(届かない)義弟への手紙 5 | sukerocさんのブログ

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日々、七転八倒の左官日和。

こうして君に向けて手紙を打つのも5回目になるね。早いような遅いような、毎回そんな独特の時間感覚になるよ。

君が自らの意思で向こうへ行ってしまったとき、私は仕事で鎌倉の方の現場に居たんだよね。その知らせを義母からのメールで知ったときのことをまだありありと思い出せる。

かなりの豪邸の室内をすべて漆喰で塗る現場で、私は応援で入っていて。ひとしきり塗り終えて一服の時間になったときに、頭の片隅でまさかそんなことにはならないだろうという気持ちでいながらも胸騒ぎは消えてなくて、様子を義母に確認しようと思って携帯を操作するとメールが届いているのを知り、開いてみたらそんな内容が書かれていた。

君のとってしまった行動に関しては5年前と同じ考えだよ。君は追い込まれた末に、考えに考え抜き、調べられることを調べ抜き、やれることをやったのだと。

義母から送られてきたメールの続きもまだ忘れられない。「自分はどうなってしまうのでしょうか」そんな一文でさ。どんな事態になってもとことん自分の心配しかできない義母の心の動きの真骨頂はその後もどんどん更新されつづけてたんだけど、そのときもあらためて驚嘆し、背中に冷たいものが流れたのを覚えている。そして、何か嫌な予感もしたような気がする。

その後、節目節目でその嫌な予感が形になってしまうようにして義母はトラブルを起こしているように見えることについても、これまで何度か触れてきたっけ。そして君の家族と同居するようになったことも。


君の家族と義母が同居するようになって一年が経つ。義母はたまにやってきてはうちの妻を泣かせて帰っていく。うちの妻も涙もろいし、泣くことが悪いことばかりではないんだけど、あきらかに消耗しているように見えるので、正直なところ困ることも多い。

世間ではCOVID19による騒動で大変なことになっているんだけど、そんなことまったくどこ吹く風で、相変わらず君の家族に対する愚痴と自らの境遇への嘆きだけをえんえんと続けるのみでさ。そして、もう驚きもしないけど「そろそろいっそ死んでしまった方が良い。コロナにでもかかって」などとひとりごちている有様だよ。もう怒りを通り越して笑うしかないけどね。

いま、明日をも知れず身よりも遠くにしか居らず戦々恐々とせざるを得ない高齢の方々も少なくないにも関わらず。亡くなられた義父が勤め上げられたことで残していただいている年金や住まいによって義母に関しては基本的には経済的には不足なく、身近に万が一の時には助けてもらえる人たちもいるという状況がどれだけ恵まれているのかに自分では相変わらずまったく考えが及んでいないんだよね。うちの妻が泣いて訴えてたよそのことを。義父がせっかく遺してくれたんだからせいっぱい生きなよって。


その義母の愚痴の大半をしめるのは君の奥さんについてでさ。難しいところなのはいくらか想像はつくんだけどね。

ただ、君の奥さんにも心配なところがある。それは5年前から思っていたことで。当時はまだ無理もないことだったと思うけど、もうそろそろはっきりさせないといけない時期に来ているかもって思うときもあるんだよね。

それは、君の妻があくまでも100%被害者だと思い込んでいることで。むしろ、当時の方が自分を責めている様子があった。だから、当時は逆に自分を責めないようにと気を使ったよね。

ただ、ちょっとあまりにも自分は100%不幸な被害者だという前提で日々を過ごしすぎて周囲に対して圧をかけ過ぎている感が強くなってきてさ。うちの妻にしても義母にしても、君のご両親にしても、君の妻は根本的には被害者だから仕方がないという結論でその視点以外のコミュニケーションを取ろうとしない。そんな状態のままここまで来ている。


君の妻に、君の最期について責任があるという考えは、ひょっとしたら君にも受け入れられないかもしれない。でも、当時妻からは口を挟まないでくれと頼まれていたからただ話を聞くだけにしていたけれど、君を取り巻く、君の妻と私の妻と義母の作る空気感には嫌なものを感じていた。もちろん、要因としては君が勤めていた場所でのことが最も大きいことはよくわかった上での話なんだけどね。


これ以上続けると後悔と未練の話になってしまうのでこの路線の話はやめようかな。

しかし、間違いなく君を追い込んだ要素のうちの一つであることは間違いない気がする。当時は本人の口からも出てきていたので、本心ではそう思っているのかもしれないけどね。それを振り払おうとするかのようにして今の頑な様子に繋がっているのかもしれない。


