願いが叶った♡のは起きた現実の一部分。
もちろん、それだけではなく、子どもたちにとっても私にとっても痛みのある引っ越し。
やっぱり大切な人達とのお別れは寂しいです。
昨日は最後の娘のピアノ教室のレッスンでした。
年中さんから始めて、5年間ピアノが続けてこれたのは先生のおかげ。
本当にどんな時も笑顔を絶やさず、楽しく指導してくれた。
技術を磨くだけではなく、ピアノの楽しさを教えてくれて、成長に寄り添ってくれる。失敗することも必要な経験だと教えてくれた。
とっても一生懸命で本当に教えるのが好きなんだと伝わってくる。
先生のお教室にかける想いや情熱が大好きでした。
本当に先生に出会えたことが幸運だった。
娘も私も尊敬し、大好きな先生。
沢山の写真を動画にして先生が送ってくれました。
5年の軌跡🥺
昨日は、終わって先生と少しお話しして、
私と先生は泣いていて…。
娘もなんとも言えない表情をしていて。
帰って先生からもらった手紙を読みながら
ついに、涙が溢れてきました。
胸がぎゅーってなるね。
寂しくて、辛くて、苦しい気持ちを感じて。
涙が溢れてくる。
私はそんな娘の姿をみて、
引っ越しが我が家にとって最善の決断だったのか
と…。
でも、もうわかっているんです。
引っ越したいし、自分の部屋が欲しいと一年以上言っていて、新しいお家、学校もワクワクもしている。パパと一緒にがいい。
(もはや、パパを心配していたw)
そのワクワクの一方では、
大切な人とお別れもしないといけない。
それは寂しいし、悲しいし、辛い。
それを今回しっかり感じた。
結果的に引っ越しはするんだけど
その気持ちは私も娘も決まっているけど…。
「悲しい」のか「嬉しい」のか。
白なのか黒なのか。
ではなくて、どちらの気持ちも
自分の中に存在することがある。
それは矛盾しているわけでなく、
自然なことだった。
悲しい時は、悲しんでいいんだよね。
って思ったんです。
思い出したことがあって、
よく子どもの頃に言われてた気がする。
「泣くならやめよう。」
「やりたくないならやらなくていい。」
そうやって言われたことがあったなぁーって。
今感じる気持ち🟰結果や選択
になるのは時として、本来の望みではない方向に進んでしまう。
それが、私は怖かったから、感じないようにしていて、それがとても苦しかった。
気持ちを感じることを無意識に抑えていたし、大丈夫なふりしていた。
悲しいからってそれは「じゃあ引っ越ししない」理由にはならなくてもいい。
もちろん、本当に無理な時はやめたっていいけどね。
ただただ素直に今、心のうちで感じることを許す。
感じたからってどうにもしなくてもいい。
どうにもならなくたってい。
どうにかしたっていい。
そういう自由のもとただ素直に感じることを許せたら、
感情は感じることで昇華していける。
ちゃんと受け止めて進んでいけると。
そのことを今は知っているから、
一緒に「寂しいね」と感じました。
親として、
親の都合などで、
子どもに悲しい思いをさせたくはないけれど、
結果として悲しんでしまうこともあってもいい。
今回の引っ越しは家族みんなで移動するとなったから本人も納得の上でしたが、
そう自分の中にある理想の姿と離れてしまう時、
自分を許すことが求められる。
そのためには、親の都合で何かを手放した、諦めた過去を癒す必要があるかも知れない。
親を許すことが自分自身が許されることに繋がるから。
きっとどんな経験も
子どもたちの進む人生の糧になる。
私は今は家族四人で過ごす時間を大切にしたい。
1人で子育てするより、必ずパパというゆるい存在が子どもたちの成長にも私のメンタル的にも欠かせないと思っています😂
その自分の望みに私自身が真っ直ぐあるだけ。
そして、そう生きても大丈夫だと
子どもたちを信じることが
きっと未来を作っていく。
どんな気持ちも感じていい
その自分自身への許しは、
望む未来を創造していく時に起こるあらゆる現実を受け入れるための確かな土台となる。
この世界で喜びも悲しみも全て感じながら生きていく覚悟のようなものを決めたら、もっと素直に望む道への一歩を踏み出せるようになる気がしています。
全部感じて、引き受けよう^_^
また、福岡に戻ってきたら、先生のお教室にお世話になれたらいいねって娘とそんな未来を想像しています
お友達とのお別れがもうすぐやってきます。
やっばり寂しい。
残された時間を大切に過ごしていきたいなと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます♡