”再開” | 左官日和

左官日和

日々、七転八倒の左官日和。


4年経過といえばオリンピックtoオリンピック。「こち亀」の日暮巡査を思い出してしまいますが、もちろん私の場合は4年間丸々寝ていたわけではなく、むしろ今この頃を思い出すと身の毛もよだつハードな日々がいったん落ち着きを見せつつあった、今考えれば小春日和のような時期でした。

とはいえ、数年続いていたチームが消滅し、リスタートしてようやく順調に進み始めていると思っていたらそうではなかった。そんな実感が押し寄せて来ていた空気感を思い出します。残念な事ですが、その時々の状況を維持しているだけでは気がついた時には後退しているものなのだと認めないわけにはいかなくなります。


そんなときの題材になぜモルタルの配合の話になったのかはさすがに思い出せませんが、モルタルを使う現場だったことは間違いなさそうです。どの現場だったのかは不明です。砂とセメントと水の比率はもちろん今でも変わりませんが、毎回計算機で計算するわけにはいきませんから、1立米のモルタルに使う砂は60袋というのを基準に暗算する感じです。20キロ×60袋=1200キロですからこの時の話とも当たらずも遠からずです。そしてセメントは20袋×25=500キロ。2.4:1。結論も同じです。

ただ、配合の比率が古来から変わらないにしても中身が変わっているのでどうしてもアレンジは必要になってきます。この時にも触れたような、ケースバイケースで比率を変える話と一緒ですが。

具体的には砂の質の低下です。昔と違って建材としての良質な砂はほとんど無い状態です。

‥この時も嘯いていましたが、というより読む人が読めばそんなことは言外に露わでしたが、私はそこまでモルタルを熟知しているわけではありません。左官と言えばモルタル!というくらいに何でもかんでもモルタルで塗りまくっていた高度経済成長期の左官職人を通過してきている人を“モルタル世代”などと呼ぶ向きもあります。そんな人達ならば触った瞬間に砂の良し悪しが分かります。もちろんそんな世代論で区切らなくとも良い砂を触った後に悪い砂を触ればその差は歴然と感じられるはずですが。

改修の現場などで昔の建物に触れると、良質のモルタルやコンクリートの強度に驚くことがよくあります。もちろん、そこに良質の技術が組み合わされていたであろうことも忘れてはいけません。砂の劣化よりもイケイケどんどんで勢い任せに施工していたことで品質が落ち、モルタルは割れる、モルタルは浮く、という性質をことさらに拡大してスケープゴートのごとくに扱われていった歴史も常に語られています。古いだけでダメというのならば中世からいまだに現役で存在するローマンコンクリートの建物を説明することは不可能です。人の手が加わらずに存在している材料などないのです。ですから、人の手を視野に入れていない議論にはかならず欺瞞が隠れているということになります。人は意識しなくてもそうしてしまうのです。それを暴けるのは他人でしかあり得ません。

モルタルに使う砂の劣化から、昔ながらの比率では強度も仕上がりも心許ないということで1:2.5くらいにしたり、現場判断での「調整」が入ります。そうなると練り手によってばらつきが出かねないということであらかじめ工場で袋詰めされて出荷されるプレミックスのモルタルを使う場合もありますが、それらの中身にはリサイクルされた材料も含まれているということでゴミ扱いされて使えない場合があったり。

しのごの言ってもそんなこんなでいわくの有無に関係なくモルタルは1センチくらいは塗らなければならない事実は残ります。人災だけでなく大地震などの天災によって剥離や落下がおこれば危険なことに変わりがないということで補修材という数ミリで収まる材料が主流になっています。

型枠の精度も昔とは比べ物にならないくらいに上がっているため1センチも2センチも塗らなければならない事態も稀になってきたというのもあるでしょう。

ですから、今のニーズに合わせて0から数ミリ単位で塗ることが出来る補修材が存在しているわけですが、もともとはモルタルを扱っていたような左官屋や左官職人が試行錯誤の果てに作り出したものだということは案外知られていません。そこに材料メーカーとのタッグも組まれてプレミックスの製品として開発されたものが今の主流になっているわけです。


ただ、図面が間違っていたりして大きく直さなければならないことなど、ヒューマンエラーが無くなることはなさそうです。そんなときにはモルタルの出番もあります。20ミリや30ミリ以上塗る場面は意外にあるのです。

補修材だけを使い慣れている人が急にモルタルを使いこなすことは無理ですが、モルタルを使いこなしている人が補修材をいきなりにしても使うことは可能です。その意味ではモルタルは左官の基本という話には説得力があります。

補修材の延長で安易にモルタルを塗ったら施工不良で浮いたり割れたりする可能性も高いですが、その逆は少なそうです。もちろん、舐めていると必ずトラブルに見舞われますが。

この後、「モルタル世代」の人からそうしたモルタルの話を聞くことで蒙が啓かれる日々も訪れました。そして、その衝撃は今だに続いています。

節目に選ぶ題材として「モルタル」は実は最適だったのかもしれません。


例えば、モルタルに限らない話ですが、ある材料と材料がくっつくとはどういうことなのでしょうか。なぜくっつくのでしょうか。コンクリートの上に塗られたモルタルはなぜくっつくのでしょうか。

建設の本にも左官の本にもどちらにも答えは書いてありません。現場には答えが存在していますが、理屈はそのプロセスの中にあるだけで説明はされていません。

では、モルタルがコンクリートにくっつくことの説明は誰にも出来ない神秘的な出来事なのでしょうか。そんなことがあるわけありません。現実が即ち神秘であるという意味以外ではあり得ません。

現場では何が行われているかといえば、下地を綺麗に清掃し、接着剤を塗り、乾かし、粉体である材料を水で練って粘土状にして、下地に対してガリっと擦ってからその上に塗りつけていきます。それも一度に分厚くは塗らず、基本的に厚くても10ミリ弱です。土間に対してモルタルを塗る場合などはもっと分厚く一気に塗ることもありますが、その場合はアンカーを打ったり、ワイヤーメッシュを敷くなど「骨」にあたる要素を付加したりします。あるいは一度塗った後にいったん乾かしてからもう一度、もう一度と厚さに応じて何回かに分けて塗り重ねる場合もあります。そうやって事実を連ねていくことはできますが、説明にはなっていません。


説明しようとすれば話が建設や左官を包含する物理や化学の話になります。ややこしくなるとも言えますが。物と物の結合には「共有結合」「イオン結合」「電荷」「分子間結合」と4つあります。

ファンデルワールス結合‥‥。材料と物理・化学は切っても切れない縁があることはわかるのですが、なかなか核心を突くところまでの言語化に至りません。それどころかだんだん離れていく気もしますが、その感覚は甘い罠。そうやって諦めてしまってはいけないのです。