アラ還にして


正社員の職員として転職に成功した母


ですが、毎日ふらふらのへとへとで帰ってきます


彼女の仕事は立ち仕事ですが


帰ってくると足腰が痛いと言って


うとうとしながらご飯を食べて


よろよろしながらお風呂に入って


のろのろと家のことや用事をして


寝ます


丸まった猫背の母の背中を見ていると


なんともいえない気持ちになります


休みの日に私が少し遠出をしないかと誘っても


疲れてて無理、と言われます


頑張ってるみたいだけど


まるで


働くために生きてるみたい


老後のために少しでもお金を稼ぐんだって本人は言っていますが


老後って言っても


もう充分おばあちゃんの年齢だと思うんだけど…


本人は自覚がないみたい


私や妹が独身で子供もいなくて


孫がいないから、まだまだ若い気持ちで居るのかな


つくづく運がないよな…と思う


結婚した男(私の父)は、ちょっと明らかに人として大切なものが欠落していたし


私みたいな子供を持ってしまって


彼女だって


妻や子供を大切にしてくれる男性と結ばれて


その間に生まれた子供はいつまでも健康で


なんの苦労もなく大学まで出て


同じような男性と結婚して


何の疑問も持たずに


なんの苦労もなく


子供たちは大きくなって


パートナーを見つけて子供を授かって


孫を抱っこできたら


本当は幸せだったんじゃないかなあ


それか


せめてもっと早くに良い職場に出会えていたら


お金だってもっとあっただろうし




せめて私も親孝行が出来たらよかったのに


ウエディングドレス姿か


それか、お着物の晴れ姿を観て欲しかったなあ



私が


もしもリウマチにさえならなければ


見送らなくてよかった人たちが沢山居た


チャンスもいっぱいあった


20代の頃、片思いしていた人が居た


仲良くしようって言ってくれた人たちもいた


全部見送ってきた


同じ速さで歩けなくて


お金もいつも足りなくて


結婚詐欺さんも


私がリウマチでなければ


詐欺をしなくてよかったかもしれない


仲が良かった頃のように


今頃同じ家で同じ名字で


同じ趣味だったゲームをしたり


しょうもないガチャの結果をスクショしてシェアして


行きつけのつけ麺屋さんやタピオカをお揃いで買って


いつまでも笑っていたかもしれない


見送ってきた


観たかった風景をたくさん


大好きだった人たちをたくさん





だけど、結局のところ


母の観てきた風景はどうだろう


私という存在は


必要がなかったような気がする


私が生まれなければ


お母さんは難病の子供を抱えることはなかったし


もしかしたら私がリウマチなんてならなければ


お父さんとも離婚しなかったかもしれないし


そうしたらいく先々で人間関係に苦しんで


転職を繰り返さなくて良かったし


妹は出来のいい子だから


子育てに苦労もしなかっただろうし


私がリウマチでなければ


あの子だって素敵な男性と今頃結ばれていたかもしれない




私にかけてくれた時間や治療費で


旅行や美味しいものをたくさん食べれたかもしれない


彼女が見るはずだった


美しい風景も体験も笑顔も


私が奪ってしまったのかなと思うと


どうも申し訳ない気持ちになる


母は、コンビニでたまに私がサプライズで買って帰る


スイーツに笑顔を見せるけれど



雨の日は


より一層、花々の香りを強く感じます