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それいけ!二代目スケチヨさん

新しい暮らしが始まります

Amazonプライムで週末100円レンタルとかやってて、
 

本命は「この世界の片隅に」なんやろけど、魔が差してさ。


「キングコング髑髏島のなんたら」に100円課金。

いつも無料映画ばっかし観てるのに珍しいね。週末だしね。


迷った挙句、ナガラ観できる吹替えにした。

 

 

吹替え声優さんのひどい棒読みが気になりつつも映画に集中。


出た出た、まーたサミュエルLジャクソンや・・・


洋画観てるとサミュエルLジャクソンとモーガンフリーマンとの遭遇率がハンパない。

 

近所のおっさんとか、常連のコンビニ客に出くわすくらいの頻度で見る気がする。

別に思い入れはないのにちょっとマ見ない常連さんにあのおっさん元気かな?とか思い始めたりする。それくらいの頻度。


これってボクの映画チョイスに偏りがあるせいなのか、
彼らが見境無く出演し過ぎてるのか・・・今度近所で会った時聞いてみよう(錯乱)

 

まもなく舞台の島に着いて早々、
なんの伏線前触れネタ振りもなく

コングちゃんおおっぴらに登場。

あ、これ。・・・

 

おもんないやつやん(¯―¯) と厭な直感がよぎる。

 

もちろん自分の好みなので映画の価値とは無関係やけど

この直感はほぼほぼ的中する。
(外れる時もある。眠かったり、体調にも左右されるから)

 

 

映画が始まって20分、
CG独特のヌルヌルとした動きのコングが殺戮の限りを尽くす。
いい意味で出し惜しみなく、
まあ、段階もなにもあったもんじゃない。

もちろん、“あえて”そうしたんやろうけど。


「なにこのセンスの無さ」と上から目線で思ってしまい、


動画を一時停止し、作品検索し監督を調べる。


Wikiに行き着くも監督名は赤字(Wikiデータなし)。

 

それ以上調べる気にもなれず

 

そのまま画面をスクロールしてスタッフ・声優の欄、


ガクトと佐々木希というクレジットが目に入る。


この人らに他意はないけど正直、

字幕にすりゃ良かった。

 

スケティヨさんは


サンクコスト効果(元を取ろうとする心理)に囚われず


ただちに髑髏島から撤収した。

 

 

 

このところ目立つ巨大な中国市場を意識していると言われる中国のタレントの起用だったり、

この映画では、取って付け足したような日本人の登場人物と、武士道への賛美が見て取れた。

 

でソフト化にあたっても又、取って付け足したようにTVタレントを声優として起用。

あらゆる作品レビューで映画ファンが今までどれだけ叩こうが、この傾向に終わりは見えない。

 

積み重ねられた作品創りのノウハウを駆使し、巨額を投じ札束

きちんと大きなマーケットを意識しスマホ

あらゆるニーズにあてがうように配慮し、製作された作品。

 

ノウハウを知れば知るほどダンベル

市場意識をすればするほどPC

それに適うものが作れる。

はずだ。

が実際、事はそう単純でもないようだ。

 

そこには、独自で無二の世界観などというものもなく、

ただただありがちなリズムで、

どこかで既に見飽き、聞き飽きたようなやり方で、

ひたすらキレイに上塗りされた、

しかれども、どこかトッ散らかった作品表現が出来上がる。

 

感情移入してしまう曖昧で良い加減の人間味や、リアリティがそこにはなく、

あらゆる大人の事情ばっかりが、ソコカシコにツギハギのように目立つ。

 

そんな作品表現が溢れている。

 

ノウハウというのは、物事の上澄みとも言える。

良い部分を真似て、無駄なく上達する効率よく生産することを目指す。

もちろんノウハウは知っているに越したことはない。知らないと遠回りになる。

 

それでも、芸術芸能表現という分野においては、

そこに必ず個人のルーツという根の深い毒味が不可欠だ。

痛みを覚えたり、失ったり、間違いを経て、作品が生まれるというより

もっと言えば、今まさに間違えている最中に、

それら負の要素と共に絡み、支え、

ようやく突っかえあった危ういバランスで成り立つようなものだと思えてならない。


間違いというのは、思い込みであったり、

再現・表現しきれない不器用さであったり、

揺らぎであったり、偏執であったり、

抗いきれない弱さであったり、諦めであったり、

王道に外れる、人と違う道であったり。

 

これらはそうで無ければ無いに越したことがなさそうだが、

見方を変えれば、


思い込みは勢いを生み、

不器用さは荒削りで無骨な魅力を生み、

揺らぎがグルーブを生み、

偏執が執念を生み

弱さが知恵を生み、

諦めが時に別の道を知らせ

人生を変えうるひらめきを生むことすらある。

 

 

いっつも間違えている、

そんな愚か者であっても

そうそう捨てたもんじゃない。

 

小利口な奴は巧くやりおる。

同じノウハウを知ったところで後手も後手。

阿呆には阿呆のやりようがあるのかもしらんね。

そんな友達、何人か知ってる。

 

 

 

誰もがアホかと思うような、

 

 

間違いをこそ極めれば、

 

 

それが一点突破に成りうる。

 

 

生きるすべにも成りうる。