最も贅沢で困難なものになりつつある。何もしなくても手に入るわけではなく、そのためには自ら獲得しなければならない。例えば、トランプのような人、プーチンのような人、ゼレンスキーのような人、習近平のような人、石破茂のような人。誰でも良いけれど、人が単に静かに生きていければ良いというリクエストをどう聞けば良いのか。たぶん何のことかすらわからないだろう。どうぞご自由にというしかないだろう。国と国同士で結構な状況になると思いますが、そんな中でただでそう暮らしていけるなら幸運です。うらやましい限りです。よろしくお願いします。税金だけは納めて下さい。そんな感じだろうか。水道も電気も静かな時間も、放っておけば手に入るという錯覚が長らく支配していた場所で、どれもこれもが自ら獲得しなければならないのだという常識に切り替えるのは案外難しい。ただ、切り替えれば切り替えるほど視界がクリアになっていく気がする。】