いや、たぶんこの胸騒ぎは消えようのない、個人的なもののような気がする。これだけは、きっとどんなに素敵な音楽を聴いても、映画をみても、絵をみても、壁をみても、会話をしても、眠っても、食べても、飲んでも・・もちろんそのときは胸騒ぎは消えるかもしれない。しかし、1人になったら必ず襲ってくるこの胸騒ぎは消えることがない。ひょっとしたら、それこそが生きている証なのかもしれない、などと嘯いてみる。それくらいしかやり過ごす手立てが今の所見当たらない。
単純に、やる予定の物事が片付いていないせいという、とても現実的な理由かもしれない。しかし、やれどもやれども片付かない。片付くことなどないのかもしれない、などとふたたび嘯いてみる。漱石の小説にそんなことを呟く主人公がいたような気がする。
胸騒ぎが消えたり、片付いたりしたときというのは、要は自分の命が尽きたときということになってしまう。そう考えれば、胸騒ぎの原因を探し続け、解消できるかぎり解消しつづければいい。片付けられることから片付けていけば良い。そう納得すれば良いのかもしれない。
もしもそうした胸騒ぎから逃れたいのならば、なるべく1人でいない方が良いのかもしれない。しかし、その胸騒ぎから逃げてはいけないような気もする。
春の風が強く吹き続ける暖かい日の一服。この仕事に入った頃は気づいていなかったが、全力で身体も神経も集中して動き続けると、一服の時間をとらないとその後の能率が下がるし、無理が出てくる。一服といってもタバコを吸うわけではなく、身も心も一度落ち着かせる時間として必用不可欠なものだ。どうしてもその時間をとれないというときもあるけれど、特別な例外を除いては自然と一服を取るようになった。以前に一服も取らずにえんえんと塗り続けていたころは、そうしなければいけないほど未熟だったともいえる。部屋内はわりと冷え冷えとしていて室温が10度に満たないためジェットヒーターで暖めての施工。珪藻土は、物によっては10度以下の環境で塗ると白華してしまう場合があるからだ。今回の壁のパターンも、言って見れば風のような柄だ。部屋の中を、心地よい風が吹いているようなイメージで仕上げる。
風の音だけが聴こえるような状況は人に胸騒ぎに似た内省をうながすのだろうか。
風の音をBGMに浮かんでくる映像に「ブローアップ」と「バグダッドカフェ」という映画の場面がある。「ブローアップ」をどう解釈するのが正解なのかはいまだによくわからない。わからないけれど、いまの自分が感じている理由のよくわからない胸騒ぎで全編がつらぬかれているような映画だ。最初から最後まで。何回見ても。途中にヤードバーズが出るシーンが、ベルベットアンダーグラウンドだったかもしれないという話を読んだことがあるけれど、もしベルベットアンダーグラウンドだったらなおいっそう胸騒ぎが激しかったと思う。ラストは、見るたびに見えかたが違う。わからなさ加減が毎回違う。そんな気持ちを慰めるようにハービーハンコックのサントラが響く。
「バグダッドカフェ」の方は全体を通して胸騒ぎよりは暖かい春の陽射しを浴びて、寒くて凍え切っていた身体がどんどんやわらかくほぐされるような映画だ。ただし、風が吹き荒ぶシーンだけは例外だ。暖かい大事な何かが、いまもなお残っている謎と一緒に心のどこかにしまわれている。
それにしても風が強い。車ごと飛ばされてしまいそうだ。もっとリアルで大規模な環境の問題がいまそこで現れてきて、壁など塗っている場合じゃなくなるのかもしれないという、大自然に対して自分の身体の畏怖が、サインとして出ているのかも知れない。
小さい頃の記憶も浮かぶ。飛行場の傍。草は自分の背の高さくらいある。友達とかくれんぼみたいなことをしている。風が吹いている。草だけが立ち昇るようにみえる。なんだかぞっとした。当時、そのことを親に話したことがあって、少しばかり心配をかけたことがあつた。
その草むらで周りが見えない、少し早い夕暮れどきの空だけがみえるような状態でいたとき、突然人懐っこい表情で手を差し伸べてくるアメリカ人が出てきたことがあって、驚いた自分は大泣きする。大泣きした自分に驚いたまわりの友達が、やいのやいのとその人を責め立てられて困ったように笑っていた。あの人は誰だったのだろう。
また別の記憶では、ある時大勢の友達が連れ立ってつむじ風のように小走りに通り過ぎるシーン。知った顔も知らない顔もある。そこに行き合った自分も誘われる。誘われるがままについて行った。何か面白い遊びが始まるような感じだった。川沿い近くの神社の近所のスーパーに行く。何の気なしにいたら皆がいっせいに散った。わけのわからない自分は散って行く皆を眺めて立ち尽くしている。刹那、スーパーの親父につかまれて怒鳴り声が響き渡った。集団万引きだったのだ。次の瞬間、怒鳴り声に負けないくらいに子供の泣き声が響いたような気がする。それが自分の声だったというような。