はたからみていると、義母も君の妻もどちらにもおかしなところがある。ただ、だからといって君の妻があきらかにおかしなことをしているとなれば、そのことについてはきちんと怒るべきときには怒り、ちゃんと話をしてやるべきだと思うんだよね。でも義母はそれは出来ないしたくないの一点張りでさ。することと言えば当人に話せないことを話しに泊まりがけであらわれて、こちらが何か提案すればそれはただの正論だと受け付けず、黙って聞いて頷いていて欲しいというわけでさ。たまにそういうことを言う人がいるけど、あまりにも頻繁だったりするとちょっとなってなるよね。ただ聞かせるってったってその時間って相手にとっちゃ貴重な資源なんだからさ。でもそういう人ってそんなことにまったく考えが及ばないんだよな。どこまでも自分は被害者で、しかも解決を諦めて我慢している被害者が愚痴るのは当たり前だっていうスタンスだから。


この手の話はおそらく各家庭にうなるほどあるんだろうけどね。そして、たぶんいくら言っても当事者同士の関係は当事者にしかどうすることもできない。だから、まあ、余計なことは極力言わず、試しにラインで伝えてみることにしたよ。文字にして送っておくと、相手が都合の良いときに読み、考え、また都合の良いときに返すことが出来て、会話とは違った落ち着いたコミュニケーションが取れて良い場合があるよね。今回はそれが良かったかも。もちろん直接的なことは触れていないよ。内容によってはそうしたコミュニケーションが裏目に出ちゃうしね。なんにしても何回かやりとりしているうちにメッセージが伝わったのかもしれない。


それよりも今はCOVID19がもたらしている災害の方が本当は深刻だよ。ようやく少しずつ落ち着きが微かに見えてきたような状況だけど、経済が受けたダメージが現れるのはまだまだこれから。幸か不幸か私はまだ仕事を続けていられているけど、周囲の停止が広範囲に及べばいつまでも平気ではいられないことは目に見えているからね。どうもいまの施策は経済の停滞を極度に甘くみているような気がする。むしろあえて甘く見積もっているかのようにすら見えてしまう。ゲスの勘ぐりは良くないかもしれないけど。


君が向こうに行ってしまったときも経済は別に好調というわけではなかったよね。たしかイギリスがEU離脱とかで大揺れに揺れていた。

驚くくらいに多くの人が言っているんだけど、COVID19の前と後の世界で、必ずしも前の世界が正常で、戻らなければならないわけではないっていう話があってさ。経済にせよ何にせよ、明らかにおかしなことになっていたのをいわば惰性でそのままにしていたけど、今回の騒動で問題が一気に顕在化しただけだって。だから、この機会に見直すべきとこを見直し、良い方へ再スタートしなければならない、そんな感じかな。

そういう自分にも概ねそんな感覚が湧いていたんだけどさ。でも、ここまで同じような発言を見たり聞いたりしていると、ちょっと疑ってみないといけないかとも思い始めてきてる。

というか、それは良いのかもしれないけど、じゃあ具体的には何をどうすれば良いのかっていうところまで進んだ話はあまり聞かなくてさ。もちろんこれからどんどん出てくるのかもしれないし、そう言う自分もその手前で止まってしまっているから歯痒いのかもしれない。


こんな風に考えていると本当に君がいたらって思ってしまうよ。君の聡明な頭、冷静な視線で今の状況がどう分析されたのか、興味がある。そして、ふだんあまり話すことができなかったけど、そういうときはきっと別だったはずだと思うから、どんな議論ができたかと。詮無い話だけどね。


最近、あの世について考える時があって。要は君が行ってしまった世界のことでもあるけど。昔はそれは無いんだろうなって思ってたんだけど、最近は、有る無しで考えたときにどちらが現生を豊かにするんだろうって思うようになってさ。あるって思った方がリラックスして生きられるならその方が良いんじゃないかって。いや、今回のことに限らず、切羽詰まったときの行いがあまりにも酷いケースが目立っている気がしてさ。最期の最期がそれかって。最期に人にそこまで迷惑かけるのかって。


いや、君は君の中で考え抜いて、筋を通したことだから、まあもちろん誰にも迷惑をかけていないかって言ったら語弊があるけど、それでも巷にあふれる身勝手な犯罪まがいのどうしようもない行為とはまったく違う。

まあ、本音は、君に逝って欲しくなかったってなっちゃうんだけどさ。

Don't try suicideって曲がある。君は聴いたことあるかな?それを歌っていたバンドのボーカルはもう亡くなっていて、それこそ君の世界の方にいるわけだけど、ライブをやっているようだったら是非観に行って欲しいな。