寺の境内で大勢の子どもと、少し年上の少年2人に囲まれている。少年に、なぜあんなことをやったのだと問われている。本当のことを言おうとしたところで子どもたちのうちの言い出しっぺとおぼしき児童の目がこちらを向く。その目は、睨むでもなく、蔑むでもなく、怯えるでもなく、なんとも表現のしようがない表情だった。彼にとって自分はどう映っていたのだろうか。着いて来なければ良かったものをノコノコ着いてきてしかも逃げ遅れたどうしようもない阿呆だっただろうか。他の面々からも注目されて、本当のことを言わないのならお巡りさんを呼ぶとか親に言うとか、何かしら最後の追求があってどうしようもなくなってきて、ついに「俺の気持ちなんて誰にもわかるものか!」というわけのわからない事を口走って、今で言う逆ギレのようなポーズでその場から走って逃げた。
その後、少年たちはどこでつきとめたのか自分の家まで来て、母親に事情を説明したらしい。気の毒なのは親で、自分の子どもが知らないところでわけのわからない葛藤に苦しみ万引きをしたことになっていた。
後日、その寺で子どもたちと一緒に遊んでいるときに、例の児童から「なんで庇ったんだ」というような態度をとられ、なんとなく感謝されるのではないかと思っていた自分が、その子に対しても自分に対しても、なんというか不愉快になったような事があった。
今にして思えば、その時からあまり人を信用しなくなったような気がする。
なぜか親には本当のことを言わなかったかもしれない。別にだまっていろと強迫されたはけでもない。ただ、毎晩毎晩、世間というところに伝わらないようにと祈っていた覚えがある。神様とか世間とかどこで知ったのか不思議だけれど、毎晩毎晩祈っていた。単純に絵本とかテレビとかの昔話で聞いて知っていた神様に祈っていたにすぎなかったのだが、よくわからないことをきっかけにして神という概念が唐突に生まれていたようでなんとなく微笑ましい感じだ。
現場はあまりにも複雑な役物だらけ。いくら感謝の気持ちを持たなければとはいえそのわりに・・限界もあらあね・・理不尽さに気が変になりそうなときは必ず雑になってしまうものだけれど、風の音に混じってイヤーワームのように鳴り響くフィッシュマンズの音楽が、ギリギリのところで仕事を雑にせずに踏みとどまらせた。
塗り終わりは夕方6時。片付けが終わって7時。そこから養生はがしと見直しに2時間はかかる。翌日からも仕事がつまっていたらそうしただろう。しかし、今回はそうでもなく、しかも次の日は現調に行こうと思っていたから無理する必要もなく、加えて今回の現場は土間から巾木なしで立ち上がっている壁の仕上げが多く、しかも通路になっていたりするので、その日のうちに掃除をしたら間違いなくゴミがついてしまうこともあって、やめておいた。
翌日、掃除を終えて現調に向かったところで強力な鬱のような状態。そういうときは負のスパイラルが始まってしまう。天気も悪く不安定だし、気持ちも下がりやすいから要注意だ。と思っていたら左車線のトラックがやや急ぎ目に車線変更してきた、ゆっくりめで走っていたから事なきを得たと思ったら車道のど真ん中にヘルメットらしきものが落ちているのが前方のトラックの影から見えた、バイパスで急ブレーキは無理だし左のミラーには後続車が見えて急な車線変更も無理、右側はコンクリートの壁、と次の瞬間車の底を擦った音がした。三、四年前に電鋸を巻き込んだ時のことを思い出す。あのときに比べればたぶん大丈夫だと思うが・・負のスパイラルをどこかで切らなければ。現場まであと少しというところでバイパスを降りたところにコンビニがあったので、すがるようにすべりこんでコーヒーを買って車内に戻ったらもう爆睡だった。30分で起きようと思っていたら1時間過ぎていた。だいぶ復活した。現場でお施主さんへ快活にお声がけを出来る程度には。
難しい現場だった。情報を集めなければならない。しかし、人に聞こうとしたときに、その人の時間を奪うことを恐れる。それは、人から聞かれたときに自分が極度に時間を奪われると思いすぎるためかもしれない。あまりにもぬけぬけとやられると頭にくる。自分で調べろと言いたくなる。それでも教えるけれど。
知らないうちに傲慢になっているのかもしれない。そして、それによって自分の首を絞めている。自縄自縛とはこのことだ。
しかし、仮に人に聞いたとしても、その人が本当に必用な正しい知識を持っているだろうか。どんな人なのか、それは。
胸騒ぎがつづく。耳の奥ではずっとフィッシュマンズが流れている。フィッシュマンズによってかろうじて持ちこたえているような気がするし、フィッシュマンズによって大事な胸騒ぎが起きているような気もする。消えようのない個人的な胸騒ぎが、フィッシュマンズの音楽とともにつづいている。