その曲に限らず、というかそれ以外に有名な曲が膨大にあるから、君も幾つかは知っているはずだけど、とにかくすごい。今更ながらようやくどっぷりハマっているんだよね。ここ何年もフィッシュマンズ ばっかりだったけど、ここしばらくは完全に入れ替わった感じ。

それで、たぶん誰も同意しないから言ったことないんだけど、なんとなく君と似ている感じがしてる。前歯の感じなんだけどね。特に初期の頃のまだ相当細身のときの姿を見たときにそう思ってさ。keep yourself aliveって曲をライブで演奏している映像があってさ。その頃の姿を見るとついつい思い出してしまう。君の姿がオーバーラップするボーカルが歌うkeep yourself aliveは、なんだか意味深い。君の遺書は直接は見ていないんだけど、メッセージは近いものがあるような気がする。

あの前歯に現れている骨格上、普通の人よりも広い音域を歌唱できたって話もあるようで、君が歌ったところは見たことなかったけど、どうだったんだろうね。聴いてみたかった。まあ、その話というのは一昨年公開されたそのバンドの生き様を描いた映画の中で、前歯のことをからかわれた時にジョーク混じりに言い返したエピソードなので創作なのかも。

彼は、最期はエイズで死んでしまったんだけど、すべてやりきった、別段長生きする必要もない、そんな清々しい生き方をしたみたいだね。

とにかく音が凄い。歌唱も凄い。演奏も凄い。音の作り込みも凄い。なんで昔聴いた時にはそうしたことを感じることができなかったのか不思議だよ。よくあることかもしれないけど。

でさ、また歌詞が凄いんだ。全ての要素が凄いってことになるよね。そりゃ世界中で人気も出るってもんだよ。


さて、これから仕事だよ。そうなんだよ。まだもう少し仕事をしたら、そこから長めのゴールデンウィークが始まる。

自粛期間も延長だってさ。経済のことは二の次ときている。とはいえ政府の人達や学者さん達もみんな一生懸命なんだと思う。学者さんたちの見通しも、きっと正しい面もあるはずだけど、トータルで考えるとちょっと不自然な感じもするんだよね。ロックアウト至上主義。ウィルスの蔓延を防げさえすれば宿主たる人が絶滅に近くなったとしても構わない。残った人達でまた立て直そう。そんなビジョンに見えてしまう。 


何にしても雇用も不安定になるよ。ブラックだホワイトだ言ってられなくなる。その意味じゃ仕事をするということに関してもきっと考え方が変わるよね。それも良いきっかけにした方が良いかもしれない。

ちょっと前まで求人の方が多かったんだよ。就職先を選ぶような状態がまた来ていたんだよね。中にはお金を払ってでも内定を確定させておこうなんてバブルかよって話まであったみたい。君が行ってしまった時はまだ5年前とかなのにそんなじゃなかった。陰険な職場だろうが何だろうが家族のためにとかとにかく食っていくためにはやめられない、そんなのが普通だった。

もちろん、大昔の集団就職のような時代ではないんだから、無理やり嫌な仕事につく必要はない、そんな価値観もあったかもしれない。本当にワクワクする仕事、23日徹夜しても何でもない仕事、誰にでもそういうものが一つはあるはずで、そういったものに出会うためにアンテナを早めに立てて常に張り巡らせている必要がある、そんな考え方もあるよね。

そう、私は村上龍の作品が好きだし、最新作もとても興味深いものだった。継続して読み続けている数少ない作家の一人だよ。「13歳のハローワーク」もとても驚いた。同時に、私はやりがいや夢みたいな仕事を追いかけるというようなイメージで無闇に個人が個人の主観に偏って仕事を選ぶのが普通の世の中で、マクロにみた時にそんなに上手く行くんだろうかっていうふうにも思ったんだよね。最近それがとみに強くなってきている。まあ、当時もその著作について批判的な声はあったようなんだけどね。ただ私は、その当時にあったという批判のように仕事は楽しむものではないとか、嫌でもやらなきゃならないものだとか、確かに子どもに対してフェアな言い方ではないなということを言いたいわけではないんだよね。どちらかというと、同じ頃だと思うけど養老孟司が言っていたようなニュアンスかな。仕事っていうのは、世の中にいろんな形で生まれる穴を片っ端から埋めていく事だって。当時、公共事業のようなことを言ってんのかとか思いつつも、なんとなく腑に落ちるところもあってさ。虚業に対する実業のことかとか色々と各方面に偏りながらの思い込みをあれこれとっかえひっかえしていたことを今だに覚えてるよ。

ただ、村上龍が言う仕事のイメージで重要なのは、やりがいとか夢中になれるとかだけでなく、そういう仕事は面白いとかつまらないとかじゃなくて、淡々とやりつづけられる、やりつづけるものなんだっていう部分だと思うんだよ。

で、いまみたいな状況になるじゃない。要は危機的な状況だよね。普通の状態だったらやりがいとかで仕事を追いかけて、個人的に充実するまでやれば良いとかそういうので続けられる状態なら良いけど、そうじゃないならさ。いや、危機的な状態の時って世の中にそれこそ大きな穴、多くの穴が空くんだと思うんだよね。で、それは全力で埋められなければならないでしょ。でも、なんかそうならないじゃない。パンクするんだよね、すぐ。医療にせよなんにせよ。で、それを補える緊急の仕事って、まったく振り分けられないんだよね。あるとしたら善意のボランティア。続くわけがない。有事の時に民間の人が武器をとるみたいな国があるっていうじゃない。私は、別に銃をとりたいとは思わないけど、いざというときに多くの仕事が麻痺したときに発生する穴を塞ぐ仕事ってその都度生まれたら、麻痺したままでいるよりもそうした仕事に従事して、稼ぐことも出来れば何だってやるっていう方が良いんじゃないかって思うんだよね。今、休業においこまれた方々は補償補償って言うんだけどさ。もちろんそれも重要だよね。施策でそうなった面もあるんだから。でも、一時的せよ多くの人に原資も不明のお金をなんにせよとりあえず配るって、怖くない?結局将来賄うために税金やら何やら、国債やら何やら、でしょ。将来を担保にさせられてるだけみたいな。もちろん、大きな穴があいて、塞ぐ仕事を生み出して、支払われる対価の原資は?ってなったときに同じようなしくみで考えたら似たり寄ったりになっちゃうかもしれない。でも、絶対に必要な穴を埋めるための仕事に支払われる原資が地球上のどこにもないっておかしくない?

今年最初に買った本ってなんだと思う?SDGsに関する本でさ。笑っちゃうだろ。まだどこか頭の片隅にあるんだよ。世界とか地球とかの本当の平和のために出来ることがあるんじゃないかってさ。なんかそういうこと言うと君は警戒するかも知れないよね。君の親御さんは常に世界のために、世界の平和とかのために働けとかいうことを再三口にしてたって。もちろんそれはそれで良いけど、君の妻に言わせると、あまりに過剰で行きすぎる面があるって。君の娘や息子にも事あるごとにそういう話にもっていかれて君の妻はうんざりしているって話をよく聞くよ。


確かに、世界のために働けって話は良いけど、それ以外の仕事は意味がないみたいな剣幕だもんな。あれはおかしい。私はさ、いつどこでどんな仕事をしていようとそれは世界に繋がっているってことを意識しなけりゃいけないんだと思う。だから、場合によっては何を仕事にすることになるかはわからないけれど、その都度その都度意味や、場合によっては楽しみややりがいを見つけたって良いけれど、個人も世の中的にも、そうした穴を見つけたら柔軟性をもって本当に雇用やなんかとリンクして経済的にも機能するような感じになってくれればって思うんだよね。

だから、今後は、同じハローワークものでも、「緊急事態のハローワーク」「災害時のハローワーク」みたいなのが欲しいよね。もちろん、その機会に仕事を休みたいって人は無理することないよ。だから徴兵みたいにしたらもちろんダメだよね。

今の自粛のお願いみたいな流れって、むしろ人を真綿でジリジリ苦しめて、経済的に苦しい人がキレるのを待ってるかのように見えるよ。

だから絶対にキレたらだめだよね。こんなときこそさ、それまでやっていた仕事が無くなったからって何もかも仕事が失われるわけではまだないからさ。穴を探せば良いんだって思うんだよね。

見つかるまでは省エネで生きてさ。食べるにしたって少ない食料をどう摂取すれば長くもつとかサバイバルの本とかに書いてありそうじゃない。

だから、最期の最期まで、君のように考え抜いてさ、カッコ悪い最期を見せないようにしたいよね。


まだ当分君んとこに行くつもりはないけれど、万が一早まったときにはすぐに会おうよ。それで、フレディのライブを観に行こう。出来ればそっちにいるボンゾやジャコやジミヘンとバンド組んでいてくれないかなって思ってるんだけどどうなんだろ。


ではまた。来年。こちらでまたこうして手紙を書いてるか、そっちで直接話しているかわからないけれど。何にしても元気で